あの沖縄の地で得た何が残っているでしょう?カメラで写した写真にも映っておらず、買って帰ったお土産にも混ざっていない、君に心の中にだけ消えずに焼きついているものは何?今回の旅行で、僕が一番印象に残ったのは、リニューアルオープンしていた「ひめゆり平和祈念資料館」。そこに掛けられた少女たちの顔写真の、一枚一枚のこちらを見つめる眼差しが切なかった。君は、あの視線に何かを感じたでしょうか?

宮良るりさんの話を覚えていますか?僕は三回目でしたが、宮良さんが抱く未来に対する不安や、君たちに対する期待を、今まで以上に強く感じました。君は覚えていますか?宮良さんが語った「おかしいと思ったことを言葉にすること」の大切さ。「真実を知り、それを伝えること」の大切さ。もっとも重要な判断基準は「ぬち どぅ たから (命こそ宝)」であること。戦時中、それを教えなかった教師、教えられなかった教師がいました。その結果、たくさんの生徒が命を落しました。戦後、それを軽んじる教師、本気で教えようとしない教師がいます。その結果、日本の国は今また同じ過ちを繰り返そうとしています。写真の少女の眼差しは、そうした教師への静かな抗議のように、僕には思えたのです。

ガマを出た海岸べりの斜面で、生き残りのオジサンが語ってくれた話を覚えていますか?彼は言いました。「兄弟は殺し合わないでしょ。だから、世界中の人が兄弟のように仲良くならないといけないの」。そうなんです。人間の常識は「人を殺すな」ではなく、「仲間を殺すな、仲間を殺そうとするものを殺せ」なのです。仲間を増やすことは、皆が同じものになることではないはず。僕らに求められているのは、多様性を受け入れる寛容さと、未知のものを受けとめる想像力と理解力を鍛える事。

韓国人慰霊の塔」の前で、平和ボランティアガイドのオバアチャンが語ってくれた慰安婦の話を覚えていますか?日本の一部の政治家や役人や学者は、それをなかったことにしようとしています。「平和の礎」の朝鮮人の刻銘が、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国に分かたれているのは昔の日本人のせいですが、分断された人々が共に暮せるように努力するのは、今の日本人の課題でもあるはず。僕らの課題は、世界を敵と味方に切り刻んでいく事ではないはずです。

君は今、何を知ろうとしているのでしょう。君は明日、誰に向かってどんな言葉を発するのでしょう。
命を守るために闘う言葉と、仲間を増やすために交わす言葉を発する勇気。沖縄で、僕らの心にまかれた種をしっかり育てていきたいものです。

「戦争を引き起こす人は、軍服を着ているとは限らない」
ってことを、覚えていてください。


■ 言葉を受けとめる器を作れ、世の中を切るナイフを研げ

この冬休み、読書にも励んでください。沖縄で色々な人の話を聞いている君をみて、つくづく思いました。知識がないと人の話を受けとめられないってことを。無知は悲劇だけでなく、時に罪をも生むということを。

そこで「常識」を切り裂いて「真理」を求めようとする君へのお薦めは、
竹内一郎「新潮新書 人は見た目が9割」。顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離等々、私たちを取り巻く言葉以外の膨大な情報が持つ意味を考える。心理学、社会学からマンガ、演劇まであらゆるジャンルの知識を駆使した日本人のための「非言語コミュニケーション」入門書です。その「第7話 良い間、悪い間、抜けてる間」の、次の一節が心に留まりました。




フリースクールに通う生徒は、一般の学校に拒否反応を示した人ばかりである。。なかなか本心を打ち明けてくれない場合が多い。N先生は、実に根気良く、相手が自分から話し出すタイミングを待っていたものだ。時間に終われている現代人には、堪えられないほど長い時間である。(中略)

フリースクールの生徒は、N先生ほど、自分のために時間を使ってくれた先生とそれまで出会ったことがないはずだ。自分のために膨大な時間を費やしてくれたN先生に、生徒達は打ち解けていくのである。沈黙している間、何らかの「情報」が伝わることはない。何も情報を伝えない時間が、「通じ合えるきっかけ」を作るのである。より多くの情報を、より早く伝えることが現代社会では求められる伝達の手段として考えるならば、沈黙は最も効率の悪い方法である。だが、その逆を行くN先生に、生徒は心を開く。

何も情報を伝えない、最も効率の悪い方法の中に、実は強い伝達力を持った要素が潜んでいるのだ。

ミヒャエル・エンデの小説「モモ」の主人公が町中の人気者になった理由は、彼女が「聞き上手」だったからだ。

■ 立ち止まって振りかえる。天を仰ぐ。

明日から冬休み。
「学校の時間割」から解かれた世界で、自分がやりたい事をしてください。勉強の遅れが気になる人は復習を、学校の勉強が物足らない人は貪欲に知識を求める。目先のことに追われ囚われ、自分が何しているのかわからないまま走っている人は、ここでちょっと立ち止まり、一息深く深呼吸。天に貼りつく月の鏡に自分を写してみるのもいいかも。そこには一体、どんな自分が写っているかな。

修学旅行に行く前、京都シネマユカチャイ・ウアクロンタム監督のタイ映画『ビューティフルボーイ』(原題:Beautiful Boxer)を観ました。タイの農村で生まれた少年トゥムは性同一性障害。弱虫で弟からも泣かされていたトゥムは、偶然出場したムエタイ(タイのキックボクシング)の試合で勝ち、やがてチャンピオンに。しかし、本当の自分は女であるという気持ちを押えきれない彼は化粧をしてリングに立ち、日本の武道館で試合をした後……

実在のトゥムは今、女性の体を手に入れ美しいモデルとして活躍しているそうです。そんな映画が投げ掛けていた
キーワードは「自分を守れ」そして「自分の願いを見失うな」
「本当の自分」は、どこか遠くにいるのではない。思い出の中に留まっているのでも、やがて来る未来で待っている訳でもない。今ここにいる自分以外に自分はいない。そう思えた時、初めて人は地に足をつけ確実な一歩を踏み出そうとするのかも。「世間の常識」にも流されず、「出口のない夢想」に閉じこもらず、今同じ時を生きている誰かと共に生きて行こうとするのかもしれません。 何はともあれ、こうして2学期の終りを君とともにいられたことを感謝します。ありがとう。 つづく 目次にもどる



































同行二人〜テクテク・ふらり

その33  三日月に釣られてみたい冬の夜

2005年度 44枚目 2005/12/07



■ 来週の今日は沖縄に

期末考査が終わって、いよいよ修学旅行。一週間後の今頃は那覇空港に立ってる頃かも。明日からのHRで事前研究のまとめやら何やらを一気にやり遂げ、気分よく元気に旅立ちたいものです。そこで、明日からの準備にも関連して、二つばかり注意というか戒めを。

1. 健康第一……健康は、体と心と社会の健康の三点セット

 体の健康で特に気をつけてほしいのはインフルエンザと便秘。予防注射をする気があるならお早めに。毎年向こうで熱出して、ホテルの保健室で寝込む人が出てきます。おまけに同室の人が次々パタリということも……。も一つ辛いのが便秘。旅行につき物の人もいるようだけど、四日間リラックスした雰囲気を作って、お菓子を食べ過ぎず、互いに快眠・快便で過ごせるように心がけられたらいいね。

 心の健康は特にイライラ予防。気を遣い過ぎになりがちな人と、我がまま勝手になりがちな人の両方とも要注意。新婚さんの成田(伊丹)離婚じゃないけれど、人のアラばかりが見えたり堪忍袋の緒が切れてしまって喧嘩別れの旅行ではね。大切なのは、我慢しすぎず溜め込まず早めに軽く言葉にすること、人に多くを期待しないこと。え〜〜加減がよい加減、お互いゆるやかにつながりましょう。

 社会の健康の予防薬はルールを守ること。遅刻で人の気をもませたり人の時間を奪ったり、服装・頭髪・化粧やなんやかんやであれこれ言われている人が一人でもいると、それを見ているだけで気分が悪くなる人も多いはず。ハメをはずしたいなら、それを許し合える仲間だけのグループ旅行でどうぞ。学校主催の修学旅行では、親しい友達じゃない人とも一緒に楽しくやれる節度と心配りを失わないでちょーだい。


2. 知的好奇心旺盛に……好奇心は、見るもの聞くもの食べるものの三点セット

 JTBや日本旅行のツアー旅行も特典付きで楽しいでしょうし、家族やグループの気ままな旅行もいいものです。でも、それと同じものを修学旅行に求めるのはナンセンス。学校主催でなければ味わえない、戦跡めぐりや体験学習を楽しむことができてこそ、払ったお金の元が取れるというものです。ただ、激戦地で多くの方が亡くなった現場(ガマ)に行くのは気が重く、悲惨な光景を思い出しつつ切々と語る宮良さんの講演を聞くのは辛いかも。でも、そうした負の遺産から目を背けず、事実をしっかり受け止めることのできる心を養えたら、どれほど魅力的な人になれることか。君がこの旅行を通して、柔軟で芯のしっかりしたいい女になってくれることを願っています。

 それから食べ物。那覇の自由研修は限られた時間しかありません。お土産は、最終日の玉泉洞でも買えますから、那覇では買い物よりも散策と食事に重点を。特に「食」はその土地独特の文化を味わう早道です。思い切って沖縄料理に挑戦してください。国際通り牧志の「公設市場」も面白いですが、ガイドブックなどでいろいろ探してみて下さい。「ヤギ汁」が食べられたら、真のウチナンチューに近付けるかも。

■ 闇にともる光の幸を

12月に入って早々、雪が舞って一挙に師走というか、クリスマスムードが高まってきました。

北風ピープー吹いてきて、指先鼻先かじかむと、人恋しさもつのります。

そんな時、家族や友達や恋人同士、一緒にいられる人との関わりを大切にできれば幸いです。

そして、ホントならいるはずの人、今ここにいない人、いてほしかった人のことを、夕暮れ時の三日月を、夕闇せまる街角のイルミネーションを、冴えた夜空の星を眺めつつ、そっと思ってみる。

そんな心のゆとりと温みを、失わないようにしたいものです。

        星降る地上で



    凍った坂道の先に狩人を見つけた君は

    「オリオン」って、得意げに指差して振りかえった。

    目尻に笑い皺を浮かばせて

    君は今、どの星座を巡っているのか。

    南の空に目を凝らしても

    どうにも君は見つからないのだ。



    ホォッと吐いた息の先に王妃を見つけた君は

    「カシオペアの逆立ち」って、可笑しそうにMの字をたどった。

    天の巡りでMとWは入れ替わり

    二人はいつも一緒に居られない。

    北の空のWを仰いで

    僕は独りくしゃみする。



    君と一緒にいる時は

    いま一緒にいる君だけを想う。

    別れて一人でいる時は

    いま此処にいない誰かを想う。

    想う相手が誰であるかは

    僕にも君にも、何処の誰にも決められない。



    星降る夜の瞬きは

    見えない君の囁きか。

    天のモールス信号を解けない僕が

    「何言ってるんだか」って呟けば

    「何してるんだか」って声が聞こえて

    恥ずかしいんだか、淋しいんだか。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その32  I wanna be a POP STAR

2005年度 43枚目 2005/11/28


■ 己の珠なるべきを信じて

土曜の夜、近所の焼き鳥屋にふらっと寄りました。5年ぶりに入った店のマスターは昔と違う人で、20代前半の誠実そうな青年でした。閉店間際の店には二組の男性客だけで、18〜9歳のアルバイトの女の子が帰り支度をしていました。40代の客の一人が若いマスターを『お前は馬鹿やねぇ』とからかったとき、その女の子が可愛らしい声でサラッとお客に言ったのです。「
人のことをバカだなんて言ったらダメです。どんな人にも一人一人隠れた才能があるんです。それを知らずに人をバカにする人がバカなんです」。そう言われた客は一瞬の沈黙、そしてアハハと笑って「○○チャンの言う通りだ」と笑顔で応えました。

僕はその女の子の純朴さがたまらなく可愛らしく思え、映画『
フォレスト・ガンプ』でトム・ハンクスが演じた主人公ガンプが繰り返す「バカだという人がバカだって、いつもママは言っていた」という台詞を思い出しました。

誰にだって、隠れた才能があるはず。それが人から見たらたいした物じゃなくっても、それをひたすら磨き続けることで、きらりと光る自分になれるんだ」と信じることが、君にはできますか?

