福岡県出身。父は地質学者・鉱床学者の加藤武夫(同墓)。3歳の時に東京に移転。1942(S17)慶応義塾大学英文科卒業。在学中に原田義人(5-1-52)、芥川比呂志、矢代静一らと「新演劇研究会」をつくる。ジャン・ジルドゥと折口信夫に傾倒。
'44青春の遺書といえる長編戯曲『なよたけ』を脱稿した直後に、陸軍通訳官としてニューギニアに赴任、死線をさまよった。
この間、『なよたけ』は岸田国士(18-1-10-1)らに、その格調のある詩劇様式を高く評価され、後に第一回水上滝太郎(5-1-16-6)賞受賞('48)。
'46帰国。新演劇研究会のメンバーであった滝浪治子(女優の加藤治子)と結婚。'47新演劇研究会は「麦の会」として再出発。
'49「挿話」上演後、麦の会は文学座に合流。以降も劇作と演出に新風を吹き込んだ。
戯曲・翻訳・評論を多く残した。 主な著作に、'52『襤褸と寳石』、『祖国喪失(原作:堀田善衛)』、'53『ジャン・ジロゥドゥの世界 人とその作品』、『加藤道夫集』。
翻訳に、'50『君が人生の時』(ウィリアム・サローヤン)、'51『カリギュラ・誤解』(アルベール・カミュ )、'52『アルルの女』(アルフォンス・ドオデ)、'53『正義の人々』(アルベエル・カミュ、白井健三郎共訳)、'54遺作となった『マリアンヌの気紛れ』(アルフレッド・ド・ミュッセ)がある。
強度の神経衰弱により自宅書斎で首吊り自殺。享年35歳。