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いたや じゅんすけ

板谷順助

いたや じゅんすけ

1877.3(明治10)〜 1949.12.20(昭和24)

明治・大正・昭和期の実業家、政治家

埋葬場所: 22区 1種 102側

 新潟県出身。慶應義塾大学卒業後、同郷の先輩で小樽で海運王として成功をしていた板谷商船創業者の初代 板谷宮吉(1857-1924)に誘われ、板谷商船に入社。 また、板谷宮吉(初代)の娘で板谷宮吉(2代)の姉にあたるイクと結婚し、婿養子として板谷家に入った。なお、板谷宮吉(3代)の妻の愛子は岩村通世(9-1-19)の姪にあたる。
 1912(M45)板谷商船副社長。小樽商業会議所顧問、北海道農友会会頭を歴任。北海道を中心に実業界で活躍し、渡島鉄道、沙流鉄道、洞爺湖電鉄、帝国自動車工業の各社長。平和生命、十き百貨店、日本電気冶金、羽田精機の各取締役を務めた。
 '27(S2)北海道選挙区から衆議院議員選挙に出馬し初当選(以後当選6回)。齋藤實(7-1-2-16)内閣で鉄道参与官を務めた。'46貴族院議員に勅選。 '47第1回参議院議員選挙に民主自由党公認で出馬し当選。参議院運輸及び交通、運輸各委員長となる。日本自由党、民主自由党で参議院議員会長。 現役のまま病のため逝去。享年72歳。村上義一(22-1-22)により追悼演説が行われた。

<政治家人名辞典など>


*墓石は和型で前面に戒名「照谷院順慶宏範大居士 / 瑞祥院順室妙清大姉」。墓石右面に俗名、没年月日、行年が刻む。線香立には「山本」。 左側に墓誌があり、板谷順助、山本清子(H5.7.25没 87歳)、ご存命の中村佳代子の名前と戒名等が刻む。 この墓誌により、墓石前面に刻む戒名は、板谷順助と妻のイクではなく、山本清子である。

*板谷順助とイクの間には男子が産まれなかったため、娘の栄子が陸軍中将・政治家の上原平太郎の三男の康男を婿養子として迎えている。板谷康男は後に板谷商船取締役・志村化工常務となる。


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