今日の3時間目授業の始め、京女短大2年になる
海老瀬花子さんの話で盛り上がって落ちつかない人がいましたが、僕は彼女の地道さや一途さに学ぶべきだと思います。

松竹1万人の頂点は19歳京美人

松竹創立110周年記念の新人女優オーディション「松竹スター・ゲイト」が26日、東京・歌舞伎座で行われ、グランプリに京都の短大2年の海老瀬花子さん(19)が選ばれた。

松竹が初めて実施した女優発掘オーディションで、1万329人が応募。3次の審査を経て、12〜21歳の12人が最終選考の歌舞伎座の舞台に立ち、自己 アピール、演技審査、水着審査が行われた。頂点に立った海老瀬さんは163、B83・W60・H88センチで、陸上走り高跳び選手の京美人。3日前に祖父 を亡くしたばかりで「夢を見ているみたい。存在感ある女優に」と大感激だった。審査員の山田洋次監督は「短い時間で決めるのは難しかった」と激戦を強調した。

海老瀬さんは110周年にちなんだ賞金110万円を手にし、07年公開の映画に出演する。準グランプリに西川風花さん(14)、審査員特別賞に境円香 (まどか)さん(13)。急きょ特設のキャラクター賞には黒田愛さん(15)が選ばれ、審査員の中村勘三郎は「キャラクター賞でめげないでね。黒ちゃん、 サイコー」と声をかけた。

http://www.nikkansports.com/ns/entertainment/p-et-tp0-051127-0007.html

彼女は高校三年間ひたすら陸上競技に打ち込み、何度も故障に泣きながら京女短大進学後も競技を続けてきました。全国レベルからすれば、彼女が飛べる高さは平凡です。大きな大会で上位入賞もしていません。それでも高跳びが好きで、苦手な国文学科の授業と居酒屋のバイトの合間を縫って、自分の記録を少しでものばせるように、夕闇せまる京女のグランドで一人黙々と練習していました。

夏休み前に就職が内定していた彼女が、どんなきっかけでこのオーディションを受けたのかは知りません。ただ、隠れた才能を見出された彼女は、きっと地道に一途に頑張っていくんだろうなと思います。

君が舞台やスクリーンで活躍するスターになるのかどうかは分かりません。でも、
平井堅が歌うようなキラキラのポップスターにはなれるはず。それには自分の才能を見出してくれる人と出会い、それを磨く場所に飛び込んでいくことが必要なんだろうね。「どうせダメだと思うなら、やらずに終ってしまうより、思い切ってやってみる。」そんな度胸がほしくない?

この冬休み、コタツに入ってお菓子を食べながら、だらだらテレビを見たり音楽聴いて過ごすのもいいけど、自分の中の何かを磨いて何かに挑戦してみてはどうでしょう。

そのとっかかりは月刊『公募ガイド』にもあるかも。下と裏に図書館においてある12月号に載っていたいくつかを紹介します。(省略)

賞はキャンディーセットから賞金2,000万円までいろいろ。儲かったら、居酒屋でビールを一杯おごってください。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その31  
in her shoes

2005年度 41枚目 2005/11/22


■ もつれた関係を戻すには

土曜の夕方、
カーティス・ハンソン監督の映画『in her shoes』キャメロン・ディアス、トニ・コレット出演)を観ました。FMラジオで、若い女性に大人気と紹介していたので、また浮くかなあと少し引きながらチケットを買いました。が、MOVIX京都のスクリーンNo4は若いカップルがパラパラ。

キャメロン・ディアスの伸びやかなプロポーションや色気たっぷりの視線もよかったのですが、何より新鮮だったのは二人の姉妹の祖母を演じる
シャーリー・マクレーンの存在感のある美しさでした。1934年4月24日生まれの彼女は70歳を越えています。そのチャーミングな表情は、彼女が27歳だった1961年の映画『噂の二人』と変わりませんでした。

『噂の二人』は、アメリカに根強い同性愛に対する嫌悪(ホモフォビア)が描かれた問題作で、オードリー・ヘップバーンが主演です。マクレーンが演じる女教師は絶望の果てに首つり自殺をします。ヘップバーンが演じる女教師が町を去るラストシーンの、キッと前を見据えた眼差しが最高に印象的な作品です。是非ビデオを借りて観てください。

さて、『in her shoes』に話を戻すと、二人でワンセットの主人公である姉妹の背景や、話の展開は結構複雑で微妙。有能な弁護士だけど男にもてない姉のコンプレックスと、男心をとらえる美貌を持ちながら読書障害で読み書きや計算が上手くできない妹のコンプレックスの交差。精神を病んだ母の自殺と、継母からの虐待の交差。娘に対する母の固執と、母に対する娘の憎悪の交差。洒落た老人ホームに暮す老人の華やかな生活と心の闇の交差。裕福なユダヤ教徒と貧しいプエルトリコ移民との交差。そうした様々な交差が「アメリカ」を描いていきます。

『in her shoes』は靴が鍵の物語。
“be in one’s shoes” は「〜の立場に立ってみる」という意味。だから in her shoes=もし彼女の身になったら。姉妹や親子や夫婦や恋人など、関係が親密であるほど、感情やわがままが先だって相手の心が分からなくなりがちです。密着している相手の姿は、ちょっぴり離れて距離を置くとよく見えてきます。

人との関わりがもつれた末に
“die in one’s shoes”  「非業の死を遂げる」とならないよう、見えないものを観る想像力と現実を客観的に見る冷静な目を育てて行きたいものです。


■ 一つの出会いが繋ぐ未知の世界

『in her shoes』の中で、一番印象的な場面は、キャメロン・デュアス演じる娘が老人ホームで盲目の老教授と出会い、渡された詩を朗読する場面です。詩を朗読し切ったことと、その詩の理解の正確さを老教授に誉められたことで、彼女は読書障害のコンプレックスを載り越え、新たなステップを踏み始めるのです。

その詩が気に入ったのですが、画面からは詩の題名や作者が読み取れず、きっとパンフに載っていると思って600円で買ってしまいました。すると詩の題や本文は載っていませんでしたが、作者は
エリザベス・ビショップだと分かりました。

知らない詩人だったので家に帰って紀伊国屋のサイトで調べると「1911年生〜1979年没。20世紀アメリカで最も愛された女性詩人。四冊の詩集はすべて合衆国の主要な詩の賞を、また、アメリカ人として女性としてはじめてノイシュタット文学賞を受賞した」などと紹介されていました。

それで、日本語訳詩集
「世界現代詩文庫32 エリザベス・ビショップ詩集」(土曜美術社出版 \1,470)を注文しました。それを手にとって読むのが楽しみです。





あなたの心と共に
私の心を重ねて
決して離すことなく
私が行くところ  あなたも共に
私のすることは
あなたのすること
いとしい人
運命など恐れない
あなたが私の運命だから
世界などほしくない
あなたが私の美しい世界だから
誰も知らない深遠な秘密
起源の中の起源
未来の中の未来

大空に育ちゆく人生という木
魂の飛翔  理性の恐れより早く枝を延ばす
空に星が煌く神秘のように
あなたの心と共に
私の心を重ねて
誰も知らない深遠なる秘密
起源の中の起源
未来の中の未来
大空に育ちゆく人生という木
魂の飛翔  理性の恐れより早く枝を延ばす
空に星が煌く神秘のように
あなたの心と共に
私の心を重ねて

                  E.E.カミングス


何か(誰か)と出会って、そこで未知の何か(誰か)とまた出会う。感動や知的好奇心が繋ぐトキメキの連鎖。


君がどんな思いで学校に来て授業を受けているのか知らないけど、僕は学ぶ楽しみってそういうもんだと思うんだよね。
学校を、心揺さぶる知的な刺激に満ちた場所にしたいし、そうした人と出会える場所であればいいなと心底思います。

上に紹介したのは、エリザベス・ビショップの詩ではなく、姉の結婚式のシーンでキャメロン・デュアスが朗読したE..E..カミングスの詩です。

パンフレットに載っていたので転載します。君が心を重ねたいと願う相手に、この詩を朗読してみてはどうでしょう。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その30  
成功の反対は……

2005年度 40枚目 2005/11/19


■ 縁は異なもの

先日、下の息子の失敗の謝罪に相手方のお宅をうかがうと、なんと相手方の若い男性のお母さんは、うちの息子を知っている方でした。息子が通っていた高校の購買部の職員をされていて、息子のことだけでなく、同じ学校に通っていた兄のことまで覚えていてくれたのです。後で息子に聞くと「弁当を持っていかなかったり、パンを買うお金がなかった時にいろいろ世話になった」ということです。

その時、思い出しました。京女でも、学校でいろいろ問題を起こして教室に居場所がなくなった生徒や、先生からそっぽを向かれて相談相手がいない生徒やその親御さんから、
「購買のオバチャンが話を聞いてくれて、慰めや励ましの言葉をかけてくれて嬉しかった」という話を聞いたことがあります。息子にも、そういう人がいてくれて本当によかった、親が一人で育ててきたなどと思うのは、全く持って傲慢だと反省しました。そして教師は、学校というところは先生と生徒で成り立っているように思い込みがちですが、生徒たちは様々な人との関わりや支えによって一日一日を過ごしているんだなと、しみじみ来ました。


■ 来るには来るだけの、来ないならそれなりの

むっちゃんが修学旅行に行けず、二学期末まで学校に出られなくなったことは話した通りですが、昨日はダンスの練習中に滑って額から血を噴き出して六針縫うケガをする子が出るやら、今朝の朝礼では、昨日の晩にショーモナイ事をして親から死ぬほどひっぱたかれたとブチブチこぼしている子がいたり……

どんよりした空気がこもったままの一時間目の授業では、突っ伏してノートによだれの跡を付けている子がチラホラいるかと思えば、寝坊して8:30過ぎに家を出て2時間目の授業にようやく間に合った子がいたり、何だか冴えない2組です。それほど英語の小テストの勉強で寝不足だったの?

高い授業料と高い電車賃を払って学校に通っているのですから、それに見合うものを得て欲しいと思うのは親の素直な心情でしょう。
君は今朝、他の学校の生徒が休日の土曜日、わざわざ学校に行ってまでして何を得ようと家を出たんでしょうね。ただ、進級→卒業→進学できればそれでいいとは思っていないはずなんだろうけど、こんなことの繰り返しでいいの?

