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ひるま けんぱち

比留間賢八

ひるま けんぱち

1867.3.15(慶応3)〜 1936.4.15(昭和11)

明治・大正期の音楽家
(チェロ・マンドリン・ハーモニカ)

埋葬場所: 2区 1種 4側 17番

 江戸で生れる。1887(M20)音楽取調掛卒業後、渡米してチェロを学ぶ。1899(M32)ドイツに渡り、マンドリンを持ち帰って日本に広めた。
 音楽取調掛でマンドリン音楽の先駆者として活躍。1901(M34)日本で最初のハーモニカ演奏会を行った。ハーモニカは1827ドイツのクリスチャン・メスネルによって発明された。 日本に輸入されたのは、明治24年という説もあるが、記録に確認できる最初のものは明治31年8月29日の『読売新聞』の広告で、「横笛(ハーモニカ)」と記している。比留間の演奏会はこの広告からわずか三年後だ。
 以後その普及に尽力し、その門下には音楽家の斎藤秀雄(2-1-4-4)をはじめ、詩人の萩原朔太郎、作家の里見とん、画家の藤田嗣治、陶芸家の富本憲吉、華族の徳川義親、武井守成、土方与志などがいる。享年70歳。
 娘の比留間きぬ子(1915〜2002.12.7 同墓)もマンドリン奏者、マンドリン界最高権威者として活躍した。「比留間賢八の生涯」を飯島國男が著し、音楽評論家の属啓成(26-1-33)が推薦の言葉を寄せた。 なお、飯島國男は音楽家であり、比留間きぬ子にマンドリンを師事した弟子である。

<芸能人物事典>
<近代日本の先駆者>


碑

*墓所正面に比留間家之墓。左面に賢八や妻のやすの名が刻み、娘のきぬ子の名前は本名の比留間絹として裏面に刻む。 墓所右側に賢八の碑が建ち、マンドリンの絵も刻む。碑の建立者は絹である。右側には1923.9.20(T8)に5歳で没した息子の友次の小墓が建つ。


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