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うえむら ますぞう

植村益蔵

うえむら ますぞう

1885.12.12(明治18)〜 1969.1.14(昭和44)

明治・大正・昭和期の救世軍士官(中将)

埋葬場所: 7区 1種 5側 1番
(救世軍士官墓地)

 奈良県出身。1906(M39)救世軍士官候補生になり、日本の救世軍士官学校とロンドン救世軍万国士官学校で訓練を受けた。
 帰国後、関西と東京の小隊長を経て、南満中隊長と育児・婦人ホームの監理になった。その後、京北連隊長に就任。'16(T5)司令官の秘書および東京中隊長に着いた。'25 ロンドン救世軍参謀士官学校で学ぶ。帰国後は、士官学校校長、社会部長、戦場部長、書記長官を歴任する。
 '38(S13)日本救世軍司令官に就任。'39 救世軍最高会議に出席するためにイギリスに渡る。'40 軍平の著書『平民の福音』が発禁処分となり、イギリス人宣教師と植村益蔵ら、日本人士官がスパイ容疑で逮捕された。この事実無根な逮捕で東京憲兵隊本部で取り調べを受ける。また「皇軍以外で『軍』を名乗る組織が存在することは認められない」という理由で「日本救世団」に強制改称させられ、組織も改編させらる。最終的には日本基督教団に吸収され、救世軍は事実上の解散状態に追い込まれた。これにより、退任を余儀なくされ、郷里に戻った。
 '46 戦後、救世軍が再建されると、司令官に再任される。以降、救世軍再建の中心的な役割を果たした。'48 中将に昇進。'56 引退。引退後は救世軍の顧問を務める(〜'64)。享年83歳。

<日本キリスト教歴史大事典など>


うえむら ますぞう (←画像をクリックで拡大)

*多磨霊園の救世軍士官墓地(士官)にて仲間たちと眠る。墓石右面に手前と奥、上段下段に名前と没年月日が刻む墓誌がはめ込まれている。手前の墓誌の上段 右から2番目「植村益蔵」と刻む。

*救世軍は1865、英国の牧師ウィリアム・ブース夫妻によって創設された伝導と社会福祉事業を行っている団体。日本では、1895から活動が始められた。山室軍平(15-1-11-1)が日本人初の司令官となる。


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