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同行二人〜テクテク・ふらり

その41  信じればこそ闘える 求められてこそ生きられる

2005年度 52枚目(最後の手紙) 2006/03/20

■ 一所懸命 → 一生懸命

今日は、君がこの教室で過ごした最後の日。多くの思い出が詰まった1年間も、振りかえればあっという間。そうして年を幾つも重ねたある日、君は君の人生を振りかえって何を思うのだろう。君が2年生になってから今日までに、別の場所で進路を切り開いていくために京女を去った2年生は、ムッちゃんも含めて5人。そして今日、終業式を迎えた2年生の内、更に5人が京女の3年生としてではない形で新たな試練に立ち向かっていくことになった。その一方、この
京女に残って京女の3年生になろうとしている君は、どんな覚悟を持っていま、そこに坐っているのだろう。

遠くに過ぎ去った日々や、どうなるか見当もつかない先のことなど考えようがないし、考える必要もないかもしれない。ただ、そんな君にも思い起してほしい。学年末考査が終わってから今日までの10日間を、君は君の願うように過ごせただろうか。そして19日後に始まる始業式と、その3日後にせまる実力テストに向けて、君はどんな備えをしているのだろう。
これから次々と打ち寄せる大波を、君はサーフィンを楽しむように迎え撃ち、それを乗り越えて行くのだろうか。それとも逆巻く波に飲み込まれ、跡形もなく打ち砕かれて、はかなく泡と消えてしまうのだろうか。


私が看護学生の頃、幼児の心臓の手術を見学する機会があり、肉眼で実際に動いている心臓を見ました。

心臓の収縮というのは、こぶしをグーパーしているだけかと思ったら、力強く指をひねりながらぐっとグーをして、ゆるめて、また力強くグーをして……とにかく  わき目もふらず一生懸命、一瞬も休まず動いているのです。感動しました。

私がボケ〜〜としている間も、心臓は休むことなく一生懸命動いているのだと思うと、何だか申し訳なくて、結果はどうであれ自分の人生正しく真面目に一生懸命に生きなければ!!と改めて自分に言い聞かせました。

あの赤ちゃんの小さな心臓の動きが今も脳裡に焼き付いていて、それが私を支えていると言ってもいいくらいです。

左の文章は、2組のあるお母さんが「51枚目の手紙」への「返信」としてくださった手紙の一部を、ご本人の了解を得て転載させてもらったものです。返信にはご自身の中・高校時代の回想と共に、今の自分を支えている感動と決意、娘さんへの願いがしたためられていました。このお母さんの胸に宿った感動と決意は、手紙を介して僕の胸にも波紋のように広がりました。それで翌日、とても単純すぎるようですが、京都駅近くの献血センターでいつもの献血をした後、「骨髄バンク」へのドナー登録をしました。うまくすれば数ヵ月後に、誰かの役に立てるかもしれません。

「一生懸命」であろうとすることに、照れや格好悪さを感じて、さりげなさや余裕のポーズを取りたがる人もいます。でも、もし君が自分の人生に誠実に向き合い、自分の感性を磨き、能力を高めようとするなら、他人の視線よりも自分の信念に素直であるべきでしょう。一生懸命は「一所懸命」が変化したもの。自分が大切にしたい何かを命懸けで守り育てようとすることです。君もそう思える何か、人や夢や理想や信念を持っていますか。それを持とうとしていますか。

僕は悲しいかな、そうしたものを抱き続ける元気を失いつつあるというのが、正直なところでした。


前の手紙で紹介した
『あおげば尊し』(監督:市川準、主演:テリー伊藤)を観てから、昨日までに次の6本の映画を見ました。『県庁の星』(監督:西谷弘、主演:織田裕二・柴咲コウ)、『フライト・プラン』(監督:ロベルト・シュヴェンケ、主演:ジョディ・フォスター)、『イーオン・フラックス』(監督:カリン・クサマ、主演:シャーリーズ・セロン)、『ホテル・ルワンダ』(監督:テリー・ジョージ、主演:ドン・チードル)、『イノセント・ボイス〜十二歳の戦場』(監督:ルイス・マンドーキ、主演:カルロス・パディジャ)、そして『白バラの祈り〜ゾフィー・ショル、最期の日々』(監督:マルク・ローテムント、主演:ユリア・イェンチ)。

