歴史が眠る多磨霊園 |
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廣瀬林外 | |
ひろせ りんがい | |
1836(天保7)〜 1874(明治7) | |
幕末・維新期の儒学者 | |
埋葬場所: 21区 1種 16側 1番 | |
廣瀬旭荘の子。伯父の廣瀬淡窓に養われ、廣瀬青邨(同墓)と咸宜園(かんぎえん)を経営。 維新後は東京の史館に勤めた。詩文は淡窓・旭荘を凌ぐとの評をえた。林外遺稿は有名。 <コンサイス日本人名事典>
*「咸宜園」は広瀬淡窓の後、旭荘・青邨・林外 と受け継がれ、1873(M5)林外の上京後は一時閉塾したが、
1898(M31)旧門弟の村上姑南や廣瀬貞文(同墓)によって再開され、その後も門弟たちが引き継いで教授した。
なお「咸宜園」の出身者で多磨霊園に眠る人物は、明治の学制に貢献した漢学者の長三州(12-1-17-22)がいる。
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