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よこい ひでき

横井英樹

よこい ひでき

1913.7.1(大正2)〜 1998.11.30(平成10)

昭和期の実業家(ホテルニュージャパン)

埋葬場所: 9区 1種 1側 7番

 愛知県中島郡平和町出身。貧しい農家で生まれる。高等小学卒業後、15歳で上京。東京日本橋の繊維問屋に丁稚奉公をした後、10代で独立。戦時中は軍衣などを製造、戦後は占領軍関係の衣料の製造販売などで財を成す。
 1953(S28)デパート白木屋の株を買い占めて騒がれ、'55持ち株を譲渡。その後、'57引き揚げ船だった興安丸を買い取り東洋郵船を設立。クルーズ事業、観光・レジャー事業に乗り出した。'58.6.11安藤組赤坂支部の千葉一弘(後の住吉会住吉一家石井会相談役)に拳銃で銃撃される事件が起こる(横井英樹襲撃事件)。これは'50蜂須賀侯爵から3000万円借りていたが、内2000万円を払っていなかったため、依頼された安藤組組長安藤昇の取り立てをも拒否したためとされている。このような事件に巻き込まれても、翌年'59東洋精糖などの株を買い占め、世間から「乗っ取り屋」と言われる。
 '79大日本精糖が経営していたホテル・ニュージャパンの株式の約7割を買収し経営権を握る。防災設備・防災訓練を無視した強引な経営ぶりが裏目に出、'82.2.8宿泊客の寝席涅から引火した火災が33人死亡という大惨事になり、横井は業務上過失致死傷の容疑で逮捕、起訴された。'87東京地裁で業務上過失致死傷罪で禁錮3年の有罪判決を受け、'90(H2)東京高裁でともに禁固3年の実刑判決、'93最高裁で決定した。'94より東京都八王子市の医療刑務所で服役したが、'96仮釈放となり、'97刑期を終えた。裁判中、'91秘密裡にニューヨークのエンパイアステートビルを買収したが、同ビルは所有権と賃借権が分離しており、ほとんど利益が出ないまま撤退している。
 一時は資産数億円とも言われていたが、晩年は住民税4億円も滞納するほどであり、死去する一ヶ月前に田園調布の駅前一等地の豪邸を手放し、その後は弟夫婦と暮らしていた。なお、横井邸を購入したのは美白ブームで話題になった美容研究家の鈴木その子である。虚血性心疾患のため逝去。享年85歳。荼毘に付された横井の遺骨からは銃弾が一発発見されたという。

<新潮人名辞典>
<朝日人名辞典など>


*妻は路子。長男は横井邦彦(同墓)で父が乗っ取った東洋不動産や山科精工所の社長を務めた実業家。長女は智津子(1944生)。智津子は建築家の坂倉竹之助と結婚し、その子(横井英樹の孫・戸籍上は英樹の養子となっている)はラッパーでキングギドラのメンバーの兄のZEEBRA(本名:横井英之)と、弟のSPHERE(本名:坂倉友之)がいる。次男の横井裕彦(1945生)は、トーヨーボール、ホテルニュージャパン、東洋郵船などの社長を務めた実業家。2000(H12)東洋郵船所有の船原ホテルの金の浴槽が盗まれたと届け出たことにより一躍話題になった。父没後、目黒区の繊維取引会社でありダイエー碑文谷店の家主でもあった横井産業の社長に就任。2004パチンコ業のビッグウェーブと、契約書不正の疑いで家宅捜査を受ける。庶子(愛妾の子)に中原キイ子(1945生)がおり、横井英樹と中原キイ子の夫のジャンポール・ルノワール(フランス系アメリカ人)と共にフランス・イギリスの古城を買い漁った際の所有権や、1991.8.23中原キイ子が代理人となり秘密裡にニューヨークのエンパイアステートビルを横井英樹が4000万ドルの価格提示(希望入札価格2500-3000万ドルのところ)をし、摩天楼のオーナーとなった。しかし、それらの所有を巡って横井英樹と親族らと法廷闘争を引き起こし世間を賑わせた。