コミカルな邦画、アクションやCGたっぷりのサスペンスやSF、戦争や内乱を描いたドキュメンタリーと様々ですが、不思議とそれらに共通していたものがありました。それは「信じる強さと闘う勇気」です。

特に第二次世界大戦末期、ドイツで反戦ビラをまいて処刑されたゾフィー・ショルの逮捕から処刑までの五日間を描いた
『白バラの祈り』は、この春休みに君にぜひ観てほしい作品。「白バラ」とは、ヒトラー政権打倒を目指し、非暴力で国民に自由を呼びかけたグループの名。その一員として自由と平和を求め、人間としての良心と尊厳を守るために命を掛けて発言し、神の加護を信じつつ断頭台に消えたゾフィー。


彼女の真っ直ぐに前を見つめる澄んだ瞳と力あふれる微笑が、きっと君の人生観を揺さぶるはず。映画館に行く時間のない人は、ゾフィーの姉のインゲが書いた
『白バラは散らず ドイツの良心ショル兄妹』(未来社)を読んで下さい。


■ 誰かに命を繋がれて、
         誰かの命をはぐくめるなら


誰であれ、人が何とか生きていけるのは、そこに自分の居場所と役割があればこそだと思います。それを見失いかけた時、傍らで励まし、あるいは見守ってくれる人がいてこそ命は繋がっていくのでしょう。そうした意味で、僕はこの教室で君と過ごせたことに感謝しています。

保護者の皆様も、成長途上の子供達ばかりでなく、くたびれかけた私にも幾多の励ましを下さり、ありがとうございました。新たなご縁があれば、その節はまたよろしくお付き合い願います。

