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かなもり くろう

金森九郎

かなもり くろう

1907(明治40)〜 1977.6.23(昭和52)

大正・昭和期の鉄鋼技師、原色押花の創案者

埋葬場所: 15区 1種 13側

 金森通倫・小寿(共に同墓)の子。兄に内務官僚の金森太郎がおり、太郎の娘で姪の和子は鳥取県官僚で政治家の石破二朗(1908〜1981)に嫁ぎ、その子は小泉内閣で防衛庁長官を務めた政治家の石破茂である。
 八幡製鉄所技師、富士製鉄釜石製鉄所副所長、釜石製鉄所副所長を経て、1946(S21)吉川晴十の停年退職に伴い、東京大学第二生産工学部の教授として着任し、以後、製鉄研究の道へと歩む。 仙人峠の紅葉の美しい色を保存できないものかと研究に没頭し、鉄の焼き入れをヒントに技法を思いついた「原色押花」を創案した。 主な著書に、『鉄の製錬―製鉄法の将来』 (1955 浅井 一彦と共著)、『原色押花』 (1968)、『原色押花の作り方』 (1974)がある。 '77正四位、勲四等旭日小綬章。享年70歳。


墓誌

*墓所内墓石は和型であり、前面に「金森家之墓」、右面に「金森小壽之墓」と刻む。墓誌もあり、名前を見ることができる。




【金森家の家系図】
金森家の家系図

 


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