大分県宇佐郡出身。農家の又造・わさ(共に同墓)の二男として生まれる。宇佐中学を中退して上京し、同文館で「婦人之友」などの編集に従事。
本郷(弓町本郷)教会を牧会していた海老名弾正(12-1-7-18)の名声を慕って、日露戦争後、本郷教会に通い熱心に求道して、1906.6.24(M39)海老名弾正から受洗した。
1916.9.18(T5)東京家政研究会を設立し、出版事業を開始。『婦人之友』や『婦女界』の編集を経て、翌'17.2.14『主婦之友』を創刊。
菊判(A5判)120P、部数1万部、定価15銭であった。家庭生活に関する実用的な記事、家庭内の様々な悩みや告白など読者の身近な事柄を掲載し、3年間で婦人誌の発行部数1位に伸ばした。
'21社名を主婦之友社と改める。'23関東大震災で社屋焼失するも、仮社屋で雑誌出版を継続させ、'24翌年には株式会社へ改組して社長に就任。
その後、戦争に突入した日本では、'41 日本出版配給株式会社が設立され、'43に2代目社長に就任。太平洋戦争中の出版統制に一役を買った。なお日本出版配給(株)の初代社長は江草重忠(7-1-15)。
この間、自身の考え方の基礎を構築するきっかけとなった弓町本郷教会の会堂建築費残額7千余円を寄付('36)、'41(S16)読者から得た利益を社会に還元したいという思いより、財団法人石川文化事業財団を設立。
この社会事業は、女性専用の図書館「お茶の水図書館」の設立('47)につながっていった。
戦後、'46(S21)公職追放され、この間は婿養子の石川数雄(同墓)が2代目社長を務めている。'50 解除とともに主婦之友社に復帰。'53月刊誌『主婦之友』を『主婦の友』とし、社名も「主婦の友社」と改めた。
'49 日本出版配給株式会社が分離解体され東京出版販売が設立。後の出版物専門商社であり出版物取次の大手「トーハン」(1992トーハンと社名変更)である。'50 東京出版販売(後のトーハン)の初代社長に就任した。'52 会長。'57 第1回印刷文化賞、'58 菊池寛賞を受賞。
著書に 『不運より幸運へ』(1927)、『信仰雑話』(1959)、『石川武美全集』全6巻(1980)、『ひとすじの道―主婦の友社創業者・石川武美の生涯』(著:吉田好一)がある。享年73歳。
妻はかつ(同墓)、長男の勝郎(同墓)は早死したため、長女の恵美子(1915.2.16-1990.5.18 同墓)の夫の数雄(同墓)が婿養子となり、主婦の友社第2代社長となった。
なお、数雄の父の敏雄と武美は従兄弟同士。石川数雄と恵美子の子、すなわち孫のとも子は政治家の与謝野馨に嫁ぎ、みち子は高島屋創業一族の飯田成一に嫁いだ。
晴彦、康彦は主婦の友社の社長を務める。
2008(H20)出版不況により、5月2日発売の6月号(通巻1176号)をもって『主婦の友』は休刊することになり、創刊から91年の歴史に幕を下ろした。