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いとう りょういち

伊東亮一

いとう りょういち

1888.1(明治21)〜 1945.11.14(昭和20)

大正・昭和期の大蔵官僚、実業家

埋葬場所: 16区 1種 1側

 東京出身。伊東家は代々信州松代藩に仕えた家柄。伊東正夫と さた の長男として生まれる。男爵・海軍中将の伊東義五郎は叔父。義五郎の妻の満里子はフランス海軍軍人テオドール・フラパースの娘であり、日本の軍人初の国際結婚として知られる。男爵を継承した園芸家の伊東義節は従兄にあたる。
 1913(T2)東京帝国大学法科大学佛法科を卒業し、高等文官試験に合格して大蔵省に入省。大蔵省専売局参事司税官、外務省事務官、法制局参事官などを歴任。'20 関東水力電気会社創立に際し常務取締役に就任。その後、静江の父の利光鶴松(9-1-2-7)が創業した小田原急行電鉄会社の常務取締役になった。享年57歳。

<人事興信録>


墓所 碑

*墓石は十字架を刻む洋型「伊東家之墓」。裏面が墓誌となっている。墓誌には長男の「フランシスコ 伊東宏一郎(S20.5.23・享年24)」、「ルイ 伊東亮一(S20.11.14・享年57)」が刻む。また「昭和二十八年十二月建之 伊東静江」とも刻む。墓所左側に伊東静江の肖像レリーフと共に「大和学園創立者モニカ伊東静江先生碑」が建ち、伊東静江の略歴や功績が刻む。この碑の最後に「昭和五十九年九月一日 学校法人大和学園理事長 伊東千鶴子」とある。

*妻の静江との間に2男2女を儲ける。長男は宏一郎(同墓)、長女は百合子、二女は千鶴子、二男は松男。松男は義父の鶴松の養子となった利光松男(9-1-2-7)で、後に日本航空社長や日本棋院理事長を務めた人物となる。

*伊東義五郎(1858-1919)の墓は青山霊園1イ-8-1


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