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いわむら としたけ

岩村俊武

いわむら としたけ

1866.8.27(慶応2)〜 1943.11.9(昭和18)

明治・大正期の海軍軍人(中将)

埋葬場所: 13区 1種 51側 18番

 高知県幡多郡宿毛出身。農商務大臣を務めた男爵の岩村通俊と石の二男として生まれる。幼名は團次郎、のち教通・俊武。号は船堂。 叔父に自由民権運動指導者・逓信大臣などを務めた林有造や男爵の岩村高俊らがいる。兄の岩村八作は北海道開拓者で男爵。 弟に動物学者の丘浅次郎、謡曲家の岩村薩馬、司法大臣を務めた岩村通世(9-1-19)、男爵の岩村一木。
 1887(M20)海軍少尉候補生として海軍兵学校を卒業(海兵14期)。同期に鈴木貫太郎、佐藤鐡太郎(18-1-1)らがいる。 日清戦争で第19号水雷艇長として清の艦隊を威海衛に封鎖包囲し、暗夜水雷をもって轟沈、僚艦の危機を救った。 日露戦争では第3艦隊の先任参謀を務め、旅順港閉塞攻撃では連絡将校として乃木陸軍大将らを助ける。 また、敵艦隊砲撃時には203高地から弾着観測を行い、以後命中弾を得てロシアの艦を破砕した。旅順開城時には第一艦隊から海軍全権委員として交渉に当たる。
 1915(T4)第4水雷戦隊司令官、大湊要港部司令官、練習艦隊司令官、将官会議議員を歴任。'17海軍中将に累進した。'19再び将官会議議員、'20侍命、'21予備。正四位 勲一等 功三級。著書に『馬鹿鳥の声』がある。享年78歳。
 妻である雪子(同墓)は、水戸藩出身の勤皇志士で伯爵の香川敬三(1841-1915)の娘。長男の岩村和雄(1902-1932 同墓)は舞踊家。その息子の岩村信雄はクラシックダンサーとして活躍中。

<高知県人名事典>
<帝国海軍提督総覧>
<お孫様の岩村信雄様より情報提供>



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