そう改めて思ったのは、病院に娘を迎えに来てもらったお母さんから
「四条大橋の京女生」の話を聞いたからです。昨日の2時過ぎ、病院に向かう途中、阪急から京阪に乗り換えるため四条大橋を渡ろうとしたところ、京女の高校の制服を着た少女が一人、ギターを弾きながら歌を歌っていたというのです。冷たい木枯らしが吹く中、お金を入れてもらう入れ物を前にして、たった一人で歌っている少女を見て、何で今頃ここでそうしているの?との疑問と心配を抱かれたようです。

学校に帰って、そのことを何人かの先生に話すと、ひょっとしたらそれは休学中の生徒ではないかというのです。京女に入学したものの学校の生活になじめず、音楽の道で身を立てたいと望んでいながら、あっさり退学して高校生の立場を捨てることはできないで休学している子がいる。その子は、1000回路上ライブを達成してアーティストの道を歩み続けているタレントに刺激を受けて、それを越える路上ライブをすることで自分の道を拓こうとしているらしい。四条大橋の京女生は、ひょっとしたらその子かもしれないというのです。

■ 20年前の卒業生

そんな事をつらつら思いながら家に帰ると、20年ほど前の卒業生からメールが来ていました。

近況と共に、ホンマにそうやナと、しみじみうなずくことが書いてあったので、その一部をここに紹介します。

30半ば過ぎても、こうして迷い戸惑いしながら生きて行くのですから、君が今そうしているのも無理ないし、それが自然なのかもしれないね。


ここ数年でやっと、「成功」の反対語は、「失敗」ではないということも学びました。

失敗は、成功にいたるまでの過程であって、成功の反対は、「やめちゃうこと」「あきらめちゃうこと」「しないこと」なんですね。

だから、失敗にくじけるようじゃ、成功にはいたれるわけが無い。

単に運のよさを待つしかなくなってしまう。

成功というのは、何を持って成功とするのかは人それぞれだと思うけれど、獏とした言い方で言うと、「自分が願っている姿になれる」こと、と私は思っています。

で、そのためには、先に、明確な「願う姿」が無いといけないわけで、それが見えていない自分に気付いたときは、そりゃぁ苦しかった。だって、どこにもいけないですからね、それじゃあ。

で、今、私に必要なのは、毎日をコツコツと地道に、真剣に、普通に、生活してその生活をちゃんと味わっている実感を持つことのような気がしています。

そんなことで、間口が広くなるかどうかはわからないけれど、少なくとも、地に足の着いた人間らしさを今よりも感じ取れるようになれたらいいなと思っています。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その29  
次の一歩を踏み出させるもの

2005年度 39枚目 2005/11/15


■ 先輩との懇談会

先週の土曜日の
「先輩との懇談会」には中・高校生合わせて40人ほどが参加しました。行きたくても行けなかった人のために、司会をしていた僕の耳に残った印象的なことをいくつか紹介します。

助産師として青年海外協力隊に参加したKさんは、小学生の時に24時間テレビを見たことがきっかけで、飢えている国の子どもを援助する仕事をしようと決意した。高校時代は看護師になるつもりで4年生の看護学部の大学に進学し、看護師・保健師・助産師の資格を大学で取り、救命センターで働く一方、助産院でも経験をつんだ。パラグアイで性教育や避妊の指導をする活動した帰国後、今はアメリカの大学院で学び直すことを目標に助産師をしながら勉強しているとの事。

JTBの添乗員のYさんは、小さな頃から外国にあこがれていて、高卒後アメリカの大学に留学するつもりでいたのが、家庭の事情で大学に進学することすらだめになって、高卒で就職した。そして夜間大学に入学して教員資格を取り、学童保育の指導員になった。しかし、どうしても国外で仕事をする夢を捨てきれず、英語も全然できないまま留学して語学学校で英語の勉強をし、JTBの海外専属添乗員になった。世界50ヶ国以上で仕事をして多くの人と出会い、自分自身も大きく変わった。ただ、子どもを産みたいが子育てしながら続けられない仕事なので、どうして行こうか悩んでいるとの事。

名古屋のケーブルテレビ局でアナウンサーと制作の両方を担当しているHさんは高校時代バトン部、京都の設計事務所で公園や建物の設計をしているSさんは高校時代バレー部。二人ともクラブ活動で得た経験や自信が今の仕事にも生きているとの事。

そうした彼女たちの共通して語っていたのは、次の三つ。

「やりたいならやってみたらいい。やってみたら開けてくるし、だめならその時考えればいい」

「友達が大切。いろんな人との関わりで視野もチャンスも仕事も広がっていく」

「結婚して子育てしながら働き続けるには、理解や協力をしてくれるパートナーや家族が必要」


夢を追うと口で言うのは簡単だけど、次の一歩を踏み出せば、
人生山あり谷ありの連続。登りでへばらず、下りで転げず、一歩一歩地に足をつけて生きて行くって大変だよね。だからこそ、励まし合ったり支え合ったりできる人と人との関わりが大切になってくるんだろうね。君は誰に支えられ、誰を支えているのかな?


■ 二人の16歳

11月に入ってから、二人の高校一年生をメディアが追い続けています。一人は、
静岡の女子高校生。中学時代から成績抜群でクラブの部長もしていた彼女は、タリウムという毒物を使って母を殺そうとした殺人未遂の容疑者です。そしてもう一人は、東京都町田市の男子高校生。遅刻も欠席もほとんどない真面目な生徒だった彼は、同級生だった少女を包丁で刺した殺人の容疑者です。

君はこの二つの事件を知って、どんな感想を持った?恐い、気持ち悪い、アリエヘンなど、自分とはまったく違ったあっち側の人のことのように感じた?それとも、君の心の奥深くにそれらと共振する何かを感じとって、ゾクリとした?彼らと通じることを彼らとは違った君なりの形でしてしまうかもしれない可能性を、ぼんやりと予感した?その感じ方で、
『山月記』の読み方も変わってくるかもしれないね。

僕は、彼女の事件を知って後頭部を砂袋で殴られたような鈍い痛みを感じ、彼の事件を知って包丁を握ったまま引きつった彼の手のこわばりを感じました。そして
娘に殺されかけた母は、それを知らされた時何を思ったのか、血まみれで帰ってきた息子を見た母は、何を思いつつ学校に付き添っていったのか、彼に娘を殺された母は、いったいどうやって今日一日を過ごしたのか、想像するだけでも辛くなりました。そして、僕の二人の息子は、大丈夫なんか?と不安になりました。


そんな矢先、下の息子がバイクがらみのトラブルを起こして、先方に謝りに行くことになりました。息子には「自分の生活の仕方を変えろ」と叱ると同時に、「お前が何度も同じような失敗を重ねてきたのは、口だけで注意してきたお父さんやお母さんの育て方が間違っていたんだろう。悪かった、ごめんな」と謝りました。彼が20歳の成人になるまで、もう四ヵ月しかありません。それから先は、彼が失敗の元を親のせいにしようとしても、すべての責任を自分で取らなければならないからです。

ただ、残念というか悲しいというかやるせないことに、そうした親の思いを、彼は受けとめられないようです。きっと彼も、親に自分の気持ちを受けとめてもらっていないと思い続けているのでしょう。

■ 漂泊の民

38枚目の手紙」で映画
『ヴェニスの商人』のラストシーンについて触れましたが、昨日読んでいた五木寛之 『こころの新書 日本人のこころ サンカの民と被差別の世界』にあった下の言葉が、それとかちりと音を立てたように符合しました。


どのような要因が『一所不住』すなわち『所有を断ち切る』という歴史的転回点に彼らを立たせたのか――。

それは数ある選択肢の中から、意気盛んに自ら選ぶといったロマンチックなものではない。

歴史における支配の差別・弾圧が、過酷なまでに死の淵、絶望の極みに人間を追いつめ、その時代を生きた多くの人間の怨嗟うずまく中で、生きる術を奪われた者たちの、捨て身の抗いであったであろう。

それでも人間は生きんとした。サンカ人の選択とは、『それでも生きねば』という生へのこだわりであった


サンカとは、日本の各地で農機具の箕(み)や籠(かご)などの補修をしながら移住生活をしていた、日本のジプシーのような存在です。数10年前まで、京都市内にもそうした人が住んでいた記録があるそうです。権力者はもとより、農民や職人も含めて定住して暮らす人々は、定住せずに漂泊して暮すサンカを、蔑み差別しました。そうして虐げられた一人のサンカの言葉が上の言葉です。


全く、どんなことでも起りうるのだと思うて、深く恐れた。しかし、なぜこんなことになったのだろう。分からぬ。全く何事も我々には分からぬ。理由もわからずに押し付けられたものをおとなしく受けとって、理由もわからずに生きて行くのが、我々生き物のさだめだ。自分はすぐに……」という、虎になった李徴のつぶやきが、地の底から響いて来て、僕の耳について離れません。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その28  
問われる問題発見能力と問題解決能力

2005年度 38枚目 2005/11/11


■ クラス懇談会へのご出席有り難うございました。

一昨日のクラス懇談会へのご出席有り難うございました。参加くださった31名の保護者の方には、修学旅行の「生活班」ごとにグループ懇談の時間を持っていただき、修学旅行に向けての心配事や日頃の生活について気楽にお話していただけるようにしました。行事や旅行、教科や評価に関する話題がいろいろでました。率直にお話くださり有り難うございました。帰り際に頂いた一言感想メモの内容と合わせて、ご参加頂けなかった保護者の方にも懇談会の様子を知って頂けるよう、以下簡単なまとめと報告をさせて頂きます。

(省略)



■ 刺激で伸びる時、へばる時

明日土曜日の1:30からは人権教育委員会主催(僕も委員で司会をします)の
『先輩との懇談会』です。今回はテレビ局のアナウンサーをしている卒業生の講演と、海外青年協力隊に参加した助産師さん、設計事務所で働いている方やJTBの添乗員さんとの懇談会です。自分の知らない世界で活躍している方の話を直接聞くチャンス。ポイントは「自分が興味があるから聞きに行く」のではなく、「自分の中に眠っている何かを刺激して目覚めさせに行く」ということ。よほど忙しいのでなければ、クラブをサボって聴きに行く価値があると思います。

ただ、「37枚目の手紙」に続いて裏面(省略)で紹介する
『いまどきの「常識」』香山リカ・岩波新書)の抜粋「ゆっくり、ラクしたい」にもあるように、懇談会への参加が「負の確信」を強めるものになってはつまりません。『山月記』の授業でも少し触れましたが、「自尊感情」や「自己肯定感」と言うのは、人が新しい道を拓いて行く上でとても大切なものです。君が信じているものがあるのなら、それを一つの信念として何であれ実行して行くことが望ましい。でも、そんなことが簡単にできれば、誰も苦労はしないんだろうね。

さて、そんな行き詰った自分の目先を変えるのには、映画がお手ごろかも。今日のお薦めは京都シネマで上映中の『ヴェニスの商人』

ユダヤ人であるということだけで虐げられ、それが元で背負わされた
人間の深い悲しみと絶望に満ちたラストシーンは、シェイクスピアの戯曲にはなかった場面。金貸しのユダヤ人シャイロックを演じるアル・パチーノの演技が絶品。

財産ばかりでなく信仰までも奪われて、自殺せずに生き続けたシャイロックの支えとは何なのか、考えてしまいました。

人肉裁判が有名な作品ですが、もう一つ興味深いのは、
男と女の間で交わされた約束の象徴としての「指輪」を巡るどたばた。恋人同士のペアリングや婚約指輪や夫婦の間の結婚指輪はどんな「契約」の証なんでしょう。お母さんやお父さんに、それを聞いてみたことある?


