奈良県出身。1906(M39)救世軍士官候補生になり、日本の救世軍士官学校とロンドン救世軍万国士官学校で訓練を受けた。
帰国後、関西と東京の小隊長を経て、南満中隊長と育児・婦人ホームの監理になった。その後、京北連隊長に就任。'16(T5)司令官の秘書および東京中隊長に着いた。'25 ロンドン救世軍参謀士官学校で学ぶ。帰国後は、士官学校校長、社会部長、戦場部長、書記長官を歴任する。
'38(S13)日本救世軍司令官に就任。'39 救世軍最高会議に出席するためにイギリスに渡る。'40 軍平の著書『平民の福音』が発禁処分となり、イギリス人宣教師と植村益蔵ら、日本人士官がスパイ容疑で逮捕された。この事実無根な逮捕で東京憲兵隊本部で取り調べを受ける。また「皇軍以外で『軍』を名乗る組織が存在することは認められない」という理由で「日本救世団」に強制改称させられ、組織も改編させらる。最終的には日本基督教団に吸収され、救世軍は事実上の解散状態に追い込まれた。これにより、退任を余儀なくされ、郷里に戻った。
'46 戦後、救世軍が再建されると、司令官に再任される。以降、救世軍再建の中心的な役割を果たした。'48 中将に昇進。'56 引退。引退後は救世軍の顧問を務める(〜'64)。享年83歳。