九州の旅(その8)
九州の旅もほぼ半ば、十一日目(4月5日)となりました。日置市から南さつま市を一路南下し開聞岳を目指します。日置の吹上浜付近は田植えも済み、日立とは一ヶ月以上の差があるようですが今朝は気温が低く、宿を出る頃は霜が車は霜で真っ白でした。
日置近くの田畑(日立なら5月ごろの風景)
野間半島の先には風車が沢山回っていました。
野間半島の風車
ここを回ると杜氏の里笠沙という焼酎作りの伝承展示館があります。明治の初め、ここに焼酎造りの技術を伝え、九州一円に出稼ぎに出て黒瀬杜氏と呼ばれその腕を振るったそうです。
杜氏の里笠沙
らんびきと言う磁器の蒸留器 タル式蒸留機
ここにらんびきという蒸留器がありましたが、この語源はアラビア語だそうです。今では焼酎の名前にもなっているようです。
少し進むと秋目浦で、ここに鑑真記念館があります。鑑真が6度の試みで盲目になりながらようやく日本に辿り着いた所です。このルートは、大陸から日本への代表的ルートです。
ここで、「007は二度死ぬ」のロケが行われたとか。
鑑真が辿り着いた秋目浦
鑑真記念館と鑑真が来た道
さらに進むと博多、伊勢とともに日本三津といわれた坊津に着きます。
坊津の海 双剣岩
坊津の港
ここはリアス式海岸で、古くから大陸との通商港として、また遣唐使の港、琉球への窓口、江戸時代は密貿易の拠点としてなどで栄えた所です。坊津というように、仏教伝来の6世紀にはすでに百済の僧が寺を建て、江戸時代には真言宗一条院が大いに栄えた所ですが、廃仏毀釈で廃寺となってしまいました。
坊津には輝津館という立派な歴史資料館があります。
枕崎の町(鰹節だけでは有りません、お茶も)
国道226号線を進み、鰹で有名な枕崎港で鰹節などを買います。店の親父に、景気は?と聞くと、最近は鰹節を知らない女が多いなどと言っていました。
開聞岳
そして、薩摩富士の開聞岳の麓の枚聞(ひらきき)神社です。
枚聞神社鳥居 拝殿
祭神はオオヒルメムチ(天照の別名?)他で、新田神社に比べると古い神社です。
海の守り神とも言われ、琉球王も崇拝し奉納品も残っています。
神は何処から来たかを考える上で、朝鮮半島との関係、大陸との関係それらを伝えてきた部族との関係など想像して見るのは面白いですね。
余談ですが、「初めての九州旅行」に書きましたが指宿、知覧、鹿児島、霧島は、車の免許を取った年の秋に女房とレンタカーで回りました。日本レンタカーは、一年以上経たないと貸してくれないがメーカーは半年以上経てば貸してくれるということが分かりました。名古屋高速のループを650円で何回も回って練習し、普通の人が免許を取った半年の何倍も乗ったのだから良いだろうなどと言っても駄目ですね。(乗るのも何倍なら、車を壊すのも、違反で捕まるのもーーー皆、何倍ですからーーー)
ここを過ぎて、池田湖から開聞岳をみて指宿スカイラインに乗り、頴娃町の経営するアグリ温泉えいで一休みです。ここからの見晴らしは素晴しかったです。
池田湖と開聞岳
スカイラインから見た開聞岳
スカイラインから鹿児島市、桜島を見る
さらに九州自動車道で隼人東ICから、国道223号を北上し、大隈の国一の宮鹿児島神宮
に向かいます。
この一帯は、天降川など霧島から流れこむ川が造る平野で、大隈の国の国衙や国分寺があった所です。町の名も隼人町、隼人族の根拠地でしばしば大和に反乱を起こしています。
鹿児島神宮への道
鹿児島神宮 ご神木
近くには反乱した隼人族の霊を祭ったという隼人塚がありますが、起源ははっきりしないようです。
神社の近くに、隼人歴史民俗資料館がありました。小さな館ですが、研究熱心な人がいると見えて、海彦、山彦の話の由来、熊襲と隼人の関係、各地の隼人族の分布などの掛図があり面白かったです。
隼人族の分布 隼人塚
720年頃の隼人の反乱の後、豊前辺りからかなりの住民を移住させたようです。
今夜の宿は、近くの日当山温泉です。町の日帰り設備に宿泊の部屋がついたような所です。晩飯、温泉付で4700円ですからこんなんものでしょう。
ところで、夜、ノートPCで写真など整理していると無線LAN回線がいくつもあり、セキュリティ
不十分な回線と接続が出来てしまいました。送るのはやばいので止めましたが、メールを受けることが出来てしまいました。
キリシタンと言い、廃仏毀釈と言い、車の運転も、九州はやることが激しいですね。