九州を旅して(その11)

  阿蘇――Lost World

 (津久見―臼杵磨崖仏―西寒田神社)−臼杵ー原尻の滝−竹田ー阿蘇ー九重ー宝仙j寺温泉ー湯布院―湯平

 

  16日目津久見に着いた時は、まだ12時で、今日もまた予定変更です。午後から、高速に乗って臼杵の磨崖仏、これを見ても時間が余るのでさらに高速で大分まで行って、西寒田(ささむた)神社まで行くことにしました。大分から帰って臼杵城址をみて臼杵のビジネスホテルに泊まりました。この部分は上記の(カッコ内)、話の都合上、(その12)に譲ります。

 

 旅も17日目、今朝は、ようやく足の調子も良くなってきて、7時頃ホテルを出発です。今回の旅は、阿蘇を見るのも目的、2日間十分な時間をとっています。

国道502号線を進みます。道の駅きよかわで聞くと原尻の滝でチューリップ祭りをやっているとの事で、立ち寄りました。道の駅原尻の滝の周辺は一面のチューリップ畑、すぐ横が原尻の滝です。

 

        原尻の滝                    つり橋からチューリップ畑を見る

 このつり橋を渡ると、稲田、茶畑など色々な作物の畑があり、少し先に鎌倉時代の造られたという石仏があります。これは西石仏ですが、東石仏もあります。

九州の仏教の特長は、宇佐神宮にはじまる八幡信仰と結びついた神仏習合、修験道と鎌倉以降の禅宗(西の方ではキリシタンの跡を埋めた)が多いということでしょう。

修験道の世界では、修行もかねて石仏や石塔を作ることが多かったと言われています。

                        緒方宮追西石仏

 ここを過ぎると竹田市です。市街地の少し手前に岡城址があります。(一週間前が桜満開)
ここは山城で、規模的には近江の浅井氏小谷城とおなじ位でしょう。

 

             岡城址                 滝廉太郎の像

二の丸には朝倉文夫作の滝錬太郎の像があります。

廉太郎が訪れたであろう明治34年頃は城が取り壊されて、まだ30年弱、まさに「荒城の月」と言うイメージが湧くような荒れ果てた状態であったのでしょう。

 竹田から国道57号線で、阿蘇市に入り、まずは中岳を目指します。麓は、桜が咲き、牧草も緑、放牧がはじまっています。中腹から上は、山焼きが済んでようやく芽吹いてくる所でした。

この後も寒くなって雪が降ったりしました。何でも今年の山焼きは風が強く、燃え広がってしまい、危うくつつじの群落までもしてしまうところだったなどとロープウエイの中で話しをしていました。

 

           仙酔峡ロープウエイへの道と、ロープウエイ

 しかし、こちら側から火口に行く人は少ないようで、ロープウエイ駅などは観光地とは言いがたいような荒れた雰囲気でした。確かに、ここからはお釜の中は見えません。火口への道は改装中で、足もまだ完全ではなく、ゆっくりと歩いて登るしかありません。

 

                      中岳火口

 まっすぐ戻り、町に入ると阿蘇神社です。ここの祭神は、高天原国見ヶ岡で国を見た神武天皇の孫の健磐龍命(一宮)その妻で地元の阿蘇都媛命(二宮)他全部で十二神です。

 

                            阿蘇神社

神話では、阿蘇地方は、昔湖であったものを阿蘇大明神(建磐龍命)立野火口瀬(写真)を蹴破って水を出し、後に田畑を作らせたと言われています。阿蘇の巨大なカルデラが湖であった時代があったのでしょうか。

 地元の神と結婚して、農業を広めるなど、縄文から弥生への流れを感じさせる話しです。

また神社は中岳に参道が向いており、太古には中岳が神であったのでしょう。

          

               立野火口瀬(外輪山唯一の切れ目)

 ここから北に行くと、阿蘇国造神社があります。阿蘇山、阿蘇神社とほぼ一直線で、北宮とも言われています。祭神は、健磐龍命の子の国造速瓶命、妻の雨宮媛命などです。

 

                    阿蘇国造神社

 ここの神々は、神武以来という形をとっていますが、明らかに阿蘇という土地に深く根ざしたものでしょう。朝鮮の高麗が攻めてきた時、阿蘇の神が撃退したなどという話もあるようです。戦国時代に至るまで、外敵が侵入したということはなかったのでしょう。

恐竜でも出てくれば、まさしくLost Worldなのですが。(映画のラドンは出てきたようです) 近くに一の宮温泉センターという市営設備があり、露天風呂にゆっくりと入り一休みです。

