研究紀要47号 女子総合学園におけるジェンダー及びセクシュアリティの課題 生活・宗教・進路・行事指導における新たな視点 U ジェンダーロールからの解放と新たなモデルの提示 |
目次にもどる |
U ジェンダーロールからの解放と新たなモデルの提示
本校の進路指導は大学進学に関わる受験(大学選択)指導に重きがおかれている。その一方で、20年近くに渡り同和教育研究委員会を中心に「先輩との懇談会」が持たれ、職業意識の開発や女性の生き方についての啓蒙が行われてきた。
しかし年間、あるいは高校三年間、中高六年間を通して「進路=女性の生き方」にまつわる情報の提供や、それを考える動機付けが組織的に行われていないことは、共学校化の波の中あえて女子校として存続しようとしている本校において課題とすべき点であろう。
女子生徒の場合、ライフステージを創造する上でのモデルとなるのは、女性の社会進出が進んでいる今日においても身近な女性である自分の母親と学校の教師(あるいは保母・幼稚園教諭)であることが多く、あるいは実体験を通して知る看護士や美容師などがその典型となっている。
しかし改正男女雇用機会均等法の施行や男女共同参画社会基本法の制定などが進むにつれ、女性のライフモデルの多様性は増し、かつ旧来の男性モデルとも異なったライフステージの多様化が進んでいる。
そこでは男性中心社会を構成してきた原理である「学歴」や、その社会を保障した「終身雇用」にとらわれず、より実際的な能力の開発とダイナミックな人生の展開が重視されている。そうした時代の進展にもかかわらず、男性社会後追い型の学歴主義=偏差値による輪切り進学指導をしている限り女子校としての進路指導のオリジナリティを創出することは難しかろう。
そこで、学校生活の折々の話題と絡ませながら女性の多様かつ刺激的なロールモデルを紹介することで、自らのライフステージを創出する動機付けを行う小さな取り組みとして、朝日新聞の「ひと」欄に代表されるような人物紹介を利用した通信発行を実験的に行った。
その成果の検証はできていないが、仮にこうした取り組みを全校的に行うためには、進路指導係や同研だけではなく、図書係をも含めた学年と分掌を横断するチームを作るか、あるいは永らく本校に求められていながら未だない教研部のような組織が中心となり、担任や学年に素材を提供する仕組みを作っていくことが望まれる。
ここではそうした取り組みの是非・必要の有無を検討する素材として2003年11月7日から2003年1月31日まで13回連載した高校2年1組の学級通信の一部を紹介する。シリーズ全文についてはProject Gで公開している下記アドレスのページを参照されたい。
http://www6.plala.or.jp/fynet/4tegami2002-sinro-asitano-kaze.htm
2002年度 2年1組学級通信「45枚目の手紙」 2002/11/20
進路特集 私は明日の風になる その8 造る道具と闘う武器
「この前の実力テスト(進研模試)の結果はいつかえってくるの?」という質問があったので教務で確かめてみると、どうやら期末考査(12/3〜7)の最中のようです。あと何日かと思ってカレンダーを確かめると、テストまで2週間ないことに気がつきました。はたして『こころ』は終れるのか……
さて、みんなは何のために、誰のために学んでいるのでしょう?
「勉強は自分のため」と親も教師もよく言いますが、それだけのことなら「勉強しなくて損するのは私なんだからほっといてよ」という子どもの言い分もそのとおりと言うことになるのでしょうか?
