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いしかわ かずお

石川数雄

いしかわ かずお

1905.5.12(明治38)〜 1982.4.27(昭和57)

昭和期の出版人(主婦之友社)

埋葬場所: 9区 1種 2側

 父は石川敏雄。父の従兄弟で主婦の友社初代社長の石川武美(同墓)の長女の恵美子(1915.2.16-1990.5.18 同墓)と結婚し婿養子となる。
 当初は医学の道を志し、医学博士でもあったが、結婚を機に義父の武美の元で主婦之友社の仕事も従事。 1946(S21)武美が公職追放となり、数雄が主婦之友社2代目社長に就任。 '50武美の復帰後も引き続き社長を継承。'53月刊誌『主婦之友』を『主婦の友』とし、社名も「主婦の友社」と改めた。
 '63.12 『主婦の友』(S39新年号より)の表紙を今までの美人画から女優のカラー写真を採用。モデルは佐久間良子。 '64.7 『主婦の友』(8月号より)の表紙に「結婚したら」のキャッチフレーズをつけるなど、新しい試みを次々と打ち出し話題を作り、発行部数を増やしていった。 電波監理審議会委員なども務める。'77息子で長男の石川晴彦に社長の座を譲る。享年76歳。
 その後の主婦の友社は、'92(H4)息子で次男の石川康彦が社長、'99初の一族外の村松邦彦が社長となり、通信販売部門を分離、別会社化し「株式会社 主婦の友ダイレクト」設立。 2007 神田高志が社長となるも、2008(H20)出版不況により、5月2日発売の6月号(通巻1176号)をもって『主婦の友』は休刊することになり、創刊から91年の歴史に幕を下ろした。
 石川数雄と恵美子の間に2男3女を儲ける。長女のとも子は政治家の与謝野馨に嫁ぐ。与謝野馨の祖父は与謝野鉄幹(11-1-10-14)、祖母は与謝野晶子(11-1-10-14)である。 とも子は主婦の友社の編集者として、大学の先輩の与謝野馨の母の与謝野道子の著書である『どっきり花嫁の記』を担当しており、与謝野家に出入りしていたことがきっかけで、馨との結婚につながったといわれる。 次女のみち子は高島屋創業一族の飯田成一に嫁ぐ。長男の石川晴彦は主婦の友社第3代社長。晴彦の妻の桂子は相馬重胤の長女。次男の石川康彦は主婦の友社第4代社長。三女のあい子は正木恒一郎に嫁いだ。


*墓石は和型「石川家之墓」、裏面「皇紀二千六百年 昭和十五年 石川武美 建之」と刻む。右側に墓誌があり、武美の長男で2才で早死した勝郎から刻みが始まる。次いで、武美の母のわさ、父の又造、武美、妻のかつ、数雄、武美の長女で数雄の妻の恵美子と続く。


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