宇垣一成(6-1-12-1)とは親族。 海大教官・駐独武官・「日向」艦長などを経て1941(S16)連合艦隊参謀長とエリートコースで出世する。 43年4月18日、山本五十六(7-特-1-2)長官の巡視出張に同行し、米航空隊の攻撃を受け遭難した。 翌年2月第一戦隊司令官、戦艦「大和」に将旗を掲げてレイテ突入を計ったが、 栗田建男(21-2-57)長官の反転命令で果たせなかった。 さらに45年2月第五航空艦隊司令長官となった。以後、鹿屋基地より特攻隊を送り出す日が続いた。 8月15日終戦の日の午後、纏は自決を懇願し、それに募った22名の搭乗員11機とともに出発し特攻自決をした。 仲間道ズレでの自決に対して賛否両論がある。
<別冊歴史読本「日本海軍総覧」>
宇垣一成、 山本五十六、 栗田建男