    意味ある日々

  耳を澄ますと君にも微かに聞こえるだろう

  ヒューーン

  宇宙の彼方の暗闇で握り拳ほどの石ころが

  無限の弧を描きつつ真空を切り裂く音だ

  僕はずっと待っている

  重力ばかりになった僕を解き放つため

  誰かの願いを受けた流れ星が

  歩道にたたずむ僕の頭蓋骨に落ちてくることを



  誰かとお喋りの最中君は不意に聞くだろう

  コツリ

  この星のどこかで小指の爪ほどにちびた石ころが

  弧の終着点となる僕の頭に当たる音だ

  君はその時きっと知る

  分けられた僕の肉は新たな役目を担い

  誰かにそれを与えられた分だけ

  形を失った僕に意味が与えられることを



  その日の肉の弾力を保てるように

  僕はテクテク夜道を歩き

  星を見上げて深呼吸する

  それが今日一日分の生きる意味



  その日がやがて来るまでは

  求める君に血を分けよう

  求める君に言葉を分けよう

  それが今日一日分の生きる意味

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同行二人〜テクテク・ふらり

その40  一年後、君は何から卒業するのか

2005年度 51枚目 2006/03/02


  あしたはこの教室での最後の授業


彼らの卒業式が終わった今日、君はこの学校の最先端に立って、何を見つめているのだろう。  

君の前にあるのは、人が決めたわずかばかりのスケジュールと、希望という名の先の見えない不安だけ。  

君の卒業式までの三六五日を、君がどんなふうに暮らすのかは、君にだってわからない。  

君の卒業式までの一日一日を、君がどう暮らしたいのかは、君だけが知っているはず。  

君がそれを知らないなら、君が何から卒業したいのか、君自身に問うべきだろう。  

君がそれを卒業した時、そこで君を持っているのは、希望という名の新たな試練かも知れない。  

君の卒業式が終わった日、君はこの学校の重力から切り離されて、どこへ漂っていくのだろう。  


昨日の卒業式に出席したオーケストラ部やコーラス部、そして送辞を読んだ生徒会長を含めクラス代表ご苦労様。卒業式に君はどんな思いでその時間を過ごしたのでしょう。

『仰げば尊し』の二番の歌詞「互いに むつみし 日ごろの恩  別るる後にも やよ 忘るな 身を立て 名をあげ やよ励めよ  今こそ 別れめ いざさらば」のように、立身出世を決意したのでしょうか。沖縄修学旅行で何かを学んだ君は、『蛍の光』の四番の歌詞が「千島の奥も 沖縄も 八島のうちの 守りなり いたらん国に いさおしく つとめよわが背 つつがなく」であることを知って、その歌を口ずさんだのでしょうか。

僕は昨日、図書館から発行された『本の栞』で紹介されていた市川準監督の映画『あおげば尊し』(原作:重松清)を近鉄東寺駅近くの「みなみ会館」で観て来ました。主演は小学校教師役のテリー伊藤。癌で死を間近にした元中学校教師の彼の父を自宅で看取る妻を演じる薬師丸ひろ子の気だるい雰囲気もなかなか良い静かな作品でした。

印象に残った台詞は二つ。一つは若い女性教師が職員会議で放つ
「未完成の人間に、いい先生だと言われても意味ないじゃないですか」、もう一つは若い教師が飲み屋で酔って吐く「卒業した後、思い出したくもないと思われる教師の仕事なんて、何の意味があるんでしょう」という内容の台詞。学校って、教師が何を教え、生徒が何を学ぶところなのか、あらためて考えてしまいました。

京女で残された日々、君は誰から何を学んでいくのでしょう。僕は君に何を教えたらいいのだろうか。

右に載せた歌詞は今から21年前の1985年、尾崎豊が歌った『卒業』です。僕はこの歌がとても気になりつつ、手放しで好きになれないのです。この歌の登場人物の抱く焦りや不安、大人への期待と絶望感は共感できます。でも、その彼と同じ教室で机を並べながら、落ち着いて授業を受けたかったのにできなかった生徒の苛立ちや怒り、割られたガラスを悲しく見つめた生徒の悲しみにも共感できるからです。

自殺したと伝えられている彼が、1992年に26歳でこの世を去ってからまもなく14年。尾崎豊の歌は、すでに時代遅れになったのか、それともまだ君の胸を打つ何かを宿しているのか、知りたいところです。


  卒業

           尾崎豊

校舎の影 芝生の上 すいこまれる空
幻とリアルな気持ち 感じていた
チャイムが鳴り 教室のいつも席に座り
何に従い 従うべきか考えていた
ざわめく心 今 俺にあるものは
意味なく思えて とまどっていた
放課後 街ふらつき 俺達は風の中
孤独 瞳にうかべ 寂しく歩いた
笑い声とため息の飽和した店で
ピンボールのハイスコア 競いあった
退屈な心 刺激さえあれば
何でも 大げさにしゃべり続けた


行儀よくまじめなんて 出来やしなかった
夜の校舎 窓ガラス壊して回った
逆らい続け あがき続けた
早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと

この支配からの 卒業

誰かの喧嘩の話に みんな熱くなり
自分がどれだけ強いか 知りたかった
力だけが必要だと 頑なに信じて
従うとは負けることと言いきかせた
友達にさえ 強がって見せた
時には誰かを傷つけても
やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた
大切なのは何 愛することと
生きるためにする事の区別迷った

行儀よくまじめなんて クソくらえと思った
夜の校舎 窓ガラス壊して回った
逆らい続け あがき続けた
早く自由になりたかった
信じられぬ大人との争いの中で
許しあい いったい何 解りあえただろう
うんざりしながら それでも過した
ひとつだけ 解ってたこと

