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いわむら かずお

岩村和雄

いわむら かずお

1902(明治35)〜 1932(昭和7)

大正・昭和期の照明家、舞踊家

埋葬場所: 13区 1種 51側 18番

 東京出身。海軍中将の岩村俊武と雪子(共に同墓)の長男として生まれる。叔父に司法大臣を務めた岩村通世(9-1-19)らがいる。
 学習院を中退し、18歳の時にヨーロッパ・アメリカに、照明の技術調査のため留学する。ドイツのドレスデンにあるダルクローズ学校で、リトミックをはじめ、バレエ、モダンダンス等の舞踊の訓練を受けた。 同じ頃、舞踊家のアレキサンダー・サカロフ夫妻の舞台に感動。サカロフ夫妻の作風は、俗に抽象派パントマイムと称され、当時の舞踊界に衝撃を与えていた。
 帰国後、東中野に研究所を設立。帝国劇場へ入り、我が国で初めて間接照明を披露した。同年アンナ・パブロワの舞台に唯一の日本人として出演。 1921(T13)築地小劇場に入り、俳優たちにリトミックを教える傍ら、発表会を催した。'26.10.9-10岩村和雄舞踊会第1回公演を築地小劇場にて、同年11.28岩村和雄舞踊会第2回新舞踊公演を日本青年館にて開催した。 '27.3.21(S2)岩村和雄舞踊会渡欧告別舞踊公演を日本青年館にて、同年12.4岩村和雄新作発表舞踊会を国民講堂にて開催し、大盛況を博した。 '28「悲歌」、'29「ある表現」「ウルトラ・マシーン」など、常にラモーやドリーブ、クープランなどラテン系作家の曲だけを使用、そこへ繊細で華麗な照明と衣装を添えて、個性溢れる作品を踊った。
 '29(S4)宝塚音楽歌劇学校で教鞭をとり、前衛的なバレエ「サーカス」「レッド・サークル」などを発表した。門下には岡田恵吉、三木一郎、ユリス美共らを排出。息子の岩村信雄氏はクラシックダンサーとして活躍している。病気のため死去。享年30歳。

<ご子息様の岩村信雄様より情報提供>


*同時期に活躍した多磨霊園に眠る舞踊家は、沢モリノ(22-1-44)、高田雅夫・せい子夫妻(5-1-14-51)がいる。


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