北海道の旅(その4)
北の岬へ
(7/25 金) ウトロ―小清水―網走―紋別
朝、風呂から帰ると、女房が身体がかゆいといっている。夕べ食った何かでジンマシンになったらしい。
二人共通でないものはこはだの寿司。
フロントに文句を言うと出かけていったが、良くあることらしく、そういうお客さんもあるんですよと言って薬をくれたが態度が悪いと散々に文句を言う。
朝、これまたバイキング。団体客で満員である。ここでも観光地の観光ホテルには泊まるものではないと反省させられる。
8時前に宿を出て、宇登呂(ウトウル・チク・シ=その間を我々が通る所)漁港に行って見る。幾つかの岩山が海との間にあり、ここをアイヌが通ったらしい。港には、オロンコ岩(昔は島に北方民族のオロッコ族が住んでいたとのこと)のトンネルを抜けていく。先には、三角岩がありその間が港となっている。
見えるものは、オロンコ岩のウミネコと森繁の「知床旅情」の碑。
ウトロ港(知床観光船と知床旅情の歌の碑)
ここから知床国道(334号)で斜里(シャル=葦原)に向かう。途中、三度の滝という小さな滝があり、その先にオシンコシン(オシュンクシ=エゾ松の多い所)の滝がある。
この滝は、(チャラセ・ナイ=崖をちゃらちゃらと滑り落ちる川)と言ったが、近くの地名が滝の名となったと言う。
旧道を上がると良く見えるようだが、旧道は改修中で通行禁止。観光バスの一団と下から見る。
オシンコシンの滝
斜里の少し手前で以久科(イクシナ・ぺ=向こう側の川)原生花園行く。ここは、花の種類などこれから行く小清水原生花園に劣らず豊富で穴場だというのだが、少し時期が遅いのかハマナスなどのほかあまり花は無かった。
斜里国道(244号)に入り町を外れるとジャガイモの花盛りである。ビート、ビール麦、ジャガイモなどの広大な畑が続き、ところどころに蕎麦畑もある。確かに開拓以前は斜里川の河口で葦原だったのだろう。
斜里から小清水への道
ここから先、沢山の湖があるが、これらはいずれも砂嘴が発達して出来た海跡湖である。
一番手前が濤沸湖(トープツ=湖の口)で、脇道にそれると濤沸湖PAがあり、ここから湖を見て小清水原生花園(アイヌ語のポンヤンペツ=止別の支流をポン(冷たい)ヤム(小さい)ペツ(川))と間違えて小清水となったという)に向かう。
ここには、釧網本線の原生花園駅(花の季節には特急も停まる。水戸の偕楽園駅と同じ)と道の駅「はなやか」があり、観光の拠点となっている。しかし、残念ながら、原生花園の花の最盛期は6月から7月初めであり、ここもまたすでに花が終りつつあった。
花を見ながら北海道を旅行するなら、6月中旬に釧路や霧多布湿原、下旬に斜里から稚内の原生花園、サロベツ原野、7月初めに礼文、利尻から大雪山系というのが良いのであろう。
小清水原生花園(少し花の季節には遅かった)
広い原生花園の中を散策して戻ると、丁度、10:20分の快速電車が着く所であった。駅長がJRの帽子を貸したり、一緒に写真を撮ったり、自分がとった写真を使った10枚組に入場券を売ったり、商売熱心である。聞けば、17年駅長をやっているとのことであった。時期も少し遅かったか昇降客は一人もいない。道理で駅長が運転手に乗りませんと断ってくれと言う訳である。
原生花園駅(小さな駅舎で、半分は記念品売り場)
駅長手製の入場券
当時は、気動車も快速と言ってもかなりの年代ものだったが、今年から夏場にはDMV(Dual Mode Vehicle)なる線路と道路の共用車を開発して走らせている。
気動車とDMV(07年から運行)
244号線を鉄道に沿って進むと網走(チパ・シリ=幣場の島――今の帽子岩に幣場があった)である。ここの高台に北海道立北方民族資料館がある。ここで、先住民社会と水産資源という特別展をやっていたのでこれを見る。北海道のとげの大きいなまこが中華料理の食材として最も高級ななまこということを知った。
北海道立北方民族資料館
続いて、博物館網走監獄へ行く。明治時代、死んでくれた方が手間がかからないという過酷な扱いでの労働、脱獄名人、共産党徳田球一の獄中生活など色々と面白い。一見の価値はある。