この支配からの 卒業

卒業していったい何 解るというのか
思い出のほかに 何が残るというのか
人は誰も縛られた かよわき小羊ならば
先生あなたは かよわき大人の代弁者なのか
俺達の怒り どこへ向かうべきなのか
これからは 何が俺縛りつけるのだろう
あと何度自分自身 卒業すれば
本当の自分に たどりつけるのだろう
仕組まれた自由に 誰も気付かずに
あがいた日々も 終わる


この支配からの 卒業

戦いからの 卒業

http://www.hi-ho.ne.jp/momose/mu_title/sotsugyou.htm

より転載

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その39  「である」ことと「する」こと

2005年度 50枚目 2006/02/16


■ それは美学かジェンダーか

今日の学級読書会で取り上げられた氷室冴子の『なんて素敵にジャパネスク』は発売当時(文庫初版は1984年)、学校の図書館にはふさわしくないとして全国の学校図書館から閉め出されていた過去があります。「なんたって今日は、というか今夜は、いよいよ初夜、だもんねえ。ふっふっふ。」というような、くだけたお喋りのような文体や、性的(今からすれば何と言うこともないような)表現が嫌われたようです。

それから10年も経たないうちに彼女の本は京女のHR文庫として購入され、こうして今も読み継がれているのです。
「大人の常識」なんて、その程度の移ろいやすいものなんだろうね。

その一方で
根強くはびこっているのがジェンダー(社会的・文化的に作られた性差)でしょう。それを今日の読書会で君が即席に作った和歌から感じました。紹介された歌をしたに掲載します。なんと「待つ女」の多いことか!今でも待つのは女の美学なのでしょうか?

・   あいたいなぁ  あいたいあいたい  あいたいなぁ
・   会いたいな会いたいようで会いたくない  でも少しだけ会いたいな
・   伝えたい伝えたくない微妙なの  恋してるけどしてないような
・   伝えたい胸の高鳴りあなただけ  伝えられないこの思い
・   雨に濡れまちつづけてる女の子  いつまで待てばくるのかな
・   会いたいよでも会えないの  遠すぎていつになれば会えるのかなぁ
      ・   こんなにも会いたいけれど会えないの  一人寂しく夜を迎える
・   窓の外やまない雨が目にうつり  逢いたい思いがつのる毎日
・   あなたとはすぐに逢えない仲だけど  私の心はいつでもそばに
・   儚くて雨音の中消えてゆく  涙も声も誰も知らない
・   届かない想いはどこへ行くのだろう  あなたが遠く行けば行くほど
・   私からあなたへ向かうこの想い  叶わないから忘れられない
・   いにしへの唐土となりし其思はば  焦がれて胸の苦しきかな
・   涙にも流れし思い花に落ち  君には届けず小舟に揺られ
・   出会はぬと言ひし心をかたはらに  林*の花咲き乱れぬ
・   波の音我が心とも騒ぎ立て  あいまみえんとて恋しかるべき
・   好きな人探したって見つからない  急に現われるものなんだよね
・   一度くらい素敵な恋をしてみたい  けれどまともな男がいない
・   むかしはねカッコイイなと思ったが 今は単なる中年オヤジ 
現実はこんなもんよ  母より
・   美しいお前に俺はメロメロだ  I want you, I need you.


■ それは差別か伝統か


古文の教科書でしか見たことのないような言葉が新聞の一面記事で見かけるとドキッとします。下の記事と『なんて素敵にジャパネスク』を重ねた時、そこに君は何を読み取るでしょうか。雲の上の人々の話題が、地べたを這って生きている僕らとしっかり結びついていることに気付かせてくれるいいチャンスです。芸能ネタではなく「社会問題」として、この記事から何かを学んでください。

http://www.asahi.com/national/update/0208/TKY200602080518.html

紀子さまご懐妊「政界・皇室が混乱」 世界の主要紙報道

2006年02月08日23時11分

秋篠宮妃紀子さまの懐妊について、世界の主要紙は8日までに、「日本政界と皇室を混乱に陥れた」(英紙タイムズ)などと報じた。特に皇室典範改正論議に注目して、「世界最古の男性支配の皇室」(米紙ワシントン・ポスト)の変化が遠のく可能性などを伝えた。

