熊本県出身。1895.12.21(M28)海軍兵学校卒業(22期)。海軍少尉候補生で金剛乗組となる。1896.10.2高雄乗組を経て、1897.1.26少尉任官となり、同.8.25扶桑乗組、同.12.28高雄乗組、1898.7.8笠置回航委員として米国出張した。1898.8.6笠置乗組、同.10.1中尉に進み、1899.5.16帰着。
1900.1.12笠置分隊長心得、同.9.25大尉に昇進し、笠置分隊長、次いで'01.2.14愛宕航海長となった。同.6.7海軍大学校乙種学生となり、'02.7.8待命となるが、同.7.17直ぐに松島航海長 分隊長、同.11.24松島分隊長、'03.9.11笠置航海長として日露戦争に従軍。'05.2.13海軍兵学校航海術教官 監事、同.8.5少佐となり、翌年から海軍大学校甲種学生に戻る。同.4.1日露戦争の功で功五級金鵄勲章。
'07.12.18海軍大学校甲種卒業(5期)。同期に清河純一(後の海軍中将:11-1-10-12)、松村菊勇(後の海軍中将:10-1-2)らがいた。佐世保鎮守府参謀 望楼監督官を任ぜられた。'09.2.1海軍省軍務局員を経て、'10.12.1中佐になり、'11.12.1艦政本部艤装員 金剛回航委員として英国出張。'12.12.1(T1)金剛航海長 艦政本部艤装員、'13.8.16金剛航海長、同.11.5帰着した。'14.3.23 海軍大学校教官、同.8.20比叡副長となったが、同.12.1再び海軍大学校教官。'15.11.7勲3等旭日中綬章。同.12.13大佐に昇進し、矢矧艦長に着任。
'16.12.1浅間艦長、'18.7.17安芸艦長、同.11.10摂津艦長を歴任し、'19.6.10第三艦隊参謀長に就任。'20.11.20舞鶴鎮守府参謀長心得、同.12.1少将に進級し、舞鶴鎮守府参謀長に任ぜられた。'22.3.29勲2等瑞宝章。同.12.1軍令部出仕。'23.6.1海軍省の外局の水路部の部長に就任。3年前の大正9年に水路部令が制定され、水路部は水路の測量、兵要海象の観測、水路図誌、航空図誌の調整準備、保管・供給、航海、航空保安に関する事項を行った(戦後は運輸省に移管)。
'24.12.1中将に累進し、軍令部出仕。'25.3.2待命、同.3.20予備役。同.4.15正4位。'34.7.1(S9)後備役編入され、'39.7.1退役。正4位 勲2等 功5級。享年82歳。