熊本県出身。キリスト教伝道者の金森通倫・小寿(共に同墓)の長男。弟に実業家の金森次郎、医師の金森五郎、製鉄技師で原色押花の創案をした金森九郎(兄弟全員同墓)がいる。
1913(T2)東京帝国大学法科大学独法科を卒業。農商務属となり、兵庫県の朝来、兵庫県明石郡長をつとめる。
その後、島根県の理事官と産業課長をつとめ、続いて、茨城、静岡各県警察部長、福島、長野各県内務部長、大阪府警察部長、東京府内務部長を歴任した。
1933.6.23〜1934.10.30(S8〜S9)第27代徳島県知事に就任。在任1年4ヶ月。次いで、1934.10.30〜1936.10.7(S9〜S11)第25代山形県知事に就任。
在任1年11ヶ月。山形県知事時代は、農村不況の対策で臨時県会という厳しい知事生活から始まり、翌年も引き続きそのための臨時県会が開かれているが、自立更生のための部落共同作業場設置の奨励策をとったりと努める。
しかし、統制色が強まり、米穀統制法に反対する米商連の大会が開かれるなど終始苦戦した。内務省退官後は、東北船渠(株)社長となった。享年69歳。
妻の花子との間の長女の和子は鳥取県官僚で政治家の石破二朗(1908〜1981)に嫁ぎ、小泉内閣・福田内閣で防衛庁長官(防衛大臣)、麻生内閣で農林水産大臣を務めた政治家の石破茂である。