父は石川敏雄。父の従兄弟で主婦の友社初代社長の石川武美(同墓)の長女の恵美子(1915.2.16-1990.5.18 同墓)と結婚し婿養子となる。
当初は医学の道を志し、医学博士でもあったが、結婚を機に義父の武美の元で主婦之友社の仕事も従事。
1946(S21)武美が公職追放となり、数雄が主婦之友社2代目社長に就任。
'50武美の復帰後も引き続き社長を継承。'53月刊誌『主婦之友』を『主婦の友』とし、社名も「主婦の友社」と改めた。
'63.12 『主婦の友』(S39新年号より)の表紙を今までの美人画から女優のカラー写真を採用。モデルは佐久間良子。
'64.7 『主婦の友』(8月号より)の表紙に「結婚したら」のキャッチフレーズをつけるなど、新しい試みを次々と打ち出し話題を作り、発行部数を増やしていった。
電波監理審議会委員なども務める。'77息子で長男の石川晴彦に社長の座を譲る。享年76歳。
その後の主婦の友社は、'92(H4)息子で次男の石川康彦が社長、'99初の一族外の村松邦彦が社長となり、通信販売部門を分離、別会社化し「株式会社 主婦の友ダイレクト」設立。
2007 神田高志が社長となるも、2008(H20)出版不況により、5月2日発売の6月号(通巻1176号)をもって『主婦の友』は休刊することになり、創刊から91年の歴史に幕を下ろした。
石川数雄と恵美子の間に2男3女を儲ける。長女のとも子は政治家の与謝野馨に嫁ぐ。与謝野馨の祖父は与謝野鉄幹(11-1-10-14)、祖母は与謝野晶子(11-1-10-14)である。
とも子は主婦の友社の編集者として、大学の先輩の与謝野馨の母の与謝野道子の著書である『どっきり花嫁の記』を担当しており、与謝野家に出入りしていたことがきっかけで、馨との結婚につながったといわれる。
次女のみち子は高島屋創業一族の飯田成一に嫁ぐ。長男の石川晴彦は主婦の友社第3代社長。晴彦の妻の桂子は相馬重胤の長女。次男の石川康彦は主婦の友社第4代社長。三女のあい子は正木恒一郎に嫁いだ。