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ごどう たくじ

伍堂卓爾

ごどう たくじ

1844(弘化1)〜 1918.8.5(大正7)

幕末・明治期の医学者、種痘医

埋葬場所: 7区 1種 13側

 石川県金沢出身。適塾・長崎マンスフェルト門下。金沢藩留学生としてオランダのユトレヒトに医学留学。 1869(M2)加賀藩と取引のあったドイツ商人アデレアンの仲介により、オランダ陸軍軍医総監のファン・ハッセルトと交渉し、アムステルダムでスロイスと月給洋銀400ドルで3ヶ月間金沢の医学院において医学生徒を教育し、病院内外の患者の治療に従事する契約(藩命)を結ぶことに成功し金沢に招聘した。 1871.4スロイスは金沢に赴任。任期満了で帰国する1874.9までの間、金沢医学館(金沢大)でオランダ医学を系統的かつ広範に教授する。伍堂も金沢藩医学館教授となり、種痘医として活動。種痘(しゅとう)とは、天然痘の予防接種のことである。
 後に台湾兵站軍医部長として現地に赴くも、マラリアにかかり後送され、帰国後、休職させられる。 なお、この時に同じくマラリアにかかり後送された中に、石阪惟寛(10-1-6)、土岐頼徳がいた。享年75歳。 戒名は見敬院釋得慶善友居士。長男は海軍中将で政治家の伍堂卓雄(同墓)。孫養子の伍堂輝雄(同墓)は弁護士、日本航空会長などを務めた。

<日本洋楽人名事典など>


 


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