四国の旅(その5)

 四万十川からはりまや橋へ

 今日(319)は快晴。朝早く娘からの電話で、土佐神社のお守りがほしいと言う。
神社は、大抵5時で札所が閉まるので、時間の調整が必要になりました。

何も見えない林の中のスカイラインを通って、321号で、土佐清水から中村へ。
途中、四万十川河口近くの四万十大橋を渡り、河原に下りて見ました。

                              

                             四万十川

中村は中世、応仁の乱を避けて、一条教房がこの地に来て、京を模した町つくりをして、四国の小京都と言われています。とは言え、その後の発展は無く、時間も無いので通過することにした.
女房がアカメ館(アカメとは魚の名前)と言うのが有ると言うので、渡川大橋を渡って探したが不明
(後で調べたら、観光渡船場の土産物屋らしい)さらに上流の四万十川橋を渡って、川沿いの県道340号線を遡ります。

 この辺に佐田の沈下橋というのがあるはずですが通り過ぎてしまい、国道441号線に入って川沿いの道を進みますが、これが狭く、1.5車線程度。しかもダンプが来てすれ違うのも大変でした。
この辺は、単なる通過点と思って事前の調査検討不足です。

途中に、三里の沈下橋というのがあり、ここによって見ました。コンクリート製の立派なもので、ロケに使われた久慈川の木造ほどの風情はありません。

                 

                      三里の沈下橋

 四万十川流域には、本流に22箇所、支流に8箇所の沈下橋があるそうです。

四万十ひろばを過ぎて、国道381号線に入ると、こちらは宇和島からの街道筋(土佐街道)で、道路は広く走りやすくなります。十川大橋で、河原に下りてみましたが、水はきれいで、最後の清流と言われるだけのことはあります。

                 

                       四万十川上流の河原

四万十大正町に着き、レトロな四万十大正駅を見て、町の酒屋で地元の「無手無冠」酒造の地酒である「ダバタ火振り」と言う栗焼酎、「無手無冠」と言う清酒などを購入。酒好きの土産を整えました。

四万十川に沿って、上流の窪川で、岩本寺(第37番札所)を参拝し、道の駅あぐり窪川で昼食をとりました。


             四万十大正駅                    岩本寺

 岩本寺は、明治の廃仏毀釈で一時、廃寺となっていたものを明治中期に再興したものです。土佐藩は、四国の他の三国に比べ、平地も少なく貧乏でした。天保の頃気温が下がり、日本各地で飢饉が起こり、遍路とか六部に名を借りた乞食同然のものが来ると言うので関所を設けて入国を制限したと言います。また、室戸周辺などは距離も長いため、土佐を除いた三国巡りというのも行われたと言います。他国と比べ、住民も遍路に対して冷たかったようです。

明治になってからは、薩長土肥の一つですから、廃仏毀釈も徹底的で、住民もそれに対して差ほど反感が無かったのかもしれません。

ここから56号線を北上し、土佐久礼、土佐須崎と進み、日本でかわうそを最後に見たと言う道の駅すざきに立ち寄りました。

 この先で、国道を離れ、海岸沿いの県道47号(横波黒潮ライン)を通り、青龍寺(第36番札所)を参拝しました。ここは、海岸近くの宇都賀山という265mほどの山の中腹です。

          青龍寺山門への石段              青龍寺

 この石段は、170段ほど、近くの明徳義塾高校に通っていた朝青龍が足腰を鍛え、四股名の由来となったことでも有名です。昔から、土佐の漁師の尊崇を受け、廃仏毀釈での破壊も少なかったようです。 ここから太平洋を臨み、海岸線を進むと桂浜に到着です。

          桂浜(生憎の逆光)          桂浜(反対側はテトラポット)

光明媚な桂浜と言うが、右、桂浜、左、テトラポットで折角に風景が台無しなのは惜しい。

 浦戸湾に沿って北上し、陳情を重ね出来た時には乗る人がいないと地元の人がこぼしていた土佐くろしお鉄道の横を過ぎて土讃線を越え、高知ICの近くが土佐一宮土佐神社です。

                  

                      土佐くろしお鉄道

土佐神社の祭神は、一言主神、味鉏(すき)高彦根神と言われており、大和葛城の賀茂氏が祭った神でこの一族が四国に来て、ここに神社を作ったのではないかと言われています。

もともとは、須崎市の鳴無神社が元宮といわれ、平安時代までは浜出し神事も行われていたようです。そもそもは、4世紀前後に海に沿ってやってきた弥生人が先住民と交じり合い、この地を開拓していったと言うことでしょう。(四万十もアイヌ(縄文)語という説もあるようです)

拝殿は、長宗我部元親の再建、鼓楼は、山内氏時代の建造物でいずれも重要文化財です。道を挟んで、左側が善楽寺(第30番札所)です。ここは、土佐神宮の別当寺でしたが、廃仏毀釈で本尊が安楽寺に移されてしまい、高知市内の安楽寺とここが第30番札所であったりして、結局、平成6年に、こちらが札所、安楽寺は奥の院になったと言うことでした。

        土佐神社拝殿(長宗我部元親再建)        鼓楼(二代山内忠義建造)

                 

                          善楽寺

 高知市に来ましたが、5時を過ぎて高知城はすでに閉まっており、町に出て播磨屋橋周辺を散歩、土産物屋に行って、べろべろの神様のセットなど買って、近くの店で鯖の姿寿司など食ってみましたが、いささか、塩味がきついようです。

           夜の高知市街                  播磨屋橋

 

四国の思い出(その4) べろべろの神様

 高知や高松の酒の席で、さはち料理など食い、宴も盛り上がってきた頃、「あれ持ってきて」と誰かが言うと、出てくるのが、「べろべろの神様」のセットです。
ひょっとこ、おかめ、天狗の面の形をした独楽です。独楽は、六角でそれぞれの面にひょっとこ、おかめ、天狗が二面ずつ書いてあります。
天狗の鼻がやたら大きく、普通のお猪口の数杯分は入ります。

そして、六角の独楽をまわして、皆で「べろべろの神様は、正直な神様でーー」と囃します。そして独楽が廻り終わり、倒れた先の方にいた人が、天狗が上を向いていたら、その杯に酒を注がれて、飲み干さねばなりません。

飲み干さない訳にはいかないのです。どのお面も鼻の先に穴が開いていて、そこを押さえて酒を注いでもらうのですから。

 このセットは、高知では土産物屋で大抵売っています。高松でも頼めば買えるでしょう。日立に土産に買ってきて、料亭に預けておいて、お客さんとよく遊んだものでした。

しかし、今はそれも不可能です。年をとったから?それよりも、料亭がつぶれて無くなってしまったのです。

                 

                          べろべろの神様セット

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