九州の旅(その9) 

             秦氏の地???から大隈半島へ

 薩摩半島が、隼人族の土地だとすると、錦江湾の奥から高千穂にかけての土地は明らかに別の世界です。ここに到着したのは、誰なのでしょうか?
天孫降臨の伝説の主、それは、いつどこから来たのでしょう。

 

旅行も12日目に入りました。日当山の宿を朝食抜きで、6時半前に出て、鹿児島空港ICから九州自動車道に乗り、小林ICまで高速をぶっ飛ばし、7時半前にえびのスカイラインに入ります。

えびの高原展望台からはあいにく曇りでよく見えず、不動池に8時前に着き、近くの自然観察路なる所に行くと、横浜から来たという同年輩の親父(車の一人旅)がいて挨拶をすると、拾ってきた硫黄の塊など見せてくれました。

さすれば行かねばなるまいとまだ痛い足をかばいつつ、山に入っていくと、こちらはガスが出るので入らないでくださいなどという看板もあります。硫黄が固まっており、火山活動が活発であることを示しています。

   

                       不動池と近くの自然観察路

 ここで腹が減ったので、近くのホテルに行き、食い物を探して腹ごしらえをしました。

ここから韓国岳を左に見て進むと高千穂河原です。ビジターセンターに9時前に着きましたが早めに入れてもらいました。周辺の自然など知る上で役に立ちます。

150mほどなだらかな坂と階段を上ると高千穂河原古宮址です。

 
      

         高千穂河原古宮址                     徳富蘇峰の歌碑

  昔はこの場所に霧島神宮があったが、1400年前と1000年前頃に噴火で焼失、その後、別の場所に移り、現在の場所へは480年前に移ったとあります。

ニニギノミコトが7人の神と1人の道案内(猿田彦)とここに降り立ったという天孫降臨の神話や韓国岳の命名の由来とかには様々な説があるようです。
いずれにしても、熊襲あるいは隼人の国に、何らかの新しい部族がやってきて、様々な摩擦を起こしたことは間違いないでしょう。(いまでもかんこくだけなどと読む奴もいますから!!)

 少し、山を下ると、霧島神宮です。祭神はニニギノミコトほかですが、神社の歴史は複雑です。10世紀頃、天台宗性空上人が、修験道の寺として霧島六権現の中心に据え、霧島をとき囲むように6つの権現社を置いて、明治の廃仏毀釈までこれが続いたようです。

 先程会った親父もいて、派手な色が気に食わないなどと言いつつ写真を撮っています。権現造りの名残ですから仕方がないでしょう。
このような形は遠野の早池峰山神社なども同じで、ここに行った時は、神社の名前まで同じで最初、どれが本物?と戸惑いました。

 

                         霧島神宮とご神木

 少し時間も早いので、さらに下って、霧島町歴史民俗資料館に行って見たが、ここは隼人町と違い、古い民具などを集めてあるだけでした。傍の町営温泉「神の湯」が立派なので、そこに入ってしばし休憩して、また戻って国道223号線を御池(えびのの御池ではない)に向かいました。 御池の畔には、どう云う訳か古道具屋などあり、食堂もかねていてここで昼飯を食って、池の畔を回り霧島東神社に行きました。ここも霧島六権現のひとつです。

  

         霧島東神社                       神社から見た御池

 ここから、幾つかの県道を通り、県道478号で錦江湾沿いの国道220号福山に出ます。
このT字路の目の前に「神武天皇御船出の地」と言う柱が立っていますが本当でしょうかね?

この一帯は、有名な黒酢の産地で酢を醸造する壷が沢山並んでいる所から壷畑と言っています。5年前に行った「坂元」と言う黒酢屋は、ずいぶんと儲けたと見えて立派な展示室などを造っていました。酢は、どの位、薄めるのでしょうか、焼酎は蒸留する。酒粕は二束三文、この酢の粕は、栄養材などとして売る。この違いを考えると同じ容量で、焼酎の数倍の値段でも売れるということは商売としてたいしたものです。

   

          坂元の展示館                     壷畑

 さらに進むと道の駅たるみず、その先から桜島です。島に入ると車は少なく、スピード違反の札幌NOが捕まっていました。気をつけなければ!!

               

                           道の駅からの桜島

桜島では、フェリー港の側の国民宿舎に泊まります。その昔、昔、手前の古里温泉街はあの方で有名な所でしたがーーー

                          

  桜島

今日は13日目です。大隈半島を回ります。朝、桜島の反対側を回り、大正の大噴火で埋まった神社の鳥居などを見て錦江湾を南下します。

ここでは、土浦から来たという親父(車で一人旅)に会いました。6月位までいるかなどと言っています。何でも、殆ど車で寝泊りしているとか。

 

                       大正大噴火のあと

 錦江湾側は海に向かって切り立っており、川は、根占辺りを除いて、志布志湾側に流れています。したがって、国道220号から269号側は、ひたすら海岸線を走るのみと言って良いでしょう。県道68号の南端で、有料の佐多岬ロードパーク入り、佐多岬の先端に向かいます。亜熱帯植物が生い茂り、サルなど野生動物を見かけます。

人がこないのでしょう。先端の展望台と休憩所はガラスも割れて入ることが出来ません。

御崎神社という、縁結びによいという小さな神社があるのみです。薩摩藩が琉球征伐を行うのに際し、祭祀を行ったとも書いてありました。ここまで来るまでに縁は結ばれている??

 

          御崎神社と佐多岬(先に見える灯台は島に建っています)

 確かにここは、亜熱帯。猿もいましたが車のそばにが来てパンをやるとうまそうに食ったのには驚きました。料金所のおばさんに聞いたら慣れているんですよと平気な顔。
そういえば、野生動物に限らず、猫なども団地の飼い猫と違い、逃げたりしませんね。

         

            気根をたらした植物               車の傍に野生の猪

             

                    本土最南端到達証明書

 ここから太平洋側の県道68号はがけ崩れで仮設道路を抜けますが、大変らしいので日向灘側へと大隈半島を進むのは諦め半島の中央を68号で進み、国道448号で内之浦に出ました。この一帯は、辺境の地で北の下北半島と似ています。

内之浦には、昔のミューロケットの発射基地があり今は宇宙空間観測所レーダー基地になっています。

   

          発射基地                          発射台

   

ロケット模型                       観測レーダー

 内之浦でコスモピア内之浦という町営温泉で一休み。さらに進むと、緑色の建物?らしきものが広がっています。何かと思ったら石油備蓄基地でした。

内之浦から海岸線を快調に進むと、くにの松原のある志布志に着きます。ここは半島の首で地図で見ていただくと分かりますが、錦江湾との間に広大な開拓農地が碁盤の目のように広がっています。肝属川の作る平地には古墳もあり早くから人が住んでいたのでしょう。

 志布志では、臨済宗大慈寺によって見ました。志布志は室町時代、勘合貿易で栄えた所で、この寺も繁栄したようです。例によって廃仏毀釈で廃寺になったが、明治12年という早い時期に再興され、寺宝などの散逸も少なかったようです。

 

            大慈寺山門                    宝満寺跡

坊津一条院と並ぶ古刹として宝満寺もありますがこちらも廃仏毀釈で跡が残るのみです。

 町を抜けた所にダグリ岬があり、そこの国民宿舎に泊まりました。国民宿舎もLANがあれば良いのですが。