九州の旅(その5)

さて、七日目、どうなることかと思っていた足の様子、半月板のところが腫れていますが何とか運転は出来そうです。
山鹿を通り、菊池の町につきました。ここには鞠知城という史跡があります。この城は663年白村江の戦いで破れた大和朝廷が大宰府などの後方支援基地として作った所だそうです。

              

                        鞠知城史跡

 この後、大和朝廷は、朝鮮経営をあきらめ、唐との国交を修復し、隼人の乱なども鎮圧し、

西の治安を回復、律令制で政治改革を行って、いよいよ陸路、東北経営に乗り出すことになります。

菊池市には、菊池神社がありますが、南朝側の菊池氏を顕彰するために明治になって作られたものです。余談ですが、小生の高校の同期で茨城県警に入り、退職後「少年Aの犯罪」などを書いた菊池君の祖先もここの出だそうです。ここはまた、温泉でも有名です。    

 国道387号線菊池渓谷水の駅まで進み、県道45号線で菊池渓谷を進みます。

           

                    菊地渓谷水の駅

ここは、阿蘇の西側です。清正公道といわれる338号線と交わるあたりに、新しい展望台が出来ていました。しかし、あいにくの霧、しかも風も強く雨も降ってきました。展望台でコーヒーなど飲んでいると、親父が、天気が良いとこんな風に見えるんだと飾ってある写真を示します。

    

    展望台から見た阿蘇の山々(仏陀の涅槃にたとえられる)(主人自慢の写真)

 仕方がないので熊本に向かって山を下ります。山焼きもすみ、今日(4/1)から牛の放牧がはじまりました。対向車線側は自衛隊の特車が通り、渋滞状態でした。

 熊本城についた時には、天気は回復。

   

          城への道と桜                          本丸への入り口

          

    頬当御門からの天主閣                天守閣と宇土櫓(これはカタログから)

日曜でもあり、桜は満開。今年は熊本城築城400年祭ということで大変な賑わいです。カメラは機嫌を直していたのですがまたまたおかしくなり、宇土櫓までで、本丸の写真が取れません。

 花見団子など食って女房とはここまで、熊本空港に行くと言うので熊本駅に送り、さてどうするかと思っていると、またまた驟雨です。

 水前寺公園などの見物もあきらめ、カメラを見つけることにしました。
しかし、ここは、平野の中の都市で、道が四方に出ているため、日立のように一本の国道を行けば、ビックカメラという訳に行かず、苦労してやっとヤマダ電機を見つけ、結局、後継の機種を買ってしまいました。お粥だめし、また良くない方に出たようです。

 城の近くのビジネスホテルに早めに着いて、足を見ると、足首やら腿やらに内出血。幸い、先日、腰痛になり、そのときもらっておいた痛み止めもあり、山歩きなどのための膝のサポーターもありで、この日を予測していたように準備が出来ていました。

熊本城の階段も、さほど支障なかったので、これからは一人旅、気楽に行こうと早く寝てしまいました。

 

 八日目、折角朝早く起きても、またも、立体駐車場。7時にならないと出発できません。

熊本から国道445号線を進みます。この先はめがね橋街道とか言って、山の中、古くからの沢山の石の橋がある所です。
 国道218号線と一緒になった所に、通潤橋があります。ここは水路の水を下の田に分流するため放水し、滝のように流れ出すのです。ただし、今は、土日1回、団体の観光客が来た時に限定されています。目の前は資料館などありますが時間が早くまだ開いていません。

   

        通潤橋(逆光で見えにくい)               放水時の様子

 この辺の生活は厳しく、江戸時代は家の大きさも制限されていたとかで、庄屋などでも、小さな棟を連結した家を作っていたりしたようです。谷は深く、稲作も殆ど出来ず、山の斜面に茶畑など作っています。

 

    3連屋根の家(瓦屋根は後からつけた)        この辺の畑

 さて、地図を見ると、内大臣橋という橋があるというので行って見ることにしました。

 

     内大臣橋への道(ここを下りて行く)          内大臣橋

この道はとんでもなく狭い道です。しかも九十九折、それを川べりに下っていきます。時速30kmも不可能です。行って見れば確かに高い所に作られた橋ですがここからさらに、20kmも進まないと国道に出ません。これはどう見ても観光地ではありません。

昨日の怪我の影響でアクセルを踏むのが大変です。

 ようやく、国道218(445)線に出るとそこは霊台橋です。1847年、江戸時代に作られた橋ですが、非常に美しい橋でした。この辺の石工の技術は優れたものがあり、江戸城の二重橋も造ったとか。

           

                           霊台橋

 ここから、445号線人吉に抜ける予定ですが、ここまでの445号線が比較的いい道だったので安心していってみると大違い。

1−1.5車線で延々と50km近くを走ります。途中、二本杉峠があり、駐車場もあるが、今日も曇っていて良く見えず。20km位の所に、梅ノ木轟公園というのがあり、茶店があったのを横目で見て通り過ぎると、突然ですが全面通行止め。1時間の交互通行とかで、12時からOKと言うも、まだ、11時20分。仕方がないので茶店まで引き返し、うどんなど食うことにした。茶店のおばさんが何処からと聞くので茨城というと、兄さんがヤクルトにいて転勤で今は茨城に居るとか。

 近くに反対側に渡るつり橋があるので、何処に行くのか聞いてみると、滝があるとの事。

この辺では滝を轟(とどろ)と言うのだそうだ。暇なので足は痛いが行って見ようと渡って見る。なんと、説明文には、滝を観光するために作った橋とある。

PC板(プレコンプレスト コンクリート板)で造ったつり橋としては、日本一とか。

 

                    梅ノ木轟公園のつり橋と滝

 ようやく五木五家荘渓谷に入ると少しは道も良くなって、道の駅子守唄の里五木についた。

             

            道の駅「子守唄の里五木」

ここの温泉に入って一休み。さらに30km以上走って、ようやく人吉に到着。

予想以上に時間を食ってしまったので、人吉はもう一度通る中継点ゆえ、九州自動車道に乗って、一気に松橋ICまで行き、宇土半島を島原湾沿いに天草へ向かいました。

 天草松島五橋と言う橋を渡っていくのですが、途中で車を止めるのが難しく良い写真が取れませんでした。

          

                   天草五島温泉(右)

                   

                 宿から見た海岸(歩いて出られる)

宿は藍風亭というここの温泉宿。今日はゆっくり出来そうです。
泊まった宿は目の前が海で、数年前に兄弟で買い取ってはじめたとのこと。食わせる魚などは自分達が海で取ってくるものが多いとか。天草松島と言うように島が沢山点在し島原湾と八代海の潮境で魚も多いのでしょう。茨城などと違い、九州の海は岩礁や小島が点在していますから、底引き網などで根こそぎ魚を取ってしまうことがないので、色々な魚がいるのではないでしょうか。 

 

今回の道は、水と稲作がいかに日本人の生活に重要なものかを改めて教えられました。水があり稲作の出来る所に弥生から古墳時代の集落が出来、産土神が崇められそれが、今日の神々の元になっていると言うことでしょう。

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