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ごどう てるお

伍堂輝雄

ごどう てるお

1906.1.1(明治39)〜 1993.12.16(平成5)

昭和・平成期の弁護士、実業家

埋葬場所: 7区 1種 13側

 山口県山口市出身。広島県広島市南区出汐育ち。旧姓は永野。 10人兄弟の五男として生まれ、実兄の永野護は政治家、永野重雄(20-1-22)は財界人、永野俊雄は五洋建設会長、実弟の永野鎮雄は政治家、永野治は石川島播磨重工(IHI)会長を務めた。海軍中将・政治家の伍堂卓雄(同墓)の養子。
 東京帝国大学卒業後、岩田寅造法律事務所に勤務し、1933(S8)日本鋼管顧問弁護士となる。 養父が社長を務めていた昭和鋼管勤務、鉄道大臣秘書官を経て、'41日本鋼管に入社。'49取締役、'54常務取締役鶴見製鉄所長などを歴任。 '57ジュネーブILO総会で使用者代表顧問として出席。'63日本航空(JAL)へ移り専務に就任。その後、副社長を経て、'69日本航空会長に就任した。日経連専務理事、東京空港交通社長なども務める。享年86歳。
 広島県知事を務めた永野厳雄、三菱マテリアル社長や日経連会長を務めた永野健、大同鋼板社長を務めた永野辰雄は甥にあたる。

<日本の実業家など>


*同墓には養父の父であり、幕末・明治期に種痘医として活躍した医学者の伍堂卓爾(同墓)も眠る。


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