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おがさわら ただむね

小笠原忠統

おがさわら ただむね

1919(大正8)〜 1996(平成8)

昭和期の小笠原流礼法宗家

埋葬場所: 2区 1種 4側 11番

 小倉藩主の小笠原忠忱(同墓)の孫、伯爵で貴族院議員などを務めた小笠原長幹(同墓)の3男として生まれる。 父の長幹没後、兄の小笠原忠春(T2〜S10)が1943(S19)に分家したため、忠統が伯爵の爵位を継承した。 そのため小笠原家第三十二代当主となる。東京帝国大学卒業。長野県松本市図書館長。相模女子大学教授を経て、小笠原流礼法宗家となる。 千葉大学講師、日本儀礼文化協会総裁などを歴任した。日本伝統の礼法の心理を現代のマナーに生かすための仕事に従事。 主な著書に『小笠原礼書』『日本人の礼儀と心』『小笠原流礼法入門』「図解 小笠原流礼法入門上下」(H5 監修)など。
 鎌倉時代から小笠原家において守り伝えられてきた日本の礼法が、江戸時代頃から小笠原流の偽者があらわれたり、明治政府が義務教育の「修身」の授業にそれら心ない形式をそのまま取り入れたりと堅苦しいものとなり、その傾向は戦後にも続き、その状況を憂い、お止め流(門外不出)の封印を解いて『ほんとうの小笠原流』を広く伝えようと決意し、「小笠原流礼法」を世に出した。
 これら紹介を各方面からの依頼に応じての講演、執筆、テレビ出演に加えて、指導者の育成にも熱心に取り組まれた。 また聖徳学園の教育理念が小笠原流礼法と通ずることから、忠統が礼法の指導を引き受けられ、今日の礼法教育に至った。 忠統没後は実姉の小笠原日英尼公の真孫の小笠原敬承斎が小笠原流礼法宗家として引き継いでいる。

<華族大事典>
<小笠原流礼法入門など>


*武家・小倉(豊前)藩・15万石。信濃小笠原氏の後胤。明治2年に忠忱は戊辰戦争における奥羽出兵に功あり、 廃藩置県後の明治17年7月7日に伯爵を授爵した。忠忱→長幹→忠春→忠統

*現在は取り外されているが、改葬当時は納骨堂の上部に「相輪」があった。下記の写真は戦前に「茶屋 よしのや」で販売されていた絵葉書の写真である。写真を提供してくださいました徳川葵様ありがとうございます。

小笠原伯爵納骨堂小笠原伯爵納骨堂 現在
改葬当時2011 現在

<徳川葵様より写真提供>


※2020年代前より小笠原家の大きな納骨堂が更地になっているという情報を受けており、2022年多磨霊園より確実になくなったことが確認できました。「歴史が眠る多磨霊園」では、掲載したことをご縁と思い、歴史を学ぶきっかけを多くの方々に提供する目的であるため、このページをこのまま掲載し続けることとします。なお、小倉藩初代小笠原忠真が創建し小笠原家の菩提寺は福岡県北九州市にある福聚寺(墓は現存している)。江戸で亡くなった3代から7代や小笠原忠忱以降は、江戸菩提寺であった浅草の海善寺に葬られておりましたが、昭和初期に多磨霊園に改葬し大きな納骨堂に眠っていた。代々の菩提寺に戻したのか不明のためご存じの方はご一報ください。


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