2004年
アメリカ・イタリア・ルクセンブルグ・イギリス
監督:マイケル・ラドフォード
出演:アル・パチーノ
ジェレミー・アイアンズ


ウィリアム・シェイクピアが執筆した37の戯曲の中で最も人気の高い作品の映画化。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その27  常識を疑う・常識と闘う


2005年度 37枚目 2005/11/09
■ 私の常識・世間の非常識

「あんたの常識疑うわ!」
と眉をひそめて言われたことが、君も一度ぐらいあるでしょう。自分はそれで普通、あたりまえだと思っていたことが、「世間の常識」から随分ズレている事に突然気がつかされる。そんな時、よほど自信や信念を持っていない限り、世間の常識に合わせてしまうものじゃないかな。でも、何だかそれが腑に落ちなくて、たまたま誰かにそれを漏らすと、案外自分と同じように思っている人がたくさんいて、「な〜〜んだ、みんな疑問を持っていながら世間の常識だって言われて従っているだけなんだ」と納得してしまうことさえあるものです。

制服のスカート丈やカーディガン登校の規制ぐらいなら、そうした縛りがなぜあるのかさえ自覚していれば、縛られたままでもたいした実害はないかもしれません。でも、
自分を縛る世間の常識が「自分の生き方」に関わる事であれば、それが他人にとってどんな些細なことでも重大な問題になるでしょう。

「殺すな・盗むな・騙すな・犯すな」といった戒めは、時代や社会を超えた世界の常識だと思うでしょ。でも、それが錯覚に過ぎないことは、ひとたび戦争やテロが起こった時にすぐあらわになります。人類普遍の常識を正確に言い直すならば、『人生の教科書  よのなかのルール』藤原和博・宮台真司著、ちくま文庫)にもあるように、「仲間を殺すな・仲間のために人を殺せ」となるようです。

実際、第二次世界大戦のときには、自分の仲間を殺しに来るアメリカやイギリスの兵隊は鬼や畜生であり、時には自分の命を捨ててまでそいつらを殺す事が賛美され、異なる考えや行動を示せば『非国民』として排除されたわけです。

ところが、国際化や情報化が進み、個々人が世界の個々人や多様なグループと直接繋がる時代になると、「日本国民」と「仲間」とが必ずしも一致しなくなってきました。


ちくま文庫
人生の教科書
〔よのなかのルール〕

藤原 和博・宮台 真司【著】
全く新しい社会の教科書。なぜ人を殺してはいけないのか?をはじめ、「自殺」「少年犯罪」「仕事と給料」「結婚と離婚」「クローニング」等、学校では決して教えてくれなかった知識の数々がわかりやすく書かれており、日本に「成熟した市民」を誕生させるためのバイブルである。

それは、もっと身近で小さな社会でもそうです。
「京女生」だからというだけで「仲間」としての感覚を共有できるわけではなく、京女に通っている生徒が京女という学校の枠によってくくられることを拒むのもその一つ。

「家族」とはいうものの「仲間」であれば共有しているはずの感覚や価値観に大きなズレが生じてしまって、とても家族を仲間とは思えない。

家族や学校や村や国といった
既製の枠組が、仲間の枠組ではなくなった時代に、親も子も先生も生徒も、僕らはどんな仲間を作ったらいいのか、どこでそれを見つけられるのか……とてもシンドイことになってるようだね。

■ 筋書きのあるドラマがお好きですか?

スポーツを
「筋書きのないドラマ」何て言いますが、君は人生に筋書きがあった方がいい?もしそうなら、それを自分で書きたい?もし書けるならどんなストーリーにする?それとも誰かに書いてもらいたい?書いてもらうなら誰に?

何を夢見て、どんな将来を思い描くのも「個人」の勝手なはずなのですが、何ということか、その
「個人」が育っていないと、描く夢すら借り物だったりお仕着せだったりしてしまうようです。しかも本人はそれを自覚していないという悲劇までおまけつき

一方、
自分が意識もしていない無数の人間関係の中に生きている僕らは、いかに自分一人が強い自分を持っていたとしても、思いもよらぬ出来事に巻き込まれて翻弄されることもあれば、情けないほど自分がふらふらしていても、思いがけないチャンスに巡り合って新鮮な世界が開けてくることだってあります。

何でも思い通りにできるわけではない自分だからこそ、自分の何を大切に生きていきたいのか、どんな人とどんな関係を作っていきたいのか、「女」として生きていくってどういうことかってことを考える意味も出てくるんじゃないのかな。

そんなことを親子(母娘)で考えるのには、1960年生まれの精神科医、
香山リカさんの本がお薦め。そんな本の一部を裏に紹介します。




サヨナラ、あきらめられない症候群
大和書房
香山リカ 著



岩波新書
いまどきの「常識」
香山リカ著
そこそこ学歴もあるし、お金もある、恋の経験もそれなりにあるし、プライドもある。…なのに、満たされないのはどうしてだろう。そこそこ女たちの迷い。明るく正しい「あきらめ」のつけ方

1章 彼女たちが望むもの
    ―「今よりもっと…」
2章 “そこそこ女”たちの迷い
    ―どうしてあきらめられないのか?
3章 わかりやすい「証」がほしい
    ―あきらめられないからこそ…
4章 これだと思える「何か」
    ―だから答えは自分で探す
5章 明るく正しい「あきらめ」のつけ方
    ―「等身大の自分を認めよ」とは言うけれど
6章 いい「あきらめ」、悪い「あきらめ」
    ―マジメさに、つけ込む人たち
7章 どうして悩むのはいつも女?
    ―そのとき男は何を考えているのか
それでもあきらめられないなら…
「反戦・平和は野暮」「お金は万能」「世の中すべて自己責任」…。身も蓋もない「現実主義」が横行し、理想を語ることは忌避される。

心の余裕が失われ、どこか息苦しい現代のなかで、世間の「常識」が大きく変わりつつある。

さまざまな事象や言説から、いまどきの「常識」を浮き彫りにし、日本社会に何が起きているのかを鋭く考察する。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その26  
自分を育ててくれる友達と孤独

2005年度 36枚目 2005/11/08


■ 臆病な自尊心と尊大なる羞恥心

  なんで、朝礼や授業の始めに挨拶しても返事が返ってこないんだろう?
  なんで、教室にほってあった図書館の本の借主が名乗り出ないのでしょう?
  なんで、授業中平気で授業に関係ないことを大きな声でしゃべれるのでしょう?
  なんで、飲みさしの紙パックやペットボトルを教卓や棚にほったらかして平気なんだろう?
  なんで、面倒な思いをして他人のゴミを片付けたり、うるささを我慢している人を無視できるの?

  なんで、気になってるのに無関心を装ったり、他人事にしてしまおうとするの?


周りのことまで気が回らないほど自分のことで精一杯なの?  
自分の存在をアピールして、埋もれかけていく自分を確認したいの?  
誰かにもっとかまってほしくて、甘えたいわけ?それともただの面倒臭がり?  
もう17歳なのにできないのは、まさに17歳だから?それともただ幼稚なだけ?  
つまらない日常に退屈していて、夢や理想を追えない自分に苛立ってるから?  
ちゃんとやろうとしてもできない自分がカッコ悪くて、カッコウつけて誤魔化してるの?  

したくないからしないだけだと思っているうちに、できない自分になっていることに気がつかないの?  


今、授業でやっている
中島敦『山月記』は、昔から京女生の人気が高い作品です。それは、李徴が語る右の台詞に、自分を重ねる人が多いからでしょう。自分は人と違った、磨けばきらりと光る宝石のような才能があるはずだと密かに思っている。だから、一所懸命に努力して自分の才能を磨いた結果、もし自分がたいした才能もないどこにでもいるような人間だということがはっきりしたら恐い。

それでいて、自分は他の人とは違った存在だと思っているから、たいした才能はないけれど真面目に頑張っている人と同じように頑張るのは格好悪いし嫌だ。結局、
イイカッコシイで、傷つくのをおそれて逃げ回っている臆病なナマケモノが自分なのだ……

そう自分を客観視するには、それを指摘してくれる友達か、自らそれに気付くだけの洞察力が必要です。そして、それを得るには、
人と交わって傷つけ合うことを恐れぬ勇気と、自分の内面と向き合うための孤独に耐える勇気を育てなければならない。君がその勇気を育てるのに必要なものは何か。

それが見つからないと、
君は「素直な子ども」のままでいるか、「損得勘定にどっぷり漬かった大人」になるしかないのかも。


おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。

かといって、またおれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。

己の珠にあらざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。(中略)


人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰とがおれのすべてだったのだ。


     平安の祈り

  神さま、私にお与えください

  自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを

  変えられるものを変えてゆく勇気を

  そして二つのものを見分ける賢さを

          「知っていますか? アダルト・チルドレン一問一答」より

「知っていますか? アダルト・チルドレン  一問一答」(解放出版社)という本を読んでいたら、左の言葉が目にとまりました。アダルト・チルドレンの自助グループのミーティングで、最後にみんなで唱える言葉だそうです。

君にとって、「変えられないから受け入れるべきもの」や「勇気を持って変えてゆくべきもの」とは何なんだろうね?

■ バイトで知った、大人の世界


2組でも郵便局のアルバイト承諾書を持ってくる人が何人かいました。僕も、
高1の冬に郵便局でバイトをしましたが、そこで学んだのは仕事の仕方。初日は局内での仕分作業。真面目な成田少年は猛然と作業を進めました。すると、10分もしない内に「そんなに急いで作業をするな!」と局員に怒られたのです。その時は「なんで!もっと怠けろっていうのか?」と腹を立てたのですが、頭を冷やして納得。冬休みだけのアルバイトなら短距離走の選手みたいに仕事もできる。でも、局員は途中でへたばって辞めることもできず、飽きたからといって投げ出すこともできず、同じ仕事を365日延々と続ける長距離ランナー。生活がかかった大人の仕事には、それをちゃんとやり遂げるためのペースがあるということを知ったわけ。

で、
高2の冬休みは郵便局より稼げる正月の餅作り。作業に必要な四人組を集めることを条件に仕事をもらいました。翌日、学校で友達を誘うと、何とみんながみんな「高2の冬は受験勉強の天王山。バイトしてる暇なんかあるわけないだろ!」

脳天叩き割られるようなショックを受けたけど、今更無理でしたと断るわけにもいかず、日頃はあまり親しくない連中にも声を掛けた末、その一人が「よその高校の奴に聞いてやる。ただ、そいつら
“大人”だからな、お前と合うかどうかわからんぞ。それでもいいか?」とのこと。ワラにもすがる思いで頼んでもらったのですが、彼が言う“大人”の意味がわかった時は後の祭だったのです。

バイト初日の朝、米屋に来るはずの三人が来ない。米屋のオヤジさんがどうなってるんだ大丈夫かと気を揉むのを、時間を間違えているだけだろうとなだめつつ、もち米を水に漬けるドラム缶を一人で洗い始めました。昼になっても来ないので、紹介してくれた友達に電話すると、
「もっと楽に儲かるバイトが見つかったから、米屋はやめてそっちに行くそうだ」だと。

そいつらの無責任さに腹が立つやら、名前も連絡先も聞かずに
まるっぽ信じた自分の幼さが情けないやら、憤然たる思いで四人分の仕事を夜までかかって仕上げました。

オヤジさんには、必ず人を集めてくるからとわびて帰ったのですが、実は何の当てもなし。ただふと工業高校に進学していた小学校時代の友達を思い出して電話をすると、即OK。でも、そこまでが僕の限界。彼には二人分の仕事になってきついけど大丈夫かと念を押したら「そんなんどうってことない」との答え。オヤジさんにはそれで何とか勘弁してもらおうと、安堵と一日の疲れの中で眠りに落ちました。

