*墓誌には陸軍士官候補生従五位と刻む。
*同墓には河田保寿(書家)も眠っている可能性があるという情報もある。河子昌。父は河田景介。
弟:景福。景与とも兄弟。天明3.9.11。梅窓院から改葬と記述されていた書物があったが、墓誌には名が刻まれていない。
*河田景與の墓所は1934(S9)まで、東京都の青山墓地の近くにある青山梅窓院墓地にあったが、
1934(S9)11月20日に池田仲博(元鳥取藩主で侯爵)公の恩命により多磨霊園に改葬された。
池田仲博の墓所は多磨霊園(1-1-1-3)である。
*墓所は五輪塔(景与の戒名が全面に刻み、裏面は子爵)、その右側に小さい十字架を刻む寝墓石(S29建立)があり、
河田須賀江と全面に刻む。裏側に景延の妻とある。墓誌には景延夫人河田賀江と刻む。同一人物であろう。
また、墓所内灯篭が二基建つが、「生野挙兵」に失敗、鳥取藩士にとりたてられ、
河田景與と共に戊辰戦争を戦い後に銀行家として活躍した原六郎(7-1-5-9)が明治31年4月1日に寄贈したものである。
*多磨霊園の河田家の墓誌には以下のように刻まれている。裏面は改葬の意が刻む。
従二位勲一等子爵 | 河田景興 | M30.10.12 | 享年70 |
妻 | 河田喜久子 | M30.1.23 | |
従五位陸軍士官候補生 | 河田頼功 | M30.3.26 | 享年23 |
4女 | 河田静枝 | M32.4.17 | 享年23 |
陸軍歩兵大尉従四位勲五等功五級 | 河田景延 | M37.8.31 | 享年32戦死 |
3男 | 河田早世 | M13 | 童子 |
| 河田興志衛 | S10.4.9 | 享年77 |
景延夫人 | 河田須賀江 | | |