鎖国が解かれた明治時代以降、夏目漱石を始め多くの知識人がヨーロッパへ留学に行きました。その多くは自分=「個人」の興味や利益のための勉強というだけではなく、みんな=「国家」建設のために勉強をしているのだと言う意識を持っていました。
近代的な国家を建設するための法律や制度を学び、世界の列強に負けぬよう産業を起こし強い軍隊を作るために科学を学び、西欧人にバカにされぬように文化・芸術も学び……近代的自我や個人の尊厳、自由と平等の精神も学びました。
しかし大日本帝国は、自由や人権は国家の発展にとって有害なものとして弾圧し、朝鮮や中国への侵略を経て第二次大戦へと突き進み、何100万人もの命とともに崩壊していったのです。
それから半世紀経った今、文部科学省を中心に教育基本法の見直しが進められていて、再び「愛国心」や「公共心」が盛んに強調されています。
そんな中で自分の勉強の意味を見つけるためのキーワードは「社会」かもしれません。
いくら知識を得ても、いくら技術を磨いても、いくら資格や免許を取ったとしても、それを役立たせる場=自分の力を生かせる場がなければつまりません。
逆に自分が、どれだけ誰かの助けになりたい、何かの役に立ちたいと思っても、それができるだけの知識や技術や力を持っていなければ、願いはかなわず無力感にさいなまれます。
自分が足りないところを誰かに補ってもらいながら、自分の力を発揮することのできる人間関係=社会を造っていきたいものです。
そのために不条理や不正と闘い、その困難や障害を乗り越えていくために仲間どうし手を繋ぐ道具や武器がいる。その最も重要なものが言葉でしょう。
進学のためでも就職のためでもなく、生きるために言葉を磨いていきせんか?
今回紹介する朝日新聞「ひと」欄のキーワードは「ことば」です。
〔2002年6月3日 朝日新聞ひと欄〕
国連児童基金(ユニセフ)カブール事務所の広報官 三枝麻子さん
「朝五時起床、7時には事務所。就寝は夜10時。健全な生活です」。27歳。
長年の戦乱から、ようやく復興の道を歩み始めたアフガニスタン。イスラム原理主義勢力タリバーンの支配下で、学校に行けなかった何100万人もの子どもが、次々と学校に戻りつつある。
その手助けをするほか、ポリオワクチンの接種を広める活動にも取り組んでいる。
重要になってくるのが、子どもを抱える母親たちを説得することだ。そこで大事な出番がくる。慣習上、男性職員ではなかなか入ることができない一般家庭でも、女性だとひざをつき合わせてじっくりと話ができる。
「女性に厳しい仕事環境を予想していたが、逆にやりやすい面がある」
2002年1月、国連開発計画(UNDP)の一員として、東京でのアフガニスタン復興支援国際会議を担当したのがこの仕事のきっかけになった。
閉幕した翌日、「明日にもカブールに行く覚悟はあるか」と国連児童基金(ユニセフ)の責任者から聞かれた。即座に、「はい」と答えた。3ヶ月後には赴任した。
任期半年の予定で赴任したが、着任2週間で延長を求められ、迷いなく了承した。
「滞在は1年か2年になるかも」
英国の大学院で進化人類学を専攻。ナイジェリアのジャングルで4ヶ月間、キャンプ生活をしながらチンパンジーの生態調査をしたこともある。体力に自信を持つ。
「復興はまだ始まったばかり。世界の関心が薄れないようにしたい」
〔2002年9月1日 朝日新聞ひと欄〕
環境を守る「日本の知恵」を英語で世界に発信する 枝廣淳子さん(39)
「英語をきっかけに世界が広がった。わらしべ長者みたいでしょ」
目を覚ますのは、家族が寝静まった午前2時と決めている。
パソコンに向かうと、市民や自治体の環境保護の取り組みを調べ、英語に訳す。「八丈島で地熱発電を使った植物栽培」などの情報をメールマガジンに載せて配信する。あて先は世界各国の政府期間や大学、メディアなど1万を超える。
2002年8月末、環境情報を発信する非営利団体を立ち上げた。「ジャパン・フォー・サステナビリティ」(JFS)。持続可能な日本のビジョンを明確に描きたい、と言う思いを込めた。
10年前、専業主婦の生活を激変させたのは、大嫌いな英語だった。夫の2年間の米国留学に同行し、毎日10時間の勉強を続けるうちに、虜になった。
帰国後、同時通訳の仕事を始めてまもなく、書店で何げなく手に取ったワールドウオッチ研究所の「地球白書」が、英語と環境を結びつけた。すぐ、「ボランティアの通訳に使って」とはがきを出し、2ヶ月後には、来日したレスター・ブラウン所長(当時)の通訳をしていた。
日本は海外で環境後進国と評価されている、と通訳の現場で痛感する。「でも、江戸時代が循環型社会だったように、日本には環境を守る様々な知恵がある。優れた日本の取り組みが世界に伝わっていない」
英語を武器に、環境情報の輸入過多を正す。「情報は人々の励みになり、物事を動かす力になります」
「超朝型生活」は続く