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えぐさ しげただ

江草重忠

えぐさ しげただ

1877.2.2(明治10)〜 1944.10.8(昭和19)

明治・大正・昭和期の出版人(有斐閣)

埋葬場所: 7区 1種 15側

 三重県員弁(いなべ)郡出身。水谷忠左衞門の弟。旧姓は水谷。
 1904(M37)東京帝国大学農科大学林学科を卒業し、農商務省に入省。同.9 東京神田に古書籍店の有斐閣(ゆうひかく)初代社長の江草斧太郎の長女の千代と結婚し婿養子となったのを機に、農商務省を辞して、養父が営む有斐閣に入社した。江草斧太郎の妻の茂登の弟の家に下宿していた縁での入籍であった。
 書籍出版業界に入ってからは、毎日のように支配人と伴に神保町界隈の古書店を巡り、有斐閣発行の古書値と比較チェックをし、無駄な在庫を増やさないよう増刷の有無を決める苦労をした。
 '08 養父が亡くなり家督を相続し、有斐閣を継ぐ。法律書、経済書、政治書など学術書出版で業績をのばした。大正期は国税5百余円を納められるほど繁盛し、日本書籍株式会社取締役や、日本製紙の監査役なども務めた。この間、関東大震災で被災し店は焼けたが、倉庫は焼け残り、在庫や資材は助かった。
 '29(S4)長女の英子の婿養子となった江草四郎が台湾総督府や鳥取県の役人をしていたが辞して有斐閣に入社。'33(S8)家督を江草四郎に譲り3代目とするも経営面は二人三脚で行う。そんな折、出版をした、森戸辰男の「クロポトキンの研究」や、美濃部達吉(25-1-24-1)の「憲法撮要」「遂条憲法精義」が、'35(S10)言論弾圧の被害に遭い発禁処分をうけた。
 '36 東京出版協会会長に就任。'41取次廃止で出来た日本出版配給株式会社の初代社長となった。理学博士。享年67歳。

<講談社日本人名大辞典>
<20世紀日本人名事典>
<人事興信録>
<百年企業のれん三代記 第37回株式会社有斐閣>


*墓石は洋型「江草家」。裏面が墓誌となっている。戒名は浄照院釋重誓居士。行年は68才と刻む。妻は春(S34.3.25歿 行年65才)。江草紀元(2001.5.7歿 行年73才)も眠る。


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