翌朝、彼は僕より早く店の前に来ていました。米屋のオヤジさんに紹介すると、彼は
「社長!よろしくお願いします!」と大きな声で挨拶したのです。それに気を良くしたオヤジさんは、「何で最初からこういういい子に頼まなかったんだ?人数減った分、バイト代を上げてやるから二人でしっかりやれ。」その時、僕は目の前にいる友人を見て思ったのです。こいつがホントの大人だなって。

さて、冬休み明け。勉強を理由にバイトを断った友達が口を揃えて言ったのは、「ろくに勉強しないでテレビ見てダラダラ過ごしただけだった。」

一方、彼らが必死でやっているはずと焦った僕は、思った以上に勉強を進める事ができたのでした。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その25  
絆の続編  絡まったとき、切れた時

2005年度 35枚目 2005/11/04


■  命綱が絡まった時

中間試験を挟んで、季節は晩秋から初冬に移り変わったようです。吐く息の白くなった朝の張り詰めた空気はなんともいえず気持ちの良いものです。先日、ある保護者の方から頂いた手紙に、「真冬になると 娘を乗せた電車のパンタグラフから 火花が散って それが暗闇に青白く光って それは それは 幻想的になります」とありました。

やがて朝日の昇る地平線に向かって進む電車の、闇を真四角切り抜いた窓に浮かぶ少女の横顔は眠たげでしょうか。そして、散った火花に微かに浮かぶ母の横顔には、娘の今日を支える暖かさと、芯の強さが思われます。そうした眼差しに見守られ、見送られて毎日を過ごせる娘は(夫も?)幸せだなと、素直に思いました。

希望や夢のコインの裏側には不安や恐れが刻まれています。
闇を突っ切って新たな光を求める旅に出て行ける人は、きっといざという時に頼りとなる命綱のような絆を持っているんだろうね。


そんなことを思っていた折、母と娘の関わり方を考えさせられる事件が静岡で起こりました。タリウムという毒物で母親を毒殺しようとしたとされるの高校1年生の少女の事件です。生徒は容疑を否認していますが、僕は、それを報じた11月2日付け朝日新聞WebNewsの次の部分に興味を持ちました。

県警は生徒の部屋から、英国で1960〜70年代にタリウムなどの劇物を使い、義母や同僚を次々と毒殺したグレアム・ヤングの生涯をつづった日本語訳の本やヤングの写真を押収した。

生徒は公開していたブログで同書について「尊敬する人の伝記」と記し、中学時代に書いた文集でも同じ趣旨の記述をしていた。県警は、生徒がこの伝記に強い影響を受けていたとみている。

ブログで生徒はタリウムを使った事件が出てくるアガサ・クリスティーの小説「蒼ざめた馬」についても触れていた。一方で「今日は三者面談だった」「野球の応援に行ってきた」などと日常の様子を日記のように記してもいた。

http://www.asahi.com/national/update/1103/TKY200511020396.html

君は「尊敬する人は誰ですか?」と問われた時誰の名をあげますか?歴史上の偉人?テレビや雑誌でお馴染みの有名人?それともお父さんやお母さん?「尊敬する人」は極めて具体的な自分自身の理想像です。それを即座に答えられる人は、「なりたい自分」をしっかり持っている人です。

「身近な人間を次々に毒殺した女性を尊敬していた少女」の心の内は容易にはわかりません。ただ、彼女にとっての母親との絆は、自分の命を支えてくれ、この世に自分を繋ぎとめてくれるありがたいものではなく、死によって断ち切らざるを得ないものだったのかもしれません。君はこの事件に、何かを感じましたか?


■  一度切れた絆は結べるか?

昨日の夕方、車のラジオから
あみんという二人組が歌う『待つわ』という古い曲が流れてきました。

わたし待つわ いつまでも待つは  たとえあなたが ふりむいて くれなくても  わたし待つわ いつまでも待つは  他の誰かにあなたがふられる日まで」というフレーズには、切なさ以上に恐れを抱きます。

僕は高校3年生の頃、人類の進歩と調和を目指して「
博愛主義」を唱えていました。するとある日、学校帰りの電車の駅でクラブの後輩の女の子がやってきていきなり言ったのです。「先輩、私先輩のこと好きなんです。付き合ってください!」ストレートな要求にはストレートな返答でと思い「ごめんな。悪いけどその気がないし」と即答すると、またまたストレートの豪速球が返って来ました。「そんなこと言われても困ります。私は一体どうなるんですか!?」これには参って「どうなるって言われたって…」とたじろぎながらホームに入ってきた電車に飛び乗りました。

君の青春の日々にも、きっとそんな経験がいくつもあるんだろうね。

電車といえば、京都シネマで上映中のフランス映画、アルノー・ヴィアール監督の『メトロで恋して』は地下鉄が舞台。一目ボレした相手の口説き方が分からない人や、オシャレなキスの仕方がわからない人にお薦めです。彼女がHIVのポジティブ(エイズ)だったことがわかって、一旦切れた二人の絆の行方はいかに……。

切れた絆の結ばれ方が切なく描かれたのは、京都みなみ会館で上映中の映画、
緒方明監督の『いつか読書する日』です。


病に臥して死を覚悟している妻を自宅で看病する公務員(
岸部一徳)と、牛乳配達の独身女性(田中裕子)は高校時代の同級生。互いに惹かれながら、二人の親同士の不倫と事故死がもとで二人の絆は切れてしまったかのよう。しかし、二人が50歳になったある日……。

この映画で一番印象に残った台詞は、
仁科亜季子演ずる病気の妻が、いよいよ間近迫った死期を前に夫に向かっていう台詞。

あなたはね、ずっと気持ちを殺してきたのよ。気持ちを殺すって、まわりの気持ちも殺すことになるんだからね



     
 一粒のメール


     君が一人で引越しして

     ちょうど一年経った朝

     君が残していった携帯を解約するように

     上の息子に頼みました。

     自分でそれをしに行くのは

     やっぱり今日も嫌だったから



     君の小さな家に向かう道

     信号待ちの車から

     君の病室に通っていたあの頃のように

     短いメールを打ちました。

     解約された携帯には

     着信しないと知っていたから



ゆきこ
2005/10/24  8:12
おはもん

一年たちました。
みんな元気にしています。
安心して待っていてください。



     君の小さな石の家に着くと


     露に濡れた石畳に

     君がむかし教材にしたような

     ドングリ一粒光っていました。

     君ならきっとそうするように

     そっとつまんでくちづけしました。



ストーリーは意外な結末で終るのですが、僕は岸部一徳演ずる男の「
笑みを浮かべた死に顔」に共感しました。ああ、あれが僕の今の理想だなと思ったのです。

さて、
君は何を理想に、誰を尊敬して、誰とどんな絆を結んでいくのでしょう。そうしたこれからの道のりと、裏の「バーチャル五段階」(省略)は、きっとどこかで結びついていくのだと思うけど。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その24  
成長の喜び 成熟の楽しみ

2005年度 34枚目 2005/10/19


■  変わるからこそ変わらぬものを求める

今日は、ヨメさんが生きていれば48回目の誕生日でした。朝、学校に来る前にお墓に寄って、夏中にぎやかに咲いていたポーチェラカの鉢植えの代わりに、「
ウインターソナタ」と名付けられたミニシクラメンの鉢を飾ってきました。淡いピンクの縁取りの柔らかな花です。今日の帰りには、彼女が好きだったアップルタルトかアップルパイを買って、静かなお茶の一時を過ごそうかと思っています。

10月は、僕の身近なヒトの誕生日ラッシュ。去年死んだ母や名古屋で一人暮しをしている父の誕生日も今月で、24日は長男の誕生日。彼の誕生プレゼントには、ユニセフの募金がてらインターネットで購入した真紅のユニセフ特製ネクタイを用意してあります。「あいつも、もう22歳か」と思いながら車を運転していると、ラジオから『
22才の別れ』という曲が流れてきました。僕が高校生の頃に流行っていた「」というグループのフォークソングです。


22才の別れ
作詞・作曲;伊勢正三

あなたに さよならって言えるのは 今日だけ
あしたになって またあなたの温かい手に
触れたら きっと 言えなくなってしまう 
そんな 気がして……

私には 鏡に映ったあなたの姿を みつけられずに
わたしの 目の前にあった幸せに すがりついてしまった……

私の 誕生日に22本の ろうそくを立て
一つひとつが  みんな君の人生だねって 言って
17本目からは いっしょに灯をつけたのが
きのうの ことのように……

今はただ 5年の月日が長すぎた春と 言えるだけです
あなたの 知らないところへ嫁いでゆく 私にとって……

ひとつだけ こんな私の わがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままでかわらずに
いてください そのままで……


卒業写真
作詞・作曲:荒井(松任谷)由美

悲しいことがあると  開く革の表紙
卒業写真のあの人は  やさしい目をしてる
町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が  そのままだったから

人ごみに流されて  かわってゆく私を
あなたはときどき  遠くでしかって

話しかけるように  揺れる柳の下を
通った道さえ今はもう  電車から見るだけ

あの頃の生き方を  あなたは忘れないで

あなたは私の  青春そのもの

人ごみに流されて  かわってゆく私を
あなたはときどき  遠くでしかって
あなたは私の  青春そのもの


17本目からは いっしょに灯をつけたのが きのうの ことのように」というフレーズがとても印象的で、他のところは忘れてもそこだけはメロディと共に鮮明に思い起せます。

で、今回問題にしたいのはこの歌の最後、「
あなたは あなたのままで変わらずに いてください そのままで」という部分。自分の思いとは別に、というより現実に押し流されるように変わっていってしまうどうしようもない自分を自覚するほどに、永遠普遍のものを求める気持ちは分かります。それは荒井由美の名曲『卒業写真』の最後「人ごみに流されて かわってゆく私を あなたはときどき  遠くでしかって」というフレーズとも重なります。

僕は、この歌が好きなのですが、そこだけ「ちょっと待ってよ」という感じで引っかかっていました。この世は諸行無常、一つとして変わらぬものはありません。ましてや自分の変化は仕方がないけどあなただけは変わらないでというのは、あまりに「わがまま」が過ぎます。でも、ヒトやモノは変わってしまうことを知っているからこそ、ヒトは、愛とか正義とか真実とか、時間や空間を超えて存在する普遍的な何かを求めるのかもしれませんね。

17歳の君は、22歳になっても失わないでいたいもの、君のお母さんと同じ年になっても失わずに持っていたいものは何?君のお母さんが、17歳のときから変わらず今も持っているものって何なのか、聞いてみてはどうでしょう。


■ 子も親も先生も成熟を求めて――保護者会

子どもが変化していく事を、一般に「成長」と言います。それに対して、中年以上の大人が変化していく事を、一般に「老化」と言います。でも、人間は生まれた瞬間から「死」に向かって突き進んでいるのですから、成長は老化の一過程に過ぎないともいえます。

そこで、大きくなるとか高くなるとか、速く行き着くとか儲かるとかいう量的な拡大を評価するのとは違った、質的な深まりを重視する発想を大切にしてみてはどうでしょう。肉体や精神の成長や老化を、人間性=人格の熟成の過程だと考えてみる。そう考えれば、子どもも大人も、同じ時間と空間に存在しながら、共に変化=成熟しているのだと思えます。

