東京出身。祖父は藤山コンチェルンの基礎を築いた実業家の藤山雷太(同墓)、父は藤山コンチェルンを引き継ぎ政治家としても活動した藤山愛一郎(同墓)。母は日本銀行総裁や大蔵大臣を務めた結城豊太郎の三女の久子(同墓)。長男として生まれる。
1950(S25)慶応義塾大学工学部卒業。卒業後、藤山コンツェルンの1社である日東化学に入社。'55〜'58社員の身分のままMITマサチューセッツ工科大学に留学し工業経営学を専攻。日東化学から日東ユニカーを経て、'65大日本製糖に専務として入社。'69大日本製糖が47%の株を保有していたホテルニュージャパンの社長となる。'71大日本製糖の社長に就任。'77日豪砂糖交渉で日本の精糖会社31社で構成される日本側交渉団の団長として困難な国際間交渉にあたる。しかし、当時の日本の製糖業は構造不況で業績が落ち、'78上場廃止を機に社長を退任し会長になる。'79ホテルニュージャパンを横井英樹(9-1-1-7)に売却。後にホテルニュージャパンは防災設備・防災訓練を無視した横井英樹の強引な経営ぶりが裏目に出、'82.2.8宿泊客の寝席涅から引火した火災が33人死亡という大惨事を起こすことになる。'82会長も退き相談役になる。'83日本NCR常勤監査役。他には日本ATT情報システム監査役、株式会社集成社の監査役、一般社団法人交詢社評議員、慶應義塾評議員、社団法人糖業協会理事長などを務めた。
インド古典文学(インド古典詩・インド古典戯曲)に関心を持ち、ヒンディー語やサンスクリット語を学ぶ。インド古典戯曲『チャトゥルバーニー』(邦題:『遊女の足蹴』)やインド古典詩『ハンサ鳥に託して』などの翻訳を行った。またインド古典について研究をした。東京都港区の病院で逝去。享年86歳。告別式は8日に東京・増上寺光摂殿で営まれた。