英国では保守系の主要2紙が取り上げた。タイムズは国際面1ページを使って報道。メディア報道が先行したことから「典範改正を望む小泉首相の計画を台無しにする意図がうかがえる」と指摘。デーリー・テレグラフ紙は「予想外の事態によって、女帝を禁じている皇室典範の改正論議は複雑化する」と論じた。

ワシントン・ポスト(電子版)は男児が誕生した場合、「勢いづいていた愛子さまの皇位継承を認める動きが沈静化する可能性がある」と指摘した。

仏フィガロ紙は、平沼赳夫元経産相の「愛子さまが青い目の男性と恋に落ち、そのお子様が天皇になられることは、断じてあってはならない」との発言を紹介。

ロシア新聞は「保守的な政治家は皇太子に愛人を持つことさえ勧めていた」と、反対派の一部にあった「側室論」を紹介した。

http://www.asahi.com/national/update/0208/TKY200602070607.html

「東宮さまに遠慮していたが…」秋篠宮さま

2006年02月08日08時13分

「東宮さまのほうに遠慮していたが、『もうそろそろいいよ』とのお許しがあったので……」 秋篠宮さまは、親しい人にこんな話をもらしたことがあるという。

2003年12月、当時の湯浅利夫宮内庁長官が記者会見で「皇室の繁栄を考えると、(秋篠宮ご夫妻に)3人目を強く希望したい」と述べた後のことだった。

会見の翌日、体調を崩して公務を休みがちだった皇太子妃雅子さまの静養が発表された。突然の第3子発言は、天皇、皇后両陛下の意向を受けたものだったと見られている。

その後、紀子さまは、東京都港区の愛育病院を訪れ、検査を受けたり体調管理を相談したりしていた。「なるべく自然に」とのご夫妻の意向で、特別な医学的な手だてはとられなかったという。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その39 今日を大切にするということ

2005年度 49枚目 2006/02/10


■  オンリーワン幻想

3月4日に始まる学年末考査まで21日。このクラスで机を並べて勉強できるのもあと三週間。その一日一日を、君の未来を支えるものにしてもらえるよう、僕もできる限りのことをしたいと思っています。

右(省略)に載せたのは、先月提出してもらった進路志望調査の2組の結果です。表の見方は、第一志望で京女大国文学科へ推薦で進学することを志望している人が二人いて、そのうちの一人は第二志望が史学科、もう一人は短期大学部の国語科を志望しているという具合です。

さて、2003年の厚生労働省の統計では、大卒女子の入社三年以内離職率が46.6%にのぼっているそうです。

それについて香山リカは最新の新書『貧乏クジ世代』(PHP研究所)で次のようにコメントしています。

「自分らしい仕事」「ほんとうにやりたい仕事」をいざ見つけようと思っても、そう簡単に見つかるわけはない。ほんとうの意味で「その人でなければできない仕事」についている人など、いったい世の中にどれほどいるだろう…

それぞれの職場で…名人≠ノなることはできるが、「天職への転職」志願者が望んでいる「私でなければできない仕事」は、そんなレベルではないのだろう。

二〇〇三年、SMAPが「ナンバーワンよりオンリーワン」と歌った曲が空前の大ヒットとなったが、よく考えれば、ナンバーワンなら必死の努力でなれないことはないかもしれないが、真の意味でのオンリーワンほど難しいものはないのではないか。


クリックすると拡大画像が見られます

PHP 新書

貧乏クジ世代

この時代に生まれて損をした!?


