北海道の旅(その7)

                   道南  松前藩支配の地

 

(7/31 木) 登別―室蘭―大沼―恵山岬―函館

 6時過ぎに駐車場に行き、地獄谷に行くと台湾から来た二人連れのおばさんの写真を取ってあげ、写真を撮ってもらう。

 

                            登別温泉地獄谷

登別ヌプル・ペツ=川水の色が濃い川)温泉から道道782号で日本工学院とか自衛隊射爆場の横をとおり幌別ポロ・ペツ=親の川――この名は各地にある)に出て36号線で室蘭モ・ルエラン=小さい下り道、or モルラン・ナイ小道を下る川)へ向かう。

36号は朝から交通量が多く、信号も多く、追い越し禁止で、今までの北海道の道路と全く違う。用意してもらったサンドイッチなど食いながら信号待ち。

36号を離れて、トッカリショトカリショ=あざらし岩による。ここを過ぎて、金屏風ポンケ・チウエ=子である断崖)といわれる岸壁を過ぎると地球岬ポロチ・ケウエ=親である断崖)である。

   

          トッカリッショ岬                          金屏風

 地球岬に着いた時は、8時前で、天気が良く、室蘭の町、日高、恵山の両方向ともよく見えていたが霧が出てきて視野を遮る。実は、霧と思ったのは数本の煙突の白煙であった。

新日鉄室蘭の高炉の火はすでに消えており、8時頃からこの辺の工場が操業を始めたらしい。それにしても相当な煙である。丁度登ってきた名古屋から来たという二人連れの若者も驚いていた。

 

                      地球岬(青森方面まで見える) 

                  

                              室蘭の町

少し話しをして、写真など取り合い、室蘭の町から白鳥大橋をわたり、室蘭ICから道央自動車道で国縫クンネ・ナイ=黒い川)ICに向かう。途中の豊浦噴火湾Pで一休み。

ここからの有珠ウシや遠くの駒ケ岳の眺望は素晴しい。この湾一帯は噴火で出来たと言い、今でも造山活動が盛んである。

 

                     豊浦湾噴火PAからの有珠山

 高速を降り、大沼国道(5号線)に入り、JRと平行して海沿いを走るが、車が多くスピードが出せない。しばらく我慢したが面白くないので、横道にそれ、海岸に出てみた。

海岸のコンブ干し場で70過ぎのおじさんと話しをする。コンブはどうですかと聞くと、昔の半分だ、魚でも何でも取りすぎてこのざまだと自嘲気味に言う。やはりこれからは養殖ですかね?と言うと、

今でもコンブの養殖をやっているが、山からの水質が変わってしまい、沢山養殖すると、葉先が白くなってしまう。水はアルカリ性でないと駄目だと言う。確かに良く見ると干してあるコンブの葉先が白くなっているものがある。別れ際に写真を撮ってもらい、再び、国道へ。

               

                        コンブ干し場にて

 この辺から、赤松の並木が断続する。まだ、松くい虫は現れていないようである。駒ケ岳も良く見えてゆっくり走るのもたまには良いものだと思いつつ、道の駅「YUO・遊・もり」で休憩。

名物のイカ飯は一匹食うには大きい。旅行中、74kgの体重が漸く71kg近くまで減ったことだし、土産に買うこととして、昼飯は、朝の残りのサンドイッチと牛乳で済ます。

2歳だと言う男の子を連れた若い父親に写真を撮ってもらう。

             

 





    駒ケ岳
道の駅「YOU・遊・もり」より) 






              

                             駒ケ岳全景

 ここを出て、大沼ポロ・トー=大きな沼)へ向かう。日暮山の展望台を通り過ぎてしまい、小沼ポン・トー=小さな沼)の北側の狭い道をを通って大沼に出る。この辺り、森林公園やら遊歩道やらと徒歩や自転車の人が多い。大沼の南岸は、湖を背景にした駒ケ岳が素晴しい。公園で一休み。

 

                         




   大沼  










                                              

                             大沼より駒ケ岳を見る

湖岸の道を進み、宮浜に出て恵山イエ・サン=溶岩が出るエシャニヌプリ岬の山など幾つかの説がある)国道(278号線)を恵山に向かう。この辺り、小さな漁港の連続で、コンブ干し場などが断続し、道も狭い。

鹿部シケルベ=きはだの木のある所)町に入るとしかべ間欠泉公園が国道沿いにある。26m下の空洞に113度の熱水が溜まり、水圧が下がると100度のお湯を噴出すると言う。

奥のガラス越しや上の廻廊からも見ることが出来るが、このお湯を使った正面の足湯に使いながら見るのが一番。大規模なものではないが、何といっても10分間隔というのが待たなくて宜しい。

            

                         しかべ間欠泉公園

 鹿部町を過ぎ、南茅部カヤウン・ベシュ=帆のがけ)町に入ると道は海沿いを縫うように走り、トンネルや覆動が断続する。そして、国道を離れ、椴法華トトボケ=岬の陰)村を海沿いに行くと恵山岬に出る。(これらの町は04年に函館市に合併されてしまった)