そんなスタンスで11月9日の保護者会のクラス懇談会を持てたら幸いです。是非出欠確認表の「出席」に○をつけてご提出を。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その23  君と記すページを重ねて


2005年度 33枚目 2005/10/11


■  ゆるやかに結んだ絆を大切に

ブロック優勝おめでとう!3年の二クラスに挟まれながら優勝できたのは、君にも予想外の喜びでしょう。一人一人の台詞や演技、一つ一つの道具や曲や照明を通して、みんなで訴えかけた「家族の絆」のメッセージと、面倒な作業や練習で作り出された「2年2組の絆」が、つめかけたお客さんの涙を誘い、審査員の人達の胸を打ったのだと思います。頂いた賞状は、より良いお芝居を作りたいと無心に頑張り、お芝居を創ることの楽しみをみんなで分かち合った君の喜びに、観客のみなさんが添えてくださった花です。
「私達のメッセージを受け取って下さってアリガトウ」の思いを忘れずに。

劇を仕上げた満足に浸っている君の笑顔は爽やかで、優勝を知った喜びの涙で濡れた君の泣き顔はとてもチャーミングでした。そんな君に付き合う事のできた僕は幸いでした。ただ僕は、本番の演技以上に、演技や道具を少しでもよりよくしたいと願うほど、思うに任せず苛立つ君の姿のいじらしさ、リハーサルのドタバタや幾度も変わる道具や演出に戸惑いながら、最後の本番直前まで試行錯誤を繰り返す、君のけなげさや誠実さが好きでした。

君は一つ一つを思い起せるでしょうか?誠実に粘り強くクラスをリードした演出家の声、無邪気で一生懸命なキャストの笑顔、モクモクと作業した大道具の筆運び、工夫を凝らした丁寧な小道具、作品のイメージを理解した音響・照明、作品やクラスの様子を品よく伝えたパンフやビラやポスター、数え上げれば切りがありません。

でもあえて、ここに書き記しておきたいのは、教室明渡しの後、君がホッ散らかしたままの絵の具や角材やダンボールやらを、袋に詰め込み腕に抱えて運んでいたマサキくんやヨッちゃん達の姿です。そして、控室の3の6から君が教室に引き上げた後、散らかしたままの刷毛を捨て、絵の具で汚れた洗面台を雑巾で拭いていたチーちゃんの姿です。

そうした目に見えていなかった人の姿をちゃんと想像する力、次はそうした一人に自分もなろうと言う意気込みを、僕は優しさと呼びたいし、それが人と人とを繋ぎ一つのものを支える本当の絆だと思うのです。芝居作りを通して育ってきた連帯感や心地良い緊張感が、日々の授業にも引き継がれていくことを、微かに期待しています。


■  絆は縛るものではなく、結ぶもの

さて、君のお芝居が終った翌日、10月9日はSAMのお気に入り
ジョン・レノンの誕生日でした。その生誕65年記念に発売された2枚組・19曲入りベスト版『ワーキング・クラス・ヒーロー(労働者階級の英雄)を、僕は2組のお芝居の優勝記念に買いました。ジョンの人生は1980年12月8日、凶弾に倒れた40歳のままです。でも、25年後の今も、彼の歌は世界中の人々の胸を打ち、涙を誘い、勇気を与えてくれます。絆は生きている人同士だけでなく、死んだ人との間にも結ばれ、死んだ人を接点に無数の人と人との絆が生まれていくのです。

文化祭前の授業で、僕が結果的に母との関係=絆を断つことになった「
正義の味方事件」の話をしましたが、その母が去年死んだとき「ホッとした」という僕のことばが、君には理解しがたかったかもしれません。去年の「1年6組の手紙」でも触れたのですが、母は父との関係を上手く作れなかった反動で、自分の満たされぬ思いや願いを息子に託そうとし、「こどもの僕」はそれに応える事で母との絆を強めたました。しかし思春期を迎えて精神的な「自立の時が来た僕」には、それは一生逃れられないような「呪縛」にさえ思えたのです。

先日、2組のお母さんの一人が手紙をくださったので葉書を送りました。するとその返信に、自分は字に自信がないのですが「先生の字もお上手とは言えないようで安心しました」と書いてありました。思わず「どういたしまして」とつぶやいてしまいましたが、昔の僕は上手だったのです。

僕の母は自分の字にコンプレックスがあり、僕は幼稚園の時から中学1年まで習字を習わされました。その結果、鉛筆の書写コンクールで入賞したり、毛筆で「名古屋市長賞」をもらった事もあるのです。

僕はその字を、中学2年のころから徹底的に崩し始め、自分にしか読めない字で早く汚く書くようになりました。
思春期の反抗=母によって着せられた服を脱ぎ捨てた行為の結果が、今の僕の字なのです。

繋がっていたら縛られる、
のがれられないのなら断ち切るしかないという「不器用な方法」しか、未熟な僕にはできなかったのです。そうした不幸な関係を回避するにはどうしたらいいのか、今の僕には、その答えが少しだけわかっているように思います。

その一方、母の死の半年後に死んだヨメさんとの絆をどうしたらよいのか、僕には全くわからないままなのです。秋が深まり、夜風が身に染みるにつれ、寂しさが募ります。


彼女との絆を手繰っても、彼女が僕に近づく事はありません。ならばどう僕が彼女に近付いていくのか
、季節が巡るたびに、それを思わずにいられません。


=お知らせ=


ジョギングクラブ
WjC 結成!

11月13日
大阪リバーサイドマラソン(枚方)で
デビューラン

年齢性別を問わずメンバー募集中!


   季節を越えて


去年の春風光る朝

     君はベッドの上にいて

     窓を見上げて歌ってた

去年の夏の昼下がり

     君は柩の中にいて

     目を閉じたまま黙ってた

私に季節が巡っても

     君に巡る季節はない



今年の桜散る道で

     私が振り向く一年に

     二人の春は残ってた

今年の紫陽花咲く庭で

     私が振り向く一年に

     二人の夏は探せない

私が季節を重ねたら

     二人の季節は遠ざかる



きょう暮れなずむ夕闇に

     金木犀が香っても

     君に巡る秋はない

あした霜置く石肌の

     銀の化粧を直すたび

     二人の冬は遠ざかる

君と重なることのない

     一人の季節は軽すぎる

私は季節を飛び越えて

     二人の空に舞い降りる

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その22  血と水とどっちが濃い ?


2005年度 31枚目 2005/10/04


■  進化し続ける世界

お芝居の練習が進むにしたがって、一人一人の台詞に心がこもってきました。この劇で自分が訴えかけようとしていることが何なのか、自分が守ろうとしている絆とは何で、この世の中で何が絆を断とうとするのか、少しずつわかってきたんだろうね。その演技を支える大道具や小道具や音響照明も、二日目の本番が終るまで、改良と補修を重ねてください。

世界は常に変化し、ほころび、再生していくものなのですから。


■  親子ブッシュのアメリカとゲイ

昨日の手紙では、映画メゾン・ド・ヒミコ』に触れながら、ゲイを中心としたセクシュアル・マイノリティの人たちがおかれている困難について紹介しました。マイノリティと言うと、どこの国でもすぐ思い浮かべるのが民族的なマイノリティで、日本でも様々な国籍の「在日外国人」がマジョリティである日本国籍を持った人が普段気にもしないようなことに困難を感じながら生活しています。

ただ、そうした民族的なマイノリティの場合、互いに支え合う家族がいますし、仲間を地域や社会の中で見つけることもそう難しくありません。ところが、性的マイノリティ(ゲイや性同一性障害など)の場合、家族にそれを打ち明ける事をためらう人も多く、一緒に暮らしているクラスや職場や地域で仲間を見つけることも難しく、孤独に悩んだり追い詰められて自殺してしまう人も少なくないのです。

「戦争の世紀」だった20世紀から、「人権の世紀」と呼ばれる21世紀になって、性的マイノリティの人権を積極的に保障していこうとする波が世界中でうねり始めています。しかし、アメリカではブッシュ大統領を筆頭に、性的な人権問題への取り組みに批判的な動きが強まって、その波は日本にも及んでいます。実は、今のブッシュ大統領の父である親ブッシュの時もそうでした。湾岸戦争で「勝利」をしたブッシュ大統領は、国内のゲイの健康や人権を守ることに消極的で、それがエイズの被害を拡大させたという人もいます。

そうしたアメリカ社会では、家族の在り方も急激に多様化しています。年間9万人が第三者の精子提供による人工受精で産まれ、代理母による出産は年間1,000人を超え、ゲイのカップルが養子をもらって育てることも珍しくありません。「神の前で結婚を誓った夫婦と、両親と血の繋がった子ども達によって成り立つ家族」というのは、ほとんど幻想に近い少数派になりつつあります。

「I AM SAM」は、「知的障害者の人権が部分的に認められる」という進歩性と「血の繋がった親子が勝利する」という保守性の、微妙なバランスによって成り立っている映画なのです。


■ ステップファミリー

こうしたサムとルーシーの暮すアメリカの社会を理解する上で、是非読んでほしい一冊が岡田光世アメリカの家族』(岩波新書)です。そこにはハイテク生殖医療に支えられた家族や、ゲイのカップルが養子をもらって作る家族、シングルを選択しながら、精子バンクを利用して自分の子供を一人で育てるシングルマザーなど、多様な家族の姿が示されています。

ステップファミリーもその一つ。ステップファミリーとは、夫婦の一方あるいは双方が、前の配偶者との子どもを連れて再婚した時に誕生する家族をいいます。それを支援する団体の一つである「
SAJのホームページhttp://www.saj-stepfamily.org/に『アメリカの家族』の著者である岡田光世さんのメッセージが、載せられていました。




本を読む時間のない人のために、それを以下転載します。家族の絆を考える材料にしてもらえれば幸いです。

※ ここでは転載の代わりに、当該ページへのリンクを張りました。


岡田光世さんのメッセージ

SAJ  http://www.saj-stepfamily.org/message/message_okada.htm
新しい絆を求めて------再婚家族

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その21  絆 ― あるもの?切るもの?結ぶもの?


2005年度 30枚目 2005/10/03

■  ナイスチョイスは主体的な選択のこと

昨日の日曜日は、朝九時から昼過ぎまでクラスのたくさんの人が教室に来て、充実した休日を作ることができたのは幸いです。来れなかった人も、きっとそれぞれの生活の中で、自分に必要な活動や休息をしていたんだと思います。サムならきっと、それが何であろうと、誰かに押し付けられたものや厭々やっていることでない限り「
ナイス・チョイスだね」と声を掛けてくれるでしょう。

ナイス・チョイス」は、一人一人の生き方と、一人一人の尊厳を尊重しようというサムのメッセージです。どんなに未熟であったり、それが人から見たらどんなにつまらないものであろうと、大切なことは「自分で選ぶことができる」ということ、そして「自分が選んだものを大切にする」ということ。君が取り組んでいるお芝居の主人公は、そういう人なんだと思わない?

互いの価値観、生活習慣、経済的背景などの違いや多様性を認め合いながら、それでいて一つの社会を作る構成員としてバラバラになることなく関わりあっていく。そんな世界をクラスの中に実現しようとすることこそ、2年2組が目指す「芝居作り」なんじゃないかな?