将来をしっかり思い描いて計画的に何事かを準備するというのも大切なことですが、僕はもう一つのことを常に忘れずにいるべきだと思うのです。それは、漫画家の石坂啓の子育て記『学校に行かなければ死なずにすんだ子ども』(幻冬舎)の次のような記述からも読み取れることです。

どうも一般的に、大人は自分たちが一人前で子どもたちが半人前であると、思い込んでいるふしがあるのではないでしょうか。大人は完成品で、子どもは未完成…子どもは半人前だから、大人がしつけて、鍛えて、導いて、分からせる必要がある…

だいたいいつどこからが「大人」かなんてちゃんと線引きできるものでもなく、小学生にだって「大人」を感じさせる部分もあれば、いいトシをしているのに「お子ちゃま」な社会人もたくさんいます…人はいつどの段階でも、成長しているものだと考えておいたほうが、柔軟でいいと思います…大人だってまだ半人前で、そういう意味では子どもと同格であるといえるし、素直に同じ地平に立つことができます…

そしてそれは同時に、いつどの段階でも、人にはそのときなりの完成度がある―ということにもなります。三歳児には三歳児の完成度がある。これは尊重すべき問題だと思います…

はいはいをしている時期の子どもは完璧なハイハイをします。何の不自由もないはずです…そしてひとたび立ち上がるようになると、もう二度と上手なハイハイをすることはできません。ハイハイをする時期にはハイハイをする価値と意味があります。大人に近いことをする方が「立派だ」なんて勘違いをしていると、子どもの成長を急かすことをしてしまいそうです。それは子どもにとって、大変な暴挙のはずです。


クリックすると拡大画像が見られます

幻冬舎文庫

学校に行かなければ

死なずにすんだ子ども


■   今だから、今だからこそ分かることをしみじみと


今現代文の授業でやっている『こころ』夏目漱石が48歳で書いた作品。神経症と胃潰瘍と痔に苦しみつつ、一人の男が命を削るようにして新聞に連載した作品を君はどんなふうに読んでいるのでしょうね。僕が若いころ『こころ』を読んだとき、「先生」の自殺は、人を裏切った罪悪感に耐え切れなかったせいだろう単純に理解し、「明治の精神に殉死」するという言葉にロマンチックな響きを感じていました。

しかし、漱石と同じ年となった今、僕には先生とKの自殺をつなぐあの言葉の意味を実感することができるようになりました。同じものを目の前にしていても、分からなかったことが分かるようになる。それが年を取ることの素晴らしさでもあり、悲しみでもあります。

今日紹介した本の著者、香山リカは僕の二つ年下の1960年生まれ。石坂啓は二つ年上の1956年生まれ(ちなみに同郷の愛知県出身)。ついでに言えば、君が来週のHR読書会で楽しむ『なんて素敵にジャパネスク』の著者の氷室冴子は一つ違いの1957年生まれ。みんな君のお母さんと同じぐらいの世代です。氷室冴子がその本を雑誌『小説ジュニア』に発表したのは、僕が京女に勤めた最初の年、1981年の4月。君のお母さんも読んでるんじゃないかな?

氷室冴子がこの世にこの作品を生み出したときから25年の時を越えた今、君の目の前にある作品から君が何を読み取るのか、来週の読書会が楽しみです。今ここに、一緒に過ごしているという掛け替えのない価値を大切に、残りの日々を過ごしていきたいものです。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その37 さよならは次の世界のこんにちは

2005年度 48枚目 2006/01/20


■  君が見つけた階段の、次の一歩を大切に

ムッちゃんは今日、彼女が学ぶ場をこの2年2組の教室から、クラーク記念国際高等学校に移します。クラーク記念国際高等学校は、本校が北海道深川市にある広域単位制・通信制の学校で、ムッちゃんは京都市下京区仏光寺通新町にある京都キャンパスの国際学科国際総合コースに通います。

長い時間をかけて悩んだ末の彼女なりの決断を僕は心から応援したいと思います。

彼女の次のステップをHP(http://www.clark.ed.jp/index.php)から抜粋し、以下紹介します。(省略)


■    温故知新


京都の伝統ある映画館の灯がまた消えます。1935年から5200万人の映画ファンが通った京都宝塚会館と京極東宝です。1月28・29日の土日はラストショーが催され、16本の名画が一作品500円で楽しめます。裏にその案内を載せました。(省略)おばあちゃんやおじいちゃん、お母さんやお父さんもきっとこの映画館で青春の日々を過ごしたはず。

過去を重ねた者は思い出をたどり、文化遺産を知らぬ君はそこに新鮮な感動を見つけに足を運んではどうでしょう。歴史が形となった空間で映画を観るのは、家のテレビでレンタルビデオを楽しむのとは違ったときめきがあるはずです。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その36  Stand up for your something.

