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うしろく しんたろう

後宮信太郎

うしろく しんたろう

1873.6.17(明治6)〜 1960.5.4(昭和35)

明治・大正・昭和期の実業家、台湾の金山王

埋葬場所: 11区 1種 2側

 京都府北桑田郡神吉村(南丹市八木町神吉)出身。神吉村の地主で農家であった後宮力(同墓)の長男として生まれる。次弟にブラジルや朝鮮で活躍した後宮武雄、4番目の弟に陸軍大将の後宮淳(21-1-12)がいる。
 神吉小学校を卒業し、同志社英学校(同志社大学)に入るが、父が木材事業に失敗したため学校を中退し、神戸の外国商社に勤める。韓国への食料品事業の行商人を行う。
 1895.9.18(M28)台湾に渡り、鮫島商工に入社。レンガの生産販売を始める。1899社長に就任。1913(T2)台湾煉瓦株式会社と社名を変更し事業の多角化を図り、30以上の工場に新しい技術と設備導入で台湾最大のレンガ事業を展開した。また、高砂酒造株式会社を設立。'25(T14)金爪石の鉱山を購入し、金爪石鉱山株式会社の社長に就任。金を掘り当て「金山王」の異名を得た。なお、同社の取締役には息子の後宮末男(同墓)や赤司初太郎(10-1-7)らもいる。
 '33(S8)本拠を東京に移し、'34徳島に東邦人造繊維会社(東邦テナックス)を設立。その他、設立・関与した会社は台湾を中心に多数にのぼる。台湾総督府評議員、台湾商工会議所会頭、台北商工会議所会頭など重要なポストを任され、金爪石鉱山、東邦レーヨン、乳棒島炭鉱山、高砂エール、台湾リアンタイル、北投セラミック、台湾ガス、南日本汽船、東海自動車両運搬、新興化学工業、国内のウール、台湾製紙会社など10数社を設立し取締役を務め、日本統治下の台湾において重きをなした。
 戦後は日本に戻り、台湾協会会長を務めた。脳溢血で逝去。享年86歳。

<南丹人名辞典など>


墓所

*墓石は和型「後宮家之墓」。右側に墓誌がある。戒名は雄信院龍雲哲心居士。妻はトミ。1896(M29)トミと結婚した。

*甥に外交官を務めた後宮虎郎(21-1-12)がいる。


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