監獄入り口
無事に出所
網走から、網走湖を左に、ついで、能取(ノトロ=岬の所)湖を右に見て湖畔の能取PAにつく。ここから見た能取湖は特に何もなし。道道76号線で能取岬を廻るべきであった。
ここを過ぎて、常呂港に寄ったが特に何もない普通の港。この一帯は、常呂川(トコロ・ペツ=湖を持つ川)をはさんで、能取湖、サロマ(サロマ・ペツ=葦原にある川)湖があり、縄文時代、
擦文時代、アイヌ時代の5000年以上の生活圏であった。各時代の遺跡(常呂遺跡)が発掘されており、なんとなく三内丸山遺跡を思わせる。
北海道の遺跡は縄文以来、気温の変化があっても、本州のように木の実など植物性食物の比率が高くなかったので、生活圏が継続できたのかもしれない。
サロマ湖の入り口に、サロマ湖PAがあり、近くのネイチャーセンターで情報を仕入れ、ホタテ弁当を食う。砂嘴にあるワッカ(=真水)原生花園も有名だが、やはり時期が少し遅い。サロマ湖は大きい。先に進んで道の駅「サロマ湖」を過ぎ、ビラオロ(=崖がある所)展望台に寄ったが分かりにくい所で、傍の店なども開店している気配がない。昔、アイヌが魚群を見ていた場所だとか。
1 サロマ湖
ビラオロ展望台とサロマ湖
さらに湖岸を進み、道の駅「愛ランド湧別」により、中湧別(ユベ=鮫、ユベ・オツ=チョウザメ、多いなどから来ているという)と進み砂嘴の先端にある竜宮台まで行く予定であった、時間がかかりそうなので、ここからオホーツク国道と名前を変えた238号線を北上し、紋別(モウペッ=静かな川)に向かう。
紋別市の入り口の元紋別には、道の駅「オホーツク紋別」があり、流氷公園、流氷科学センターなどがある。流氷科学センターは、海に突き出ており、岸壁を500mほど歩くとオホーツクタワーに着く。岸壁では、釣りをしている人たちが居て、見てる間に二人釣ったが、釣った本人が恥ずかしがるような小さなカレイである。
タワーと言っても海上は3階で、海面下が17mエレベーターで降りていくと各面に窓があり、海中が見える。若い研究者らしいのが親切に教えてくれた。見えたのは、スジアイナメ、エゾメバル、ウグイ
ホッケなど。夏は夜9時までやっていて、夜の方が魚が明かりに惹かれて集まってくるとか。クリオネなども飼っており、ここで作ったクリオネのCDを買う。
オホーツクタワーへの岸壁(先に見えるのがタワー)
紋別は、昔は金鉱の町、今は流氷の観光の町、砕氷観光船ガリンコ号は、この年は展示のため東京に出稼ぎに行っていた。最近では、夏場はこれをクルージングや釣りに使っている。
宿泊は、紋別プリンスホテル。選んだ理由は、ここだけに温泉があるから。たまたま着いた日から3日間、町の夏祭りであった。
晩飯は外で食うことにしていたので、夜の町に出る。近くのかまぼこ屋で名物のかまぼこを買う。その場で焼いてくれるので、それを食いながら町を歩いた。また、夜の果物として比布産の苺を買う。
町は祭りで賑わっている。旧名寄本線紋別駅の跡地は、この年の4月に「オホーツク氷紋の駅」と言う商業設備が出来た。当時の機関車の車輪などもおかれ、宮川泰の「銀色の道」の記念碑が作られていた。(同じような記念碑が廃線となった鴻紋鉄道記念碑の所にもあるという)宮川泰の父親は鉱山の土木技師で、全国を転勤しており、彼が若い頃ここに居て、この楽想が当時の線路の水溜りが銀色に光っているのを見て浮かんだという。ピーナッツやダークダックスが歌ったので我々の年代の人には懐かしい。100円入れると歌が流れる設備もついている。
♪遠い遠い はるかな道は
冬の嵐が 吹いてるが
間の春は 花が咲いてる
ひとりひとり 今日もひとり
銀色の はるかな道♪
オホーツク氷紋の駅
記念碑(左のボックスで歌が聴ける)
祭りの警備員にうまいすし屋はと聞き、「オホーツク丼」なるものを食って、「はまなす通り」と言う100m位はある金鉱時代の面影が残る飲み屋街を通って帰る。