■  新皮質+旧皮質=人間的

もう一つ、授業でやっている
養老孟司の話を親子のあり方にも重ねてみてはどうでしょう。

君が親から子供扱いされずに、一人の人として認められたければ、君が「自分の将来」に対する自分の「主体的な選択」を示すとともに、その「実現に必要な努力」をしていく力が「今の自分」にもあることを示さなければなりません。それが
親を安心させる「責任ある態度」だからです。

と同時に、そうした「理屈」を並べ立てたり、屁理屈をこねることより、説明は上手くできないけど、「とにかくこれがしたいんや!」という情熱、親から見ても
「どうやら本気みたいだし、今は見守るよりショーガナイ」と思わせるだけの熱(パワー)を示すことが大切なんだろうね。

家族(仲間)だからという
「出来合いの絆」によりかかって一方的な押し付けをしても、それは感情的な対立しか産みません。それと同様、「オリジナルの絆」を結ぶことを拒否する無視もまた、非人間的な行為です。


「分けわからんけど共感できる」というのが感動の本質です。
人が自分の意見や態度を変えるのは、「正しい理屈」ではなく「深い感動」によってです。しっかり親(仲間)を感動させてください。


■  一人一人の絆を大切にする社会とは?

何回か前の授業でチョット話に出しましたが、僕は恋人同士の
DV(ドメスティック・バイオレンス)に関心を持っていて、勉強会にも参加しています。好き合い愛し合っているはずの恋人同士の間に暴力(殴る・性行為を強要する・避妊に協力しない・意見をいうと無視する・人格を否定して馬鹿にする・お金で縛るetc.)が存在するというのは変な話です。

夫婦と違って法的に縛られていない恋人同士ならば、そんな暴力(本人がそれと気付いていないこともあるのです)があるなら、さっさと別れたらいいのにと思いますが、そう簡単じゃないところが人間の不思議なところです。世間で言う「腐れ縁」も絆の一つなのかどうか??難しい問題です。

一方的に繋がれた絆をどうやったら断ちきることができるのか、それは個人の問題というより社会の問題でしょう。

それとは違って、世の中には
同性同士で愛し合い、家族を作りたいと願う人たちもいます。しかし、残念ながら今の日本では同性間の結婚を認めていません(オランダやベルギーはOK)。どんなに仲が悪くても、結婚している限り相手が死ねば遺産が入ります。二人の間にできた子供であれば、二人(両親)ともに無条件に親権があります。結婚していなくても、男女であれば「内縁の関係」として認められ、法律の保護を受けることもあります。

ところが、同性同士の場合、今の法律ではゲイ(男性同性愛者)やレズビアン(女性同性愛者)のカップルは、市営住宅などの公営住宅に二人で入居することはできず、民間の家族向け賃貸住宅に住もうとすると拒否されることが多いのが現実です。しかも、いくら仲良く何十年も同じ家で暮していても、突然パートナーが死んで遺言も残されていなかった場合、住んでいる家が死んだパートナーの名義だと、残された一人は1円の遺産ももらえないばかりか、一緒に暮した家から立ち去らねばなりません。法的には赤の他人だからです。

そうした社会の中で、社会的弱者(マイノリティ)が互いに支え合う生き方が、社会的強者(マジョリティ)の目に触れる機会も増えてきました。その一つの例が、ゲイの老人ホームです。

フィリピンのマニラには、ゲイバーで働いていて、年を取って引退したゲイたちが安心して暮せるように作られたゲイ専用の老人ホームがあります。

それをヒントに作られた映画が、ただいまMOVIX京都で上映中の「メゾン・ド・ヒミコ」(
犬童一心監督)です。


オダギリジョー、柴咲コウが出演しているということからか、先週のレディースデイは女性客でほぼ満席。

ただ、僕は癌で死に行く元ゲイバーのママを演ずる田中泯(みん)の演技に心を奪われました。この秋一押し!


2年2組のお芝居が、知的障害があろうと性的指向(どちらの性を好きになるか)がどうあろうと、
その人固有の生き方を尊重し、多様な人が共生できる社会を作る力になればと願ってやみません。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その20  誰と一緒にどこへ行くのか


2005年度 29枚目 2005/09/20

■ 峠を超えて見えるのは、目的地ではなく次の峠

2年2組の演劇『
I AM SAM』の脚本の改訂版ができあがりました。ぼくも読ませてもらいましたが、前よりもストーリーを追いやすくなり、人間関係もつかみやすくなりました。で、ここからが次に超えるべき峠へのスタート。それは、このお芝居の「テーマ」の明確化=山場の作り方です。君が「親子の絆」を描こうというのなら、「絆を断つもの結ぶもの、最後に絆を深めたものが何か」を、役者の台詞や動きと小道具や照明や音響のすべてを使って表現する必要があります。

改訂版は、台詞が増えた分だけ制限時間オーバーになっているようです。台詞や場面を整理し、かつ山場をしっかり作っていくという難しい課題を、読み合わせや立ち稽古をしながらクリアしていってください。必要ならば、僕も手伝います。


■ 絆を断つもの結ぶもの

ところで、君は親子の絆なるものをいつどこで実感しましたか?親子以外に、君が意識している人と人との絆とは、誰とのどんな絆ですか?
その絆はいつどのように結ばれ、何がどうなったとき断ち切られるのでしょうか。

先週土曜日に封切られたロン・ハワード監督の映画『シンデレラマン』(主演:ラッセル・クロウ/レネー・ゼルウィガー)は、落ちぶれて失業者となったボクサーが、家族の絆を守るために再びリングに上がるヒューマンドラマでした。ただ、作品のふくらみや陰翳や完成度は『ミリオン・ダラー・ベイビー』のほうが上だと思いました。

貧乏のどん底に落ちて、まわりの家族が離散していく中、主人公のブラドックは決して家族を捨てないと息子に誓います。彼は家族のために自分の過去の栄光にこだわった小さなプライドを捨て、政府が支給する生活保護費を受け取り、昔の知り合いに金をめぐんでくれるよう頼んで回ります。そして、家族や同じ境遇の多くの貧しい人の希望と期待に応え、殺されるかもしれないといわれた対戦相手と戦うために、命を賭けてリングに上がります。その最終ラウンドの闘い方に、彼のアイルランド移民としての大きなプライドを感じました。

シンデレラマンの家族の
絆を断とうとしたものは貧困でした。そして、大恐慌を招き、それに有効な手立てを打てなかった政府でした。と同時に、家族の絆を深めたのも貧困であり、そこから必死に這い上がろうとする移民の血でした。

もし君が、アイルランドの文化と移民の歴史に興味が向くのなら、宗形美樹著『アイルランドがわかる本』(鳥影社)を是非読んで下さい。

アフリカから黒人を乗せた奴隷船で、アイルランドからカリブ海やアメリカに運ばれていったアイルランド移民の歴史を知ることは、アメリカの歴史を知ることでもあります。

ケネディがあれほど人気の高い大統領だった一因は、彼もアイルランド移民の子孫だったからです。そして、その後の何人もの大統領…ニクソン、レーガン、クリントン、ブッシュにもアイルランドの血が混ざっているのです。ただ、そうした政治の世界や経済の世界で裕福になっていくマイノリティ(社会的弱者・少数民族)の人々はわずかです。マイノリティがのしあがっていく早道は、洋の東西を問わずスポーツと芸能界です。

中でもハングリー精神が問われるボクシングはそのもっとも典型的な手段です。
トム・クルーズニコール・キッドマンが共演した映画『遥かなる大地へ』(原題Far And Away)もそうしたアイルランド人のサクセス・ストーリーでした。

ただ、『
シンデレラマン』で興味深かったのは、最後の対戦相手が「ユダヤ人」だったことです。君も知っている通り、ユダヤ人ほど迫害の歴史を長く引きずっている民族もありません。アイルランド移民対ユダヤ人の対決がクライマックスになっているところに、いかばかりかの政治的な匂いを嗅いだのは僕だけではなかったでしょう。

家族の絆といえば、もう一つ。大阪梅田で上映中の「モディリアーニ〜真実の愛」も濃い映画でした。モディリアーニはユダヤ系イタリア人だったため、同棲して子供を宿したジャンヌとの仲を、彼女の父親は許さず、子供を孤児院に送り込んでしまいます。

その映画のラストシーンは、二人目の子をお腹に宿したジャンヌが、結核で血を吐きながら病院で死んだモディリアーニの後を追って、アパートの窓から飛び降り自殺する場面です。

Amedeo Modigliani: Jeanne Hebuterne
Jeanne Hebuterne
modi02.jpg (54628 バイト)
名画「
青い目の女」のモデルとなっていたジャンヌとモディリアーニは、いまも、同じ墓の柩の中で、生まれてくることのなかった子どもと共に眠っています。

親子、夫婦、恋人、友人……絆を断つもの結ぶもの、
絆がドラマを産み出すのはどんな時なのか、この際じっくり考えてみてはどうでしょう。
つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その19 新世界創造


2005年度 28枚目 2005/09/14

■ 創世記に学ぶ


初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。『光りあれ。』
こうして、光りがあった。
神は光を見て、良しとされた。
神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。
夕べがあり、朝があった。
第一日の日である。


これは旧約聖書の冒頭、「創世記 天地創造」の書き出しです。神は二日目に空を作り、三日目に海と陸を作って草や木々を生やし、四日目に太陽と月と星を作って暦を表わし、五日目に魚と鳥を作り、六日目に家畜と獣を大地に産まさせ、神自身の姿に似せて人の男と女を創造し、七日目に仕事の完成を見届けて休憩したとのことです。

全知全能の神様だって仕事の後は休まれるのですから、未熟で罪深い僕らが人知を超えた偉大なものの存在に対する畏敬の念を忘れて、休みも取らずに働いたり勉強してばかりいては神様から愛想をつかされます。だから、
せめて週に一度は仕事も勉強もちゃんと休んで、この世に生かされている喜びをじんわり味わうことが大切なんでしょうね。

さて、なぜ旧約聖書なんぞを持ち出したのかといえば、昨日の文化祭準備日の君の様子を見ていて、おやおやアラアラと思ったからです。お芝居準備の実質的な初日だった昨日、立ち稽古をし始め、大道具や小道具を作りかけてみると、みんながいろんな不具合に気付きました。

そこで、思いつくままあれこれ言う人がいたり、ちょっと待ってよと思いながらどうして良いか分からず黙り込む人がいたり、思考停止した人やパニックになりかけの人etc.それぞれの性格が、悲喜こもごもに現われて、とても面白い一日となりました。

「面白い」などというと君から怒られそうですが、
すべては混沌から始まり、そこからこの世に必要なものが産み出され、人と世界が繋がりあった新たな秩序ある世界が生まれてくるのです。その過程を見、その結果に期待を寄せることほど楽しいことはないでしょう。


■ 王様が作るお芝居と大衆が作るお芝居

カタログ雑誌に載っている服やバッグや装飾品を身にまとって、「自分らしさを演出しました」といっている人が、確かに
センスが良くってオシャレに見えても、何やらちょっと薄っぺらな感じがすることがあるでしょう。それとは反対に、自分でデザインして、自分で縫い上げ編み上げた手作りの服を着ている人が、仮に何となくモッチャリこてこてしていても、何やら心惹かれていとおしささえ感じてしまう事があるでしょう。

お芝居を作るのはこの世に新たな世界を産み出すのと同じこと。ただ神様と違って未熟な僕らは、たった六日で新世界をすんなり作ることは出来ません。でも、プロの劇団や、アマチュアでも年に何度か公演をしている劇団には、演出家とか舞台監督という名の王様がいて、その人の発する言葉ですべてが作られ人が動きます。

王様は神様ではないので、他の人の意見を参考にすることはありますが、どうすべきかを判断し、支持するのは王様ただ一人です。芸術とは、もともとある人間の脳の中で作られたもう一つの世界がこの世に表現されたものです。
芸術性の高い舞台を目指すならば、人並みはずれた強い個性と想像力を持った監督や指揮者という王様の言葉を、演者やスタッフが理解し、表現していくことが求められます。ダンス部やオーケストラ部の活動も、そうしたスタイルに近いものがあるかもしれませんね。

一方、僕らが文化祭で発表するお芝居は、それとは少し異なる表現活動でしょう。そこには王様の代わりに、みんなの意見を取りまとめたり整理して、一つの方向性を示す首相(演出係)がいて、それで良いかどうかを相談する内閣(チーフ会)があって、みんなでそれを確認する議会(HR)があります。つまりは、試行錯誤を繰り返し、いったん決めたことを撤回し、せっかく作りかけたものも壊してはつぎはぎし、アアでもないコウでもないとやり合って、
右往左往でくたびれて、フウッと溜め息つきながら、四角四面の舞台の上に小さいけれどこの世のどこにもない新世界を創造する。それがクラスのみんなでお芝居を作るということです。

それを成功させていくために守ったほうが良い三つのことを守ったほうが良いと思うよ。


1、針路確認をこまめに

昨日も教室で話しましたが、自分たちがお芝居で何を訴えたいのか、映画をもとにしながらも、どんな舞台を作りたいのか、それを繰り返し確認しい、行き先を明確にしていきましょう。表現したいのは「親子の絆」なのか?屈折した女性の内面とその解放なのか?それとも弱者と呼ばれる人たちが秘めた人間性や価値なのか?

