四国の旅(その4)
西の岬から南の岬へ
今日(3/17)は早めに宿を出ましたが、松山周辺の出勤時間と重なり、しかも通りを一本間違えたりしたために松山ICにつくのが遅れてしまいました。
内子に行くのはあきらめ、大洲ICまで行き、大洲の町に行く途中では、大洲城が改築中でした。
現在は、完成しています。
大洲は、加藤氏6万石の城下町で、明治大正時代には紡績などで栄えたようです。
「おはなはん」のロケが行われたおはなはん通り、明治の町並みなどが残っていますが、この辺は、いずこも同じといった感じでした。
町から少し離れた所に臥龍山荘があります。三代藩主が作ったもので荒れ果てていたものを明治になって地元豪商が10年かけて再築したというものです。
観光案内では対岸からの写真が綺麗です。清水の舞台といった形の懸崖つくりで、肱川に突き出た建物から見る景色も綺麗でした。
来訪者の名簿に記帳していると、管理人のおばさんが、あの方も茨城から来たんですよと言うので見れば、
若い学生で、汽車の旅行で九州からフェリーで渡ってきたとのことでした。
不老庵から肱川を見る 対岸から見た臥龍山荘不老庵(観光案内)
大洲を離れ、234号から197号を通り八幡浜から三崎へ向かいます。途中、道の駅きららで名物のじゃこてんを食ってみました。
地元で、はらんぼという8cmくらいの魚の頭と内蔵以外をすり身としてあげたもので、言うならば、
いわしのかまぼこを揚げたような感じで暖かい時は中々の味です。
じゃこてん
ここからは狭い道をひたすら西のはずれの佐田岬へ進みます。駐車場から灯台までの道は風が強く、結構な距離で、片道約20分です。九州もかすんでいます。
昼過ぎになったので飯を食おうと思ったが、近くに何もなく、広告の出ていた大岩と言う民宿に電話して、行って見ました。
民宿というよりはホテルで、岬さば(向こうが関さば、こっちが岬さば)の刺身とかうちわえびの味噌汁
とか、値段よりも安い感じで、これで温泉でも有れば言うことが無いのですがーー。
再び、延々と三崎、八幡浜を通り、宇和に向かいます。宇和では明石寺(第43番札所)に行きました。
ここは、8世紀に作られた古い寺で、地元では「あげしさん」と呼ばれているとか。
言い伝えでは、美しい乙女に化身した神が石を運んでいたが朝日が出たのに驚いて消え去ったとかで、
上げ石から来ているということです。
ここは、古い寺で、6世紀に開基され、8世紀に修験道の道場となり、9世紀、弘法大師が霊場として定め、
源頼朝が自分の命の恩人の池禅尼の菩提を弔い、山号を現光山から源光山に改め、また、17世紀に、
宇和島藩主の伊達家が現在のお堂を建造したということでした。
明石寺山門 本堂
ここを参拝して、国道56号線で宇和島に着くと、丁度、5時になり、宇和島城に入れるかと心配し
ましたが、親切な掃除のおじさんが、15分位なら入っても良いですよと言うので、入らせてもらいました。
桜がかなりほころんで、この日、宇和島では桜の開花宣言が出ました。
宇和島城は藤堂高虎が築き、その後伊達政宗の長子秀宗の所領となり、明治まで伊達家10万石の
居城でした。
天守他は、明治維新でも壊されること無く、国の重要文化財となっています。
宇和島城天守閣 城から見た宇和島
今日(3/18)は、昨夜の雨も上がり、宿毛街道(56号線)を宇和海を見ながら南下します。
御荘の町に着き、ロープウエイで展望台に行こうとしましたが、風が強く運行停止です。
少し進んで道の駅みしょうの手前から観自在寺(第40番札所)に行きました。
弘法大師により開基されたもので、昭和になって火災で本堂が焼失してしまい、新しい本堂は、
今一と言った感じです。境内は広く、往時の繁栄を忍ばせます。
観自在寺
ここから、愛媛県最南端と言う高茂岬へ通ずる西海道路があり、この入り口付近に、紫電改展示場が
あります。
戦時中、宇和海に沈んだ戦闘機紫電改を引き上げて展示しています。
ここから見た、宇和海の景色も素晴しく、桜も八分咲き位です。
紫電改 展示場から見た宿毛湾
ここを出て外泊石垣集落を横に見て、汐碆展望台に向かいます。
風が強い所で、このような集落が出来たのでしょうか。汐碆展望台からは鹿島という島が見え海水浴場になっているようです。
外泊石垣集落 高茂岬
高茂岬は、九州との間の船舶の航行を監視していた海軍の監視所があった所で兵舎の礎なども残っていました。
ここから、武者泊を経て宿毛湾を見ながら半島を一周し、56号線に戻ります。
56号で一本松トンネルを抜けると高知県です。宿毛について321号に乗り換える所で56号を
まっすぐ進んでしまい、予定変更で延光寺(第39番札所)に行きました。
ここは、行基の開基といわれ、後に赤い亀が梵鐘を背負って海から出てきたと言う言い伝えがあり、
赤亀山延光寺と言われています。一時、廃仏毀釈で廃寺となっていた時代も有るようです。
延光寺
そして、56号を引き返し、道の駅すくもで鯛の刺身定食を食べたが、生簀から鯛を掬って、
さばいて食わせてくれると言う道の駅にしては、結構、豪華で安い定食でした。
ここから321号線を南下し、大月から土佐清水に向かう。途中、竜串海岸で、水中展望台を
見ようとしたが、海が荒れていて見えないでしょうと言うので、歩いて、対岸の大師見落としの浜に行きました。
ここは素晴しい景色だが、弘法大師が見ていないと言うことからこの名前が附けられたと言う何となく
負け惜しみ的な名前です。
この辺りまでが九州との間で、太平洋の影響はまだ少なく、海は穏やかです。
竜串海中公園 大師見落としの浜
さて、足摺岬に行くのに、また、道を間違え樹木と空以外何も見えないスカイラインに入ってしまい、
途中から引き返し、狭い海岸線の道を進みます。
途中の沖曰展望台は素晴しい眺望でした。ここから、足摺岬灯台に行き、ジョン万次郎の銅像
などを見て、天狗の鼻を散歩し、さらに金剛福寺(第38番札所)を参拝しました。
泊りは、国民宿舎テルメで温泉でもあり、中々良い所です。
沖曰展望台(叶崎が見える) ジョン万次郎
足摺岬灯台 天狗の鼻周辺の亜熱帯植物
金剛福寺
「四国の思いで」その3 土佐和紙
土佐には、土佐和紙という素晴しい和紙があります。と言っても、餓鬼の頃から習字は苦手で、
本から字を学んだために、今でも、女房などから書き順が出鱈目と馬鹿にされていますから、
書くための紙の良し悪しなどあまり分かりません。
しかし、草や木の葉、花などをすり込んだ美しい和紙が沢山ありました。
高知でそんなことを話題に、べろべろの神様などを持ち出して酒を飲んでいると、お上が、
こんな紙もあるんですよと持って来た紙がありました。
一見、普通の和紙と変わりません。「なんなの?」と聞くと、「川の向こうで遊ぶ時、使うんですよ」と言う。
当時、高知の川の向こうと言えば、あちらの方で有名な所。「今日はどの手で??」と一枚取り出し
すかして見る。「これでいこう!!」と言う訳です。
土産物屋で、親父に聞いて見ると、にやりとして、今でも有りますよと言っていた。