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かわだ よりかつ

河田頼功

かわだ よりかつ

1875(明治8)〜 1897.3.26(明治30)

明治期の陸軍候補生

埋葬場所: 11区 1種 12側

 東京出身。子爵の河田景与(同墓)と喜久子(天保12.3.19〜M20.1.23)の嗣子。近衛歩兵第四聯隊陸軍士官候補生となる。従五位。 1897(M30)3月演習中に落馬し脳出血を起し、26日回復虚しく佐倉衛戌病院にて卒した。享年23歳。 同じ年に父の河田景与も没し、河田景福の孫である須賀江と結婚した景延が河田家と子爵を継いだ。

<明治過去帳 512頁>


*墓誌には陸軍士官候補生従五位と刻む。

*同墓には河田保寿(書家)も眠っている可能性があるという情報もある。河子昌。父は河田景介。 弟:景福。景与とも兄弟。天明3.9.11。梅窓院から改葬と記述されていた書物があったが、墓誌には名が刻まれていない。

*河田景与の墓所は1934(S9)まで、東京都の青山墓地の近くにある青山梅窓院墓地にあったが、 1934(S9)11月20日に池田仲博(元鳥取藩主で侯爵)公の恩命により多磨霊園に改葬された。 池田仲博の墓所は多磨霊園(1-1-1-3)である。

*墓所は五輪塔(景与の戒名が全面に刻み、裏面は子爵)、その右側に小さい十字架を刻む寝墓石(S29建立)があり、 河田須賀江と全面に刻む。裏側に景延の妻とある。墓誌には景延夫人河田賀江と刻む。同一人物であろう。 また、墓所内灯篭が二基建つが、「生野挙兵」に失敗、鳥取藩士にとりたてられ、 河田景与と共に戊辰戦争を戦い後に銀行家として活躍した原六郎(7-1-5-9)が明治31年4月1日に寄贈したものである。

*多磨霊園の河田家の墓誌には以下のように刻まれている。裏面は改葬の意が刻む。

従二位勲一等子爵河田景興M30.10.12享年70
河田喜久子M30.1.23
従五位陸軍士官候補生河田頼功M30.3.26享年23
4女河田静枝M32.4.17享年23
陸軍歩兵大尉従四位勲五等功五級河田景延M37.8.31享年32戦死
3男河田早世M13童子
河田興志衛S10.4.9享年77
景延夫人河田須賀江


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