ここの灯台公園は、良く整備されており、遠く、青森の山並が見える。太古に凍った海を越えて本州に渡ってきた新石器時代人、そして、縄文時代、擦文時代の本州との交流、その後のアイヌ文化、和人の搾取と続く歴史を感じさせられる。

         

                     灯台公園(遠く青森が見える。右は山側)

道を挟んで、ホテル恵風があり、これが地図にある村営温泉が改造されたものとは知らず、海岸にある水無浜の露天風呂にいって見る。ここは、干潮時のみに入れる海に沸く温泉で、丁度干潮時、夏休みでもあり子供連れの家族も多く、孫を連れたじい様は缶ビールなど飲み、ばあ様は足湯で世間話。水着もないので足湯で済まし、ホテル恵風に行って温泉に入る。

この温泉は、以前は海側にあったそうだが、今は反対側で露天風呂からも海の景色は見えない。

                        水なし浜露天風呂

温泉を出て駐車場で洗車をして、身体も車もすっきりし、15時に函館に向かうが、相変わらずのトンネルで、途中、道の駅「なとわ・えさん」による。ここからの恵山の風景も素晴しい。

            

                        恵山道の駅「なとわ・えさん」より)

16時ごろ、湯の川ユ・ペツ=湯・川温泉を抜け、函館に着く。

函館に着いたが、まだ早い。天気も良いので函館山に行くことにする。頂上に着くと、警備員が呼び止める。何事かと思えば、ここの駐車場は17時までだという。それを過ぎると山を降りてもらいますと言う。時計を見ると16時48分である。なだ、ちょっとあるだろうと言って車を降りると、快晴で素晴しい眺望。眼科の函館の町、松前、青森、恵山など360度に広がっている。

残念ながら時間で、従業員らしき男に写真を撮ってもらい、17時過ぎに山を降りる。しかし、来た道は17時で閉鎖されており、別の道を降りたが住宅地の中でぐるぐると廻って、NAVIの役に立たない。漸く、宿のビジネスホテルに着く。

         

                            函館山   

  

                            函館の町

 ホテルでコインランドリーを借りようとすると、何処かの高校のスポーツ部が泊まっていて占領されている。時間も早いので町に出たが、中心地から離れた宿を取ったので、飯屋も見当たらない。

近くにSEIBUがあったので行くと、8/10閉店セールと書いてある。ホテルで飯を食おうと、ここで食料を調達して帰る。ホテルのマネージャーに聞くと、この辺も閉店などで段々さびしくなってきましたなどと言う。マネージャーは親切だが、部屋は典型的ビジネスホテル。最上階のため、何かの機械音がうるさかった。

(この日 355km)

 

函館

 ここは、以前に、女房と来たことがあるので、五稜郭、港町、トラピスチヌ修道院などは省略。もし、函館に行かれるならトラピスチヌ修道院がお勧め。ここは日本初の修道尼院で、建物も美しい。

ここのクッキーはトラピスト修道院と違い、ここでしか売っていない。女の子のお土産には最適ですよ。

 

(8/1 金) 松前―江刺―長万部

 6:40頃、宿を出た。まっすぐ松前方面に行くのも面白くないので赤松国道(5号線)を北上する。市街地を少し離れると、赤松の並木が断続し美しい。大川と言う所から左折し、大野平野広域農道を

通り、中野に出る。この一帯は水田地帯で、岐阜や美濃とあまり変わらない。

               

                           街道の赤松

 ここから南下し、松前街道(228号線)に出て、トラピスト修道院に行く。8時から見学させる(男子のみ)と言うことだが、事前の申し込みが必要と言う。申し込みもしておらず、8時前についてしまったこともあり、周辺を見て歩く。三木露風の碑があった。彼はここで4年間文学講師を勤め、その後結婚、洗礼も受けたようだが、戒名は仏教。経緯は何かの機会に調べよう。

                

                      トラピスト修道院

 さらに過ぎて、道の駅「知内」、「横綱の里福島」などを通過。千代の富士記念館もあったが、時間の都合で見学は中止。さらに進むと北海道最南端の白神シラル・カムイ=岩の神であるが、駐車場も狭く、交通量も多く道の反対側であり、灯台の前を通り過ぎてしまう。ここから8kmほどで松前マツ・オ・マイ=女(和人)・居る・処)である。

まず、郷土資料館に行こうとしたが、NAVIが役に立たない。あちこち一方通行で目の前なのにどう行って良いか分からない。えーいままよ、と誰も通らないので一方通行を逆行して、到着。

しばらくするとここの従業員らしいのも、同じ様に入ってきたから、よほど、不便なのだろう。

郷土資料館の前に徳山大神宮なる神社があり、当国一の宮とある。蛎崎氏が松前藩成立時代に建立したようだが、社務所もなく詳細不明。資料館もたいしたこともなく、一応、この地方の成り立ちが分かる程度。