南下して、国道265号線に入り、阿蘇の連峰を右に見ながら、高森に向かいます。高森の近くの月廻り温泉館の前からの阿蘇の眺望は素晴しいかったです。

 

             高森から見た阿蘇

 国道325号線から烏帽子岩方向に山道を登っていきます。山頂へは明日、分かれて少し行くと草千里、そこに阿蘇火山博物館があり、大画面で阿蘇の成立ちなどを説明してくれます。

 

                草千里(左の池は水が枯れている)

 少し先まで行き米塚の見える高台まで行って引き返し、今夜の宿、地獄温泉清風荘に行こうとしましたが、こちら側の道は、途中、がけ崩れで通行止め。宿に電話して道を聞きましたが、下まで降りて遥かに廻る必要があり、ようやく辿り着きました。

ここは、古い温泉宿です。湯は5箇所あり、島原の小地獄温泉と同じ硫黄泉で最も好きな湯です。しかし、となり部屋とはふすま一枚、団体のおばさん連中の笑い声、カラオケの声など聞こえてきます。慣れないと地獄?持って行った耳栓が役に立ちました。

 

 18日目、今日も阿蘇の旅です。朝飯を食って8時前に出発。立野火口瀬の数鹿流ヶ滝に向かいます。国道57号線への分岐点の阿蘇大橋の所から谷間の滝が見えます。

国道の横に入り口の看板があるようなのですが、良く分からない。車の交通量が多く、しかも日本で5本の指に入るという地元の人が言っている熊本NOの乱暴な運転でゆっくり探すことも出来ません。大きな直下型の滝で、那須、日光などと似た形ということのみ確認して、今度はこちら側から中岳に登っていきます。

    

        数鹿流ヶ滝                            米塚

 今度は、米塚の横を通り、火口に向かいます。こちらには、阿蘇山公園道路があり、火口近くの駐車場まで車で行けますが、ガス濃度を測りOKとなって初めてゲートが開きます。9時丁度、一番乗りです。

 

              阿蘇中岳火口

 阿蘇の連峰に別れを告げ、国道212号線からミルクロードと言われる県道45号線に入ると、徳富蘇峰が名づけた大観峰の駐車場があります。やまなみハイウエイに抜ける観光ルートで観光客の多く来ています。

 

        大観峰より見た阿蘇連峰(涅槃の姿)

 ミルクロードからやまなみハイウエイに入る茶店でソフトクリームなど食って出発。九重に行く途中で、”夢“大吊橋なるものが出来ているというので行って見ました。

観光用の吊橋で、いまや日本最長とか。人は渡っていますが、駐車場などは未完成で傍まで行って帰ってきました。そういえば、常陸竜神峡の吊橋は、本州最長になってしまいました。

 

         “夢”大吊橋                    竜神峡吊橋(昨年)

 

                   九重のやまなみ

 九重のビジターセンターにより、国道210号線との合流点の道の駅水分峠に到着。ここは210号線のトラック野郎などの休憩基地になっているようです。

ここから湯布院を通って、宿の湯平温泉に行くのですが、まだ、早いので何処か温泉はないかと探すと、210号を少し逆行すると、壁湯なる温泉があると地図にあったので行って見ることにしました。これまた、道が分からず宝仙寺温泉に着いてしまい、ここに石びつんの湯という共同浴場があると言うのですが、鍵がかかっているので聞けば、50分1000円の貸切との事。九州の日帰り湯は、300円くらいが多いのですが、一人で入るのなら茨城より安いと入ることにしました。石びつんとは大きな石櫃でここにかけ流しの湯が流し込まれているのですが

栓がなく(あっても熱くて入れない)10人以上は優に入れる露天風呂です。大勢ではいれば安いものでしょう。一人でゆっくり入るのもいいものです。

目の前の川は清流で、源氏ボタルの名所とか。湯治に来ている客もいました。

 

      石びつんの湯(橋を渡った向こうが温泉)   湯が流れこむ石櫃

 毎日の温泉治療で足のほうもだいぶよくなってきました。

九重ICから湯布院ICまで高速に乗り、湯布院に行って見ました。有名なだけに人も多く、車も多い。聞けば、日帰りの客も多いらしく、観光バスも多く来ています。

小生は、ここから210号線を進み、山の中に入った湯平温泉の小さな宿に泊まります。

湯治場の風情が残り、狭い坂道に温泉宿が立ち並ぶ所で、車で行くのに、崖下に落ちないかひやひやするような道でした。共同浴場などもあるのですが、散々歩いたので出かけるのはやめにしました。宿には、同年輩の10名以上のババ連、夕食で一緒になりましたがまことに元気です。

             

                    湯平温泉

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