歴史が眠る多磨霊園 |
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小笠原長幹 | |||||
おがさわら ながよし | |||||
1885(明治18)〜 1935(昭和10) | |||||
大正・昭和期の華族政治家、伯爵 | |||||
埋葬場所: 2区 1種 4側 11番 | |||||
小倉藩主で後に伯爵となった小笠原忠忱は父親(同墓に眠る)。 学習院を卒業後、ケンブリッジ大に留学、帰国後、式部官となり、1918(T7)貴族院議員。研究会の幹部として活動。 20陸軍省参事官、22国勢院総裁となる。行政制度審議会委員などを歴任。伯爵。 <新潮人名辞典>
*武家・小倉(豊前)藩・15万石。信濃小笠原氏の後胤。明治2年に忠忱は戊辰戦争における奥羽出兵に功あり、
廃藩置県後の明治17年7月7日に伯爵を授爵した。忠忱→長幹→忠春→忠統
<徳川葵様より写真提供> ※2020年代前より小笠原家の大きな納骨堂が更地になっているという情報を受けており、2022年多磨霊園より確実になくなったことが確認できました。「歴史が眠る多磨霊園」では、掲載したことをご縁と思い、歴史を学ぶきっかけを多くの方々に提供する目的であるため、このページをこのまま掲載し続けることとします。なお、小倉藩初代小笠原忠真が創建し小笠原家の菩提寺は福岡県北九州市にある福聚寺(墓は現存している)。江戸で亡くなった3代から7代や小笠原忠忱以降は、江戸菩提寺であった浅草の海善寺に葬られておりましたが、昭和初期に多磨霊園に改葬し大きな納骨堂に眠っていた。代々の菩提寺に戻したのか不明のためご存じの方はご一報ください。 | |||||
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