2005年度 47枚目 2006/01/19


■ 平穏無事か波乱万丈か

進路志望調査は記入できた?〆切は来週木曜。さっさと記入して提出するのも一つ。でも、この機会に、自分が大切にしているものは何であり、何をどんな風にして生きていきたいのかをじっくり見つめ直してみるのも一つ。
僕らはこれまでの自分の考え方を「そう考えるのが当然」のように思い込んでいたり、これからの自分の人生を「それしか仕方のないもの」のように考えがちです。何大学の何学部が就職に有利か不利か、合格の可能性があるかないかなんてことよりも、一度しかない人生の送り方を考えてみる。君は、退屈でもいいから平穏無事な人生を送りたい?それとも、苦難に満ちていても波乱万丈の人生を送りたい?そのいずれにせよ、君が「若者」でいる間にどこで何を体験し身に付けたいのか。それを考えることこそ自分の「進路」を考えることなんだと思うんだよね。

右は、1952年に公開された黒澤明監督の映画『生きる』の作中で、志村喬演ずる退職間際の市役所の役人が二度歌う歌。この映画の始めに、次のようなナレーションが流れます。

「彼は時間をつぶしているだけだ。彼には生きた時間がない。つまり彼は生きているとはいえないからである」
「駄目だ!これでは話にならない。これでは死骸も同然だ」

「一体これでいいのか!この男が本気でそう考え出すためには、この男の胃がもっと悪くなり、それからもっと無駄な時間が積み上げられる必要がある」

夢や理想など追わず、平穏無事に退職の日を迎えることだけを願う彼は、退職を目前にして自分が胃ガンで余命半年もないことを知ります。妻とは若くして死に別れ、息子夫婦にも冷たくされた彼は、孤独と絶望の中、酒場で酔いしれながら調子っぱずれに『ゴンドラの唄』を歌います。

その彼は一人の女性との出会いから生きる目的をつかむきっかけを得ます。彼は別人のようになって残された時間と体力のすべてを住民の願いに応えるための仕事にかけ、困難と立ち向かいます。

彼の執念で児童公園が完成した静かに小雪舞う夜更け、彼は一人公園のブランコに揺られながら静かに深く歌を口ずさみます。
「いのち短し 恋せよおとめ あかき唇 あせぬ間に 熱き血潮の冷えぬ間に 明日の月日はないものを」。そしてその翌朝、彼は……


        ゴンドラの唄

                吉井勇作詞・中山晋平作曲

いのち短し 恋せよ少女(おとめ)

朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に

熱き血潮の 冷えぬ間に

明日の月日は ないものを


いのち短し 恋せよ少女(おとめ)

いざ手をとりて 彼(か)の舟に

いざ燃ゆる頬を 君が頬に

ここには誰れも 来ぬものを


いのち短し 恋せよ少女(おとめ)

波に漂う 舟の様(よ)に

君が柔手(やわて)を 我が肩に

ここには人目も 無いものを


いのち短し 恋せよ少女(おとめ)

黒髪の色 褪せぬ間に

心のほのお 消えぬ間に

今日はふたたび 来ぬものを

僕がこの映画を初めて観たのは30年以上も前。でも、それ以来ずっと、彼の満足感に満ちた静かな歌声を忘れることがありません。

君は、それが人であれ仕事であれ学問であれ、恋するものにときめきたいと思わない?それを可能にする
智恵と力と勇気がほしくない?それより、地味でも穏やかな生活がいいなら、それを可能にする智恵と力と寛容さを養わなくっちゃね。

■ 何のためなら立ちあがれる?

