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あかし はつたろう

赤司初太郎

あかし はつたろう

1874.1.7(明治7)〜 1944.2.12(昭和19)

明治・大正・昭和期の実業家、財界人

埋葬場所: 10区 1種 7側

 高知県出身。赤司庄蔵の長男。若いころ、北海道で材木海産農産物販事業など林業や水産業に携わる。1894(M27)日清戦争に際し、清国に渡り陸軍用達業を営み、1895 乙末戦争の際にも陸軍軍属として台湾に渡った。1898 雲林県斗六で雑貨店や旅館を経営し、1902まで陸軍用達業を務めた後、台湾にて開墾製肥製粉植林業を営み、'08.5 雲林拓殖合資会社を設立し代表となるなど、様々な事業を展開した。
 樟脳製造業で成功し、次いで鉱業、製糖業、酒造業、新聞事業などを起こす。東邦炭砿、満洲製糖、昭和製糖、台湾電燈、台湾パルプ、台湾日日新報、台湾軌道、台湾合同鳳梨、東邦金属精錬、台湾苧麻、内外ビルデイング、大正製酒など17社の社長、日華紡織など13社の董事(取締役)を務めた。
 主に台湾の産業界で活躍し、後に証券会社の経営にも携わった財界人である。その他、斗六衛生組合長、斗六庁愛国婦人会顧問、斗六街市区建設委員、地方税委員、嘉義庁地方税委員、嘉義庁市敷地調査委員、南投農会名誉評議員、台北州協議会員、台北建築調査委員、台北市区政改正調査委員など地方のさまざまな公職も歴任した。
 1940(S15)東京発動機株式会社(トーハツ)の2代目社長に就任。就任してすぐに陸海軍の協力管理工場に指定され、当時唯一の小型ガソリンエンジンの軍需工場として開発、生産にて大躍進させた。心臓病により逝去。享年70歳。没後、土師清二が 『赤司初太郎伝』(1948)を著している。

<植民地帝国人物叢書>
<人事後進徳>


赤司初太郎君墓碑 墓所

*墓所正面に和型「赤司家之墓」、裏面「昭和十四年十月 赤司初太郎 建之」。右側に墓誌があり、戒名は大慈院殿顕正日輝居士。妻は芳子(M9.2-S13.5.9歿:徳島県出身・旧姓は日野)。長男は赤司大介(T2.9-H4.12.2歿)。大介の妻は栄(H27.7.10.2)。墓所入口左側に「赤司初太郎君墓碑」が建つ。

*長男の赤司大介(1913-1992.12.2)も戦後(1946)東京発動機社長(トーハツ)の社長を務めた実業家。


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