                 

                         徳山大神宮

ここを出て市役所の駐車場から松前城に入る。幕末、この城がロシアの脅威に備え、この地方を幕府直轄とし作られたものと言う。北海道の歴史はをもっと勉強する必要がある。

江戸中期から、松前藩が商人にアイヌとの対応を任せた時代、明治になって本州各地から入植し、アイヌを圧迫した時代など、アメリカインディアンと白人との関係と似ているような気がする。

城自身は新しく再建したもので、当時ものは小学校として使われていた時代の玄関部分があるのみである。城跡は公園で、各種の桜が植えられ、桜祭りが有名とのこと。

ここで、松前藩時代、アイヌとの和議が成立し、12人の酋長を呼んで宴会をして、そのときの書く酋長の姿を絵師に書かせたと言う絵姿が展示されていた。中々素晴しいものであるが、日本には2枚しか残っていない。コピーを入手しようとしたが、所有者が許さないとかで入手できなかった。その後、ネットなどで調べたが出て来ない。

               

                           松前城

公園に松前藩屋敷と言うのぼりが諸所にあるので、行って見たが、かなりの距離。当時の侍屋敷、町屋、商家などを再現したもの。途中、松前藩歴代の墓所もあった。

                

                          松前藩屋敷

 

松前から積丹サツ・コタン=夏の村、ちなみに冬の村マタ・コタン 狩猟採集で生活したので住む場所を変えていた)までの28号線を追分ソーランラインと称し、ドライブなどにと宣伝しているが、確かに江差エサシ=こんぶエサウシイ=頭を浜に出して入るもの(岬)などの説がある)までの道は車も少なく快適で、80km以上で飛ばせる。

江差の少し手前で海岸に行き、砂浜で昼飯を食う。砂浜と言うより玉砂利と言った方が良い浜で、漂流物もなく、沖には奥尻イクシュン・シリ=向こうの島が見え、風が少し強いが心地よい。

               

                     江差近くの海岸(向こうは奥尻島)

江差の少し手前で道の駅「上の国もんじゅ」による。ここは公民館と食堂をかねたような設備で、すぐ後ろに夷王山という高台があり、中世には上の国勝山館という砦があった所。

15世紀半ばのコシャマインの蜂起の時、12あった和人の館の殆どが陥落し、ここにこもった武田信弘が打って出てコシャマイン親子を制圧したと言う。

眼下に、港、街道を一望し、蛎崎氏の蝦夷地統一に大きな役割を果たした。山頂の夷王山神社には、武田信玄を祭ってある。

展望台にいた若い男と話しをする。彼は数年前に、ここの小学校に赴任してきた。町の人口は7500、彼の学校の生徒数は250人と言う。多いですねというと、5人しかいない学校もあると言っていた。

                

                        夷王山神社より

 町の郷土資料館を探そうと、NAVIを設定し走っていくと、港に大きな帆船が見える。寄って見ると開陽丸を復元したもので記念館になっており、当時の経緯や、引き上げた大砲などを見る。

幕末、ここが幕府の直轄地となったことも、榎本武揚土方才蔵がやってきた一因でもあるのだろう。

                

                         復元された開陽丸

 江差の町の道路は狭く、駐車マナーも悪い。資料館は期待はずれ。ニシン御殿に行こうとしたが、町おこしのためか道路が改修中で町並みの改修も行っていて、前を通るだけであきらめる。

道の駅「えさし」を過ぎるとみちの横は、岩礁が続く。この辺、乙部オト・ウン・ペ=河口に沼がある川)から熊石クマウシ=魚を干す竿のある所)辺りがあわびの名所と言われるゆえんである。

乙部の道の駅「ルート229元和台」はレストランだけでたいしたことはない。熊石から277号で八雲町へ抜ける予定であった山の中で面白くないのでが、少し引き返し、国民宿舎ひらたない荘により

あわびの湯という温泉に入ってみる。海洋深層水を使った湯船などもあり、海洋深層水が町の売りらしい。

229号線を宮野方向に走ると、少し手前が、道の駅「てっくいらんど大成」である。ここすぐ目の前が海水浴場で宿泊設備などもあるが寒くて誰も居ない。さらに進むと北桧山町で現在は、瀬棚町と合併し、せたな町となっている。ここから230号線で道が良く、車も少なく、国縫から長万部オ・サマム・ペ川尻が横になっている川)へ抜けだいぶ遠回りをしたが長万部温泉大成館に着く。

この温泉は戦後発見されたもので、小さな民宿風の宿が7軒ほどある。温泉の温度が高くかけ流しなのが良い。ひなびた田舎の宿といった感じで、夜寝ていると長万部を通る夜汽車の汽笛、線路の振動など、昔を思い出させる。

(この日 331km)

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