店は、半分以上が廃業しており、やっていると思われる店も祭りのためか殆ど開いていない。かつて、鴻之舞金山は、2万人以上の人が住み、名寄本線で札幌まで特急が通じていた頃は、町の賑わいも平日でも今のお祭りの時以上だったろうと思いながら宿に帰った。
ホテルの温泉は、アルカリ泉、露天風呂もあり設備は良好。しかし、観光客は少ない。
(この日213km)
(7/26 土) クッチャロー宗谷―野寒布―稚内
5時頃温泉に入り、7時前に出発。天気は曇りで肌寒い。紋別スカイタワーからの眺望も良くないだろうと止めにし、オムサロ原生花園もワッカ原生花園などと同じであろうと省略。この周辺にも縄文時代からの住居跡がある。
今日は長い行程。この街道はトラックも多く、しかも皆、80km以上を出している。7時過ぎには興部(オウコッペ=二つの川尻が合流している)に着き、道の駅「おこっぺ」に寄ったが早すぎる。
この道の駅には車で寝ている旅行者も多い。 日の出岬展望台は、オホーツクが一望というのが売りだが、曇っていて良く見えない。キャンプの若者が大勢いた。夏休みである。
日の出岬展望台
この先辺りから国道238号は、宗谷国道、オホーツクラインなどという。雄武(オ・ム・イ=河口がふさがる所)町の道の駅「おうむ」に寄るも、まだ時間が早い。
さらに進んで道の駅「マリーンアイランド岡島」から、毛蟹水揚げ日本一という枝幸(エ・サ・ウシ・イ=頭を浜にいつもつけているもの=岬のこと)港に寄ったが、時期的に毛蟹は無く、加工場ではおばさん連中がホタテの殻むきをやっていた。(江戸から明治はサケ漁の港であった)
さらに北上し、浜頓別(頓別=ト・ウン・ペツ=沼に入る川)に着く。ここは、明治に砂金が発見され、ゴールドラッシュが起こった所。当初予定はここで11時過ぎであったが、あまりのスピードに10時前に着いてしまう。
ここで昼飯の予定を変えてクッチャロ(=クチャラ=湖の出口)湖水鳥観察館に行き、周辺を散策。湖産の小エビなど買って周辺の事を聞くと海岸にベニヤ(語源分からず))原生花園があるという。
国道をそれて行って見ると、クガイソウ、エゾニュウなどまだ、かなりの花が残っていた。
再び、クッチャロ湖に戻り。西岸の道道710号線でクローバーの丘に行く。丘には、幸福の鐘なるものがあり、大沼、小沼が良く見えるが、風が強かった。
二人連れのバイク野郎に写真を撮ってもらう。
クローバーの丘
ここを過ぎて238号で道の駅「さるふつ(サル・プツ=湿地の川口)公園」に行き。ホタテカレーを食う。ホタテの具が多く旨かった。女房が予定より早いので、隣のホテルで温泉にでも入ったらと言うので、行って見ると受付に誰も居らず、温泉は二階と書いてある。行って見ると誰も居らず。面倒なので風呂に入って出てきても、上下誰も居ない。結局、只、これで良いのか?
12:30にたち、宗谷(ソー・ヤ=岩・岸)岬に向かうも生憎、霧雨が降ってくる。岬に着いた頃には雨はやんだが風が冷たい。岬の土産物屋で、日本最北端の地到達証明書なるものを買う。
記念碑が色々と建っているが脈絡が無く、雑然としている。
海岸線を稚内(ヤム・ワッカ・ナイ=冷たい飲み水の川)に向かうが、途中の原生花園は花がない。後で聞いたら今年はおそ霜でやられたとのこと。市内を抜けて野寒布(ノッ・サム=岬の傍)岬に向かう。ボランティアの人が駐車場にいて丁寧に説明してくれる。
折角なので、寒流水族館に入ってみた。タマちゃんの兄弟分が沢山居る。回遊槽では、イトウが目玉。捕獲して海水に慣らしたとのこと。しかし、小さな水槽は皆、熱帯系の魚である。北国の人向けに珍しい魚と言う事であろう。
ここから日本海沿いに下ってくると、童夢という町営温泉設備があり、日本最北端ということで結構、混んでいた。さるふつと同じような泉質である。
再び、稚内に戻り、今夜の宿は全日空ホテル稚内。高いホテルだが、女房の親父の株主優待権があるとか。フェリー港に近く、利尻、礼文に行くのに便利である。
今回の旅行では、利尻、礼文jと日本海側を通るルートは入っていない。何時の日か、来ることもあろう。
近くの北海市場というところで土産に昆布などを買う。
(この日 275km)