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いとう しずえ

伊東静江

いとう しずえ

1893.9.1(明治26)〜 1971.2.12(昭和46)

昭和期の教育者、大和学園創立者

埋葬場所: 16区 1種 1側

 東京深川出身。小田急電鉄創立者の利光鶴松、トヨ(共に9-1-2-7)の長女として生れる。旧姓は利光。
 東京女子高等師範学校付属高校を経て、1911(M44)聖心女子学院語学校に入学し、外国人修道女たちの生活と精神に強い感動を受け受洗。洗礼名モニカ。
 '14(T3)聖心女子学院語学校卒業後、大蔵官僚の伊東亮一に嫁ぎ伊東姓となる。亮一との間に2男2女を儲ける。大正時期は子育てに専念。長男は宏一郎(同墓)、長女は百合子、二女は千鶴子、二男は松男。松男は父の鶴松の養子となった利光松男(9-1-2-7)で、後に日本航空社長や日本棋院理事長を務めた人物となる。子育てをしながらもキリスト教精神に基く学園創立を志した。
 '29.3(S4)神奈川県高座郡大和村下鶴間(大和市南林間)に大和学園女学校を開設。この年は林間都市開発に着手していた小田原急行鉄道が、小田急江ノ島線を開通させた年でもある。'30 文部省の認可を受け、大和学園高等女学校が創立された。
 当時一般的であった良妻賢母型の女子教育の概念を大きく覆し、土に親しみ自然に触れる中で神の摂理を識ることを教育理念に掲げた革新的な学校として開校。教育には信仰と自然の恵みを絶対欠かせぬという信念とともに、学ぶ者も教える者も共に神を「信じ、希望し、愛深い」心をもって、人を愛し社会に奉仕する人材となることを目的とした。一信徒によるカトリック学園の創始は信徒使徒職といわれ、日本のみならず世界的にも珍しい試みであった。
 '32.11 男女共学の大和学園小学校設立。'35.9 東京喜多見に大和学園幼稚園を設立した。'36 渡米して海外教育事情や婦人運動を視察。婦人の自覚と向上のため盛んな執筆活動を続け、国際的視野に立つ学園のあり方を追求した。
 戦時中は廃校同然の状況に追込まれたが教育への情熱は衰えることなく、'45.3 食料増産のための専門的な農業教育を行う必要性を感じ、我が国でも画期的な女子の農業専門学校である大和女子農芸専門学校を設立した。
 戦後、学制改革により、大和学園高等女学校は大和学園中学校('47)、女子高等学校('48)になり、大和女子農芸専門学校は大和農芸家政短期大学('50)に変わる。'50 また私立学校法施行に伴い、財団法人大和学園は学校法人大和学園に改組し、理事長に就任した。'53 大和学園幼稚園を設立。'58 永年にわたる教育功労者として藍綬褒賞受賞。
 '61 学内信徒教員によるモニカ会を結成し、学園におけるキリスト教信仰の推進に努める母体とした。'62 ローマの世界カトリック農村生活会議に日本代表として参加。同年、産業開発青年隊によって女子の海外移住希望者が増えたことを鑑み、大和学園海外拓殖学校を設立。'63 短大に農芸栄養科、'65 保育科を新設するなど世の中のニーズに添う女性の社会進出に向けた育成を行った。'66 勲3等瑞宝章。
 '69 東京教区カトリック婦人同志会会長に就任した。同年は長年許可を訴えてきた、カトリック学校であることの象徴として学園聖堂における聖体の安置の許可がローマ教皇庁から下りた。心臓を患っていたにもかかわらず、死に至るまで職務に励み、朝のミサを欠かすことがなかった。'71.2.12 短期大学のマリア寮で帰天。享年77歳。学園ではその日を創立記念日として毎年、教職員一同によるミサを捧げている。没後、'71 二女の伊東千鶴子が 2代目理事長に就任した。

<日本女性人名辞典>
<講談社日本人名大辞典>
<日本キリスト教歴史大事典>
<大和学園沿革>
<人事興信録>
<墓所内碑より>


墓所 碑

*墓石は十字架を刻む洋型「伊東家之墓」。裏面が墓誌となっている。墓誌には長男の「フランシスコ 伊東宏一郎(S20.5.23・享年24)」、夫の「ルイ 伊東亮一(S20.11.14・享年57)」が刻む。戦争末期及び終戦の混乱期に長男と夫を相次いで亡くしていることがわかる。また「昭和二十八年十二月建之 伊東静江」とも刻む。

*墓所左側に伊東静江の肖像レリーフと共に「大和学園創立者モニカ伊東静江先生碑」が建ち、伊東静江の略歴や功績が刻む。この碑の最後に「昭和五十九年九月一日 学校法人大和学園理事長 伊東千鶴子」とある。


【大和学園のその後】
 伊東静江の没後、'71 静江の二女の伊東千鶴子が 2代目理事長に就任。翌年「信じ、希望し、愛深く」を学園の校訓として掲げ、新体制を築いていった。'73 大和農芸家政短期大学を大和学園女子短期大学に改称。'78 モニカ保育園を開設。
 '79 創立50周年の式典を挙行し、全ての学園の校称を「聖セシリア」に変更が決定。「聖セシリア」は音楽の守護の聖人として、古くから最も崇められてきた殉教者の一人であり、その美しい響きと清純、明快なイメージは学校の校風を象徴するものとなる。'80 幼稚園から高校までが新たな校称に制定され、'83 大和学園女子短期大学も「聖セシリア女子短期大学」と改称された。
 2014(H26) 静江の孫の伊東公子が 3代目理事長に就任。2018 利光康伸は 4代目理事長に就任。2021.6.2(R3)聖セシリア女子短期大学の廃止を申請し、同.9.8 認可。これにより76年間にわたり、カトリック精神に基づいた教育を実践してきた大和学園の短期大学は幕を閉じた。

<聖セシリア女子中学校・高等学校HP 建学の精神に導かれ−
「大和学園 聖セシリア」の歩み など>


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