2、でしゃばらず、でも遠慮せず

自分たちのお芝居です。気付いた事があるのに黙っているのはつまりませんし、後になってからアアすれば良かったのになどというのは無責任。ただ、それぞれの思いつきを、そのまま口にしてアアした方が良いコウしたらどうとやり始めると収拾がつかなくなります。特に他のパートに対する意見は要注意。チーフさんや演出係さんが整理しながら進められるように気を使いましょう。

3、無理せず無理をする

文化祭はあくまでも「自主活動」です。無関心やサボリが『罪』だとは言えません。むしろ、一つの世界(お芝居)を作ろうとする事で、日頃同じクラスで生活していながら
あまり関わりがなかった人と関わりを持ち、人から刺激を受けつつ自分を育て、自分の値打ち(社会的な役割)を実感していく機会でしょう。自分の他の事を多少犠牲にしてでも時間と労力をかける値打ちがあるのだと思います。そこに、少しだけ無理できるようにお互い励まし合う意味があるのでは。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その18  WE ARE SUM


2005年度 27枚目 2005/09/12

■  歴史に残る2005年9月11日

2001年9月11日は、ニューヨークで起きたテロで歴史に残るでしょうが、昨日、即日開票された
第44回衆議院議員選挙が行なわれた9月11日は、日本の大きな節目の日として未来の日本史の教科書に記録されるかもしれません。

今回の選挙では自民党が圧勝し、連立与党の公明党の議席と合わせて325議席となり、議員定数480人の3分の2である320人を超えました。そこで現実味を帯びてきたのが
「郵政民営化」の向うに透けて見えていた憲法改正=憲法第9条の改廃です。憲法9条と、それを改正する手続きを定めた憲法第96条は次の通り。おまけに、憲法と同時に改廃の議論にのぼっている教育基本法の第4章高等学校第42条も紹介しておきます。


憲法 第9条  戦争放棄、軍備及び交戦権の否認

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


憲法 第96条  憲法改正の手続

この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする


教育基本法 第42条  教育の目標

3 社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること。


今回の選挙を、日本の進路だけでなく、自分の人生を大きく分けた重大な選挙として、いつの日にか君は思い起こすかもしれません。
君を育てているこの社会の大人の多数が何を選択したのか、それがどんな経過をたどり、どんな結果を導くのか、3年後に選挙権を持つ君の目と耳で、しっかり確かめて下さい。


■  毎年やってくる9月10日

平成15年度の日本の自殺者は3万4427人、7年連続自殺者が3万人を超えており、日本は統計のある国の中で世界第3位の自殺大国です。土曜日の終礼で少し触れましたが、毎年9月10日はWHO(世界保健機構)が定めた「世界自殺予防デー」でした。

その10日のasahi.comには
「小6女児、早朝の教室で自殺図る?意識不明北海道」という見出しの記事が掲載され、教室で首をつってぐったりしている少女を登校してきた同級生が見つけ、教師が人工呼吸をして病院に運んだが、意識不明の重体が続いているとのことでした。

君は気付いていないかもしれませんが、9月1日始業式の日のWebNewsには三つの記事がありました。

「長崎で高3男子生徒自殺か/中学生死亡では校長が会見」

「学生服姿で中学2年生が転落死 長崎市」

「中2男子が飛び降り自殺か 兵庫・姫路のマンション」


その前日には「電車にはねられ 盲学校教諭死亡 JR南彦根駅」と、滋賀県立盲学校の男性教諭(43)が電車に飛び込み自殺した事件が報じられています。


君は気付いていないかもしれませんが、8月10日の毎日新聞WebNewsには、昨年度1年間で教師になりたての若い先生が4人自殺していたことが報じられていました。その一部は次の通り。

「最初の1年間(条件付き採用期間)を経て正式採用に至らなかったのは80人増の191人で、内訳は、不採用7人▽依願退職172人▽死亡5人▽懲戒免職4人――など。依願退職のうち61人が精神疾患など病気によるもので、死亡のうち4人は自殺だった」
(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20050810k0000m040071000c.htmlより)

依願退職=自分から辞めた人が172人もいること自体驚きですが、5人も新人が死んでいる上、そのほとんどが自殺という事実はショックです。それは、20代の死因の第1位が男女とも自殺だという日本の現状の中でも特異な出来事だといえるでしょう。

 2003年男女・年齢別の死因第1位と第2位(厚生労働省発表) ※ 悪性新生物とは、普通言うところのガンです

年齢

1位

人数

2位

1位

人数

2位

10〜14才
15〜19才

不慮の事故
不慮の事故

91人
635人

悪性新生物
自殺

悪性新生物
自殺

69人
189人

不慮の事故
不慮の事故

20〜24才
25〜29才

自殺
自殺

842人
1 321人

不慮の事故
不慮の事故

自殺
自殺

367人
541人

不慮の事故
悪性新生物

30〜34才
35〜39才

自殺
自殺

1 582人
1 556人

不慮の事故
悪性新生物

自殺
悪性新生物

588人
932人

悪性新生物
自殺

40〜44才
45〜49才

自殺
悪性新生物

1 906人
3 026人

悪性新生物
自殺

悪性新生物
悪性新生物

1 605人
2 821人

自殺
自殺


この世(社会)で生きる僕らがもっと問題にすべきこと、学校という場でもっと真摯に考えるべきこと、国を挙げて取り組むべきことは何か?

こうした記事が僕らにつき付けていることを謙虚に受け止める心の器を大切に育てて行きたいものです。


■  1度しかない9月13日


明日9月13日は文化祭準備日。それをどう活かすかは君とクラスの意識次第。
2005年の秋、ここ(京女)で君(2年2組)が『I AM SAM』を上演する意味は何なのか?!君(私達)はそのお芝居を通して何を、どう表現したいのか?それを繰り返し考えながら、引き受けた仕事を進めませんか?

SAMが引きこもった部屋のドアの内側には
ジョン・レノンのポスターが貼ってありました。離れ離れになったSAMとLUCYが再会した時の話題はジョンの誕生日でした。そのジョン(ビートルズ)の『イマジン』が世界中で再び流れたのは2001年9月11日以後で、映画『I AM SAM』が封切られたのはその2001年でした。

SAMとLUCYは多様性を認めあう、寛容な社会でなければ一緒に生きて行けません。

” WE ARE SUM.”そんな言葉が僕の頭に浮かびました。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その17  美を産み出すパワー・美を守る一歩


2005年度 26枚目 2005/09/02

■  日本の進路に自分を見つける

厳しい残暑の中でスタートした2学期。全員そろわないのが何とも辛いところですが、さて……

昨日返却した「7月進研模試」の結果を家でじっくり分析し、家族に君の現状を説明しましたか?
今日の午前中、宿題確認テストを解きながら、君の夏の努力の成果を実感しましたか?
来週金曜の体育祭に向けて、応援演技の練習が始まりましたが、君はいったいどこに向かって走り始めようとしているのでしょう?
再来週の月曜(19日)は京女大推薦試験、その週に高3科目選択予備調査用紙が配布されますが、これからの一年をどんな風に暮していくのか、君の覚悟は決まりましたか?

そうした「自分の進路」を考える時、小さな自分の世界にだけ目を向けてばかりいると、何が何だかわからなくなり、何がどうでもいいような気分になってくるかもしれません。そんな時、思いきって「日本の進路」を考えてみましょう。そのよいきっかけが9月11日の「衆議院議院選挙」です。今はまだ選挙権のない君ですが、自分ならどこの誰(政党)をどんな基準で選ぶのかを考えてみる。そのことで、「自分は何を大切にして、どんな風に生きていきたい人なのか」を知る手掛かりが見えてくるかもしれません。

僕の場合はとても単純、反戦平和に尽きます。人の命ばかりでなく、人の心もにぎやかな街も緑豊かな自然も、すべてを破壊するのが戦争です。勝っても負けても傷つくのは、社会の中の弱者です。人殺しが英雄となり、愛する人を失った悲しみを人を殺すことでしか晴せない世の中で、僕は生きていたくない。そんな世の中にさせないように投票所に足を運ぶつもりです。

自分が座ったままで手の届く範囲の世界=現状」に安住して暮している限り、「自分が歩いて切り開いていこうとする世界=未来」は見えて来づらいものでしょう。自分はどんな社会で生きていきたいのか、そこで何の役に立ち、誰とどう支えあって生きてみたいのかを考えはじめた時、何かが開け、自分の内に不思議なエネルギーが満ちてくるのかもしれません。


■  ものを産み出すパワーと産み出されたものの美しさ


昨日から大丸京都店(四条烏丸)で『ルオー展』が始まっています。

ルオーの絵の力強い輪郭線はそこに描かれたものの存在感を高めます。今回の展覧会の目玉は、キリストの最期の日々を描いたシリーズ全64点。キリストの受難と、それによって示される神の愛の存在を、この目で見に行ってはどうでしょう。13日までしか会期がないので、僕は明日いくつもり。

そのルオー展のポスターをみていて、
茨木のり子の詩を思い出しました。教科書にもよく載っている「わたしが一番きれいだったとき」です。知っている人も多いでしょうが、改めて紹介します。

ルオーの絡みでTOHOシネマズ二条で上映中の映画を紹介。一つは
ファブリッツィオ・コスタ監督、オリビア・ハッセー主演の「マザー・テレサ」。もう一つは、ミック・デイヴィス監督、アンディ・ガルシア主演の「モディリアーニ〜真実の愛〜」。

そうそう、京都駅の伊勢丹の美術館「えき」では「
愛のシャガール展」も始まっています。美しいもので心を耕し、美しいものを守るパワーを育てたいものです。


■  秋の面談始めます

科目選択に向けて、秋の面談を始めます。個人でもグループでも家族でもOK。希望者は申し出てください。



   わたしが一番きれいだったとき

                      茨木のり子

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした


わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった


わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった


わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った


わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた


わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった


わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった


だから決めた できれば長生きすることに
年取ってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
                            ね

(現代の詩人7 茨木のり子 中央公論社より)

つづく
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