【ホテルニュージャパンと横井英樹】
 1982(S57)2月8日未明、戦後最大の乗っ取り屋といわれた横井英樹が経営する東京・赤坂のホテルニュージャパン9階から出火。 宿泊客442人のうち、9階と10階に宿泊していた103人が猛煙と炎に巻き込まれた。焼死など火災による死者だけでなく、有害ガスを含んだ煙から逃れるために窓から飛び降りるなどして33人が死亡、24人が重軽傷を負った。出火原因は9階に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因だと言われている。社長の横井は、いつもの蝶ネクタイ姿でマスコミ陣の前に現れ、拡声器で「悪いのは火元となった宿泊客だ」と発言。火災当時、人命救助よりもホテル内の高級家具の運び出しを指示したとして、国民から大顰蹙を買った。スプリンクラー設備の不備や火災報知器、館内放送設備の故障を放置していた責任が問われ、業務上過失致死容疑で逮捕、有罪判決を受け、転落人生を歩むこととなった。
 ホテルニュージャパンは1960年に政治家の藤山愛一郎(11-1-2-2)の一族率いる藤山コンツェルンが開業した。 しかし、資金繰り悪化のため、大日本精糖等を経て、最終的に横井英樹に乗っ取られたという経緯がある。 余談であるが、プロレスラーの力道山が'63キャバレー「ニューラテンクォーター」で暴力団にナイフで刺されたのがきっかけで死亡した事件、そのキャバレーが入居していたのもホテルニュージャパンである。
 火災後のホテルは14年間放置され、その間、横井は敷地を担保に巨額の融資を引き出したとされる。 最大の債権者であった千代田生命がバブル崩壊後の'95自己競落し、'96解体。 その後2000年に千代田生命が破綻したため、米国プルデンシャル生命が買収、森ビルと共同でプルデンシャルタワーの建設に着手した。 2002年12月地上38階建てのプルデンシャルタワー完成、現在に至る。

<ホテルニュージャパン呪われ続ける土地など>


【多磨霊園の横井家墓所】
 横井家墓所は写真の通り、大きな敷地に納骨堂が建つ。納骨堂の左側壁面に建立者として横井英樹の名が刻む。墓所内に墓誌もあるが、横井英樹の名は刻まれていない。納骨堂の扉は投石の後が残り、へこみが見られる。
 正面の納骨堂を入ると、ラセン階段で下に降りることができる。墓所敷地面積と同じ空間の納骨堂がある。 昔は電気も引っ張ってきており明かりが灯るようになっていたらしい。その明かりを灯していたのはシャンデリアであり、納骨堂の中も豪華であったらしい。逮捕後はこの納骨堂の中にも家宅捜索が入ったという。

納骨堂 納骨堂

<関係者談>


【多磨霊園の横井家墓所 その2】
 2010年春頃、横井家の墓所は大幅リニューアルのために工事に入りました。
納骨堂 納骨堂 納骨堂


 夏頃は納骨堂は青ビニールシートに覆われ、墓所内の工事に取り掛かっていました。
納骨堂 納骨堂


【多磨霊園の横井家墓所 その3】
 2010年秋に現在の形に完成しました。右壁に墓誌が建つ。「興安院釋尼妙雅 俗名 雅子 昭和四十年十一月八日没 行年八十一才」が刻むのみで、その他の眠っている人物たちの刻みはされていない。刻まれている横井雅子は英樹の実母であると思われる。多くの書物では「政」「政子」とするものがほとんどであるが、刻みは「雅」である。
納骨堂 納骨堂


 2019年はツタが納骨堂を覆ってきています。
納骨堂 納骨堂


 2020年現在はツタが成長しています。
納骨堂


 2021年4月現在はツタが納骨堂を覆いました。
納骨堂 納骨堂


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