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いしざか いかん

石坂惟寛

いしざか いかん

1840.2.21(天保11)〜 1923.7.29(大正12)

明治・大正期の医学者(軍医総監)

埋葬場所: 10区 1種 6側

 備中国小田郡北川村(現在岡山県笠岡市)の豪農茅原貞蔵の四男として生れる。幼名を逸蔵といい、のち石坂堅壮(同墓)の養子となり長女道子と結婚した。
 1860(万延元年)大坂に出て緒方洪庵の適塾において蘭学及び医学を学んだ。さらに、上京し大学東校に進み卒業後陸軍軍医正に任官した。 西南戦争に従軍し傷病兵の治療に当った。日清戦争の際には第一軍軍医部長、さらに軍医総監に任ぜられたがまもなく辞任、以後神奈川県三崎の別荘で余生を送った。

<日本洋学人名事典>
<MATSU様より情報提供>


*青山墓地より改葬

*ヨミを「これひろ」とするものもある。

*養嗣子に陸軍中将の石坂善次郎がいる。


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