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あらい みのる

荒井 實

あらい みのる

1890.8.28(明治23)〜 1934.7.25(昭和9)

昭和期の医学物療内科学者

埋葬場所: 11区 1種 3側

 東京出身。陸軍主計官の荒井藤之助の長男として生まれる。府立一中、一高を経て、1915(T4)東京帝国大学物療科卒業。秀才学徒であり、首席で卒業したため恩賜の銀時計を拝受した。
 東大内科物療科創立者の真鍋一郎教授を師事。同大学に残り助手を経て、'26東京帝国大学内科物療学教室の助教授となる。'33(S8)真鍋教授が海外出張中、主任代理として講座を任された。年末には雑誌「臨床の日本」の編集長に就任。志半ば、44歳の若さで逝去。
 師である真鍋教授は「慕しき荒井君、物療内科の寳物的人格、親しみの深かりし荒井君、其の永眠は自分の公生活に於ての最大打撃である」と弔辞した。もし壮年で他界をしていなければ、真鍋教授退職後に2代目教授に就任する予定であった。後に2代目教授になる三澤敬義は「荒井實追悼集」にて、「研究家、臨床家として国内だけではなく、世界の学界に名を成す人物になることは疑わないところであり、荒井實博士の早逝は学界や邦家のために惜しむべきことである」と述べている。内村鑑三(8-1-16-29)門下のクリスチャン。

<東都掃苔記(日本医事新報)など>


*墓石正面は「荒井實之墓」、裏面「昭和九年七月廿五日就眠」。右面に「彼は死ねれとも 信仰によりて 今なほ語る」とあり、左面に「静けさの池に若葉のちるもある 百瀬一一」と刻む。百瀬一一(12-1-7)は百瀬結核研究所所長の医師。長女のカズが荒井實が嫁いだため岳父にあたる人物。百瀬一一と荒井實は俳句を趣味としていた仲であったため、岳父の句が刻む。

*墓所内には十字が刻む墓誌があり「我らの国籍は天に在り」と刻む。墓誌には、實の妻のカズ(1985.11.25召天・83才)、次男で産婦人科教授の荒井清、荒井正(2009.12.30・83才)が刻む。また「荒井清略歴」と刻む墓誌碑が建つ。妻は真理子(S34結婚。旧姓小川)。


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