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おしかわ きよし

押川 清

おしかわ きよし

1881(明治14)〜 1944(昭和19)

日本プロ野球創設者

埋葬場所: 17区 1種 45側

 宮城県出身。愛媛県出身のキリスト教牧師の押川方義の次男で、方義が仙台で布教活動をしている時に生まれた。 幼少期は仙台で過ごす。兄は「海底軍艦」をはじめ、熱狂的なファンが多かった冒険作家の押川春浪。 東京専門学校(早稲田大学)に入学し、1906(M39)早慶戦中断時の早大主将。 野球創世記のチームで強打の二塁手、左翼手として鳴らした。 初の渡米遠征にも参加、卒業後、稲門倶楽部員として野球の発展に尽力、 1920(T9)日本初のプロ野球チームといってよい「日本運動協会(通称・芝浦協会)」の創設メンバーに加わり、 東京・芝浦に独自の球場を作って球場経営も行ったが、関東大震災でその画期的な構想は実らなかった。 1937(S12)早大野球部時代以来の球友、河野安通志らと小石川・後楽園にプロ野球専用の球場を建設、 「後楽園野球倶楽部・イーグルス」を創設、その球団社長に就任した。監督に森茂雄を招く。 1944(S19)63歳で死去。 1959(S34)「野球殿堂」が設けられた第一回目の表彰の際に正力松太郎や沢村栄治らと共に野球殿堂入りした。

<The Baseball Hall of Fame & Museum 2001
(ベースボール・マガジン社)>
<森光俊 様より写真提供>


【野球殿堂】
 1872(M5)日本に野球がアメリカ人教師のホーレス・ウィルソンにより伝来。 その後、1877アメリカから帰国した平岡熈が日本初本格派野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を結成、広く野球が浸透していった。
 学生野球、社会人野球、プロ野球、さらには草野球に至まで、その間、歴史を重ねることで野球は新しいスポーツ文化として定着、多くの人々に受け入れられてきた。 この過程を支えてきた幾多の先人のなかで、とりわけその功績が顕著な野球人を永遠に称えるために、1959(S34)「野球殿堂」(Baseball Hall of Fame)が設けられた。 殿堂入りをした人物(故人の場合は遺族)は、毎年オールスター戦にて表彰される。また、東京ドームに併設されている野球体育博物館内の殿堂ホールにて肖像のレリーフが展示される。
 2008(H20)までに野球殿堂入りした人物は164人である。


*「野球殿堂」をした多磨霊園に眠る人物

スタルヒン外人墓地区 1960年
殿堂入り
プロ野球初の300勝投手の功績
小泉信三3-1-17-3 1976年
殿堂入り
学徒出陣壮行早慶戦を実現させた慶大塾長としての功績
内村祐之8-1-16-29 1983年
殿堂入り
アメリカ野球にも精通した第3代コミッショナーとしての功績


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