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ひるま きぬこ

比留間きぬ子

ひるま きぬこ

1915(大正4)〜 2002.12.7(平成14)

昭和・平成期のマンドリン奏者、指導者

埋葬場所: 2区 1種 4側 17番

 父はマンドリン音楽の先駆者である比留間賢八・やす(共に同墓)の子。本名は絹。幼少より父にマンドリン・ギターを学ぶ。8歳の時から長唄を杵屋栄美恵、日本舞踊を坂東三豊に師事。1927(S2)より4年間、東京音楽学校(東京芸術大学)の分教場・選科に於いて声楽を武岡鶴代(22-1-90)、立松房子、長坂好子に学ぶ。  '27JOAK(NHK)マンドリン独奏を12歳にして初放送。'32初リサイタル。以後、独奏者、指導者として比留間マンドリン研究所、比留間アンサンブルなどを主宰育成した。'39(S14)11月日本で最初のテレビ公開実験に於いてマンドリン独奏を演奏をし、我が国初めてのテレビ出演者となる。'55渡辺精二に依頼し初めて幼児用の小型マンドリンを製作し、四才児より指導をなす。'61西独ザールブルッケン国際音楽セミナーに講師として招聘され、ドイツに逗留して、放送録音、演奏会、テレビ出演などを行った。神戸商業大学(神戸大学)、神戸女子薬科大学、ノートルダム清心女子大学の各クラブ講師や、日本マンドリン連盟顧問などを歴任。我が国マンドリン界の最高権威者で、東京と兵庫県芦屋市に比留間マンドリン音楽学院の教室を開き、多くの門弟を輩出した。また、ラジオ、テレビ、映画音楽など多方面で活躍した。享年87歳。

<「比留間賢八の生涯」飯島國男など>


碑

*墓所正面に比留間家之墓。左面に賢八ややすの名が刻み、きぬ子の名前は本名の比留間絹として裏面に刻む。 墓所右側に賢八の碑が建ち、マンドリンの絵も刻む。碑の建立者は絹である。右側には1923.9.20(T8)に5歳で没した弟の友次の小墓が建つ。


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