先週末、ニュージーランド出身の女性監督
ニキ・カーロの作品『スタンドアップ』(原題North Country)を観ました。それがまた、当りの映画。『ターミナル』『ミリオン・ダラーズ・ベイビー』『シンデレラマン』の路線にある、「哀しいことや辛いことは一杯だけど、自分や仲間を信じて頑張れば夢は叶う」という、ハリウッドらしいヒューマンドラマです。

舞台は1989年アメリカの北ミネソタの鉱山。
シャーリーズ・セロン演ずるジョージー・エイムズに待ち受けているのは性暴力テンコモリの人生。

高校生のとき教室で教師からレイプされ望まない妊娠と出産。事実を両親にも明かすことができないまま、ふしだらな女のレッテルを貼られて町を離れた彼女が結婚した相手は、飲んでは殴るDV(ドメスティック・バイオレンス)夫。 暴力に堪えきれず子どもたちを連れて故郷に逃げ戻った彼女に待っていたのは、忍耐力がないと突き放す父親の無理解。

誰も頼れるものがないという瀬戸際に立たされた時、彼女は自分の力で二人の子どもを育て切ることを決意します。そして、高い給料がもらえる高山の労働者となった彼女に待ち受けていたのは、女性蔑視というよりも、
女性敵視に近い男たちの陰湿なセクハラでした。

その最後の闘いの場面、法廷で彼女を弁護する弁護士が、そこに集まった人々に勇気を出して共に闘うよう呼びかけます。
“Stand up for your friend!”

それに対して、彼女を見つめる男たちや女たちは……

原作はクララ・ビンガームとローラ・リーディー・ガンスラーによる「CLASS ACTION:THE LANDMARK CASE THAT CHANGED SEXUAL HARASSMENT LAW」(「階級闘争:セクシャルハラスメントに関する法律を変えた象徴的なケース」)というノンフィンクション。1984年にアメリカ国内で初めて職場でのセクシャル・ハラスメントに対し、女性従業員が大きな勝利を収めた闘争の記録です。

今年になって
『集団訴訟』というタイトルで文庫本(渡会圭子訳、竹書房文庫)が出たので、映画を観に行く暇やお金のない人は本屋で手にとってみて。また、ニキ・カーロ監督は女性の自立っていうか、女性が「一人の人間としての願いを持ち、それを実現するために闘う人生を選ぶ」姿を描くのが得意なようです。彼女の前作『クジラの島の少女』をレンタルビデオ屋で借りて「勉強」してはどうでしょう。それも「進路」を考える活動の一つです。

つづく
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同行二人〜テクテク・ふらり

その35 自分の人生を生きる

2005年度 46枚目 2006/01/11


■ 「女の園」で学ぶ意味

君の冬休みは、新しい年の始まりにふさわしいものになったでしょうか。クラブの成果は?冬期講習の成果は?バイトの成果は?旅行の成果は?家事手伝いの成果は?今日の宿題確認テストは納得のいくできになったでしょうか?君が、お年玉以外に手に入れることができたものは何だろうね。僕は、トカラ列島(鹿児島県十島村)に行く予定だったのですが、あれこれ迷った末に延期しました。それでのんべんだらりんとした年末年始になったのですが、今年に入って観た映画を二つ紹介します。

一つはBSの
木下恵介監督特集でやっていた『女の園』。君たちのお母さんやおばあちゃんは知っていると思うけど、これは京都女子大学で起ったある事件をもとに1954(S29)年に作られた、高峰秀子主演の有名な映画(1954年キネ旬ベストテン2位)です。ちなみに原作は『群像』の昭和28年8月号に発表された阿部知二の短編小説『人工庭園』

良妻賢母の育成を売り物にする名門女子大の名は、なんと「正倫女子大学」(どこかで聞いた名前でしょ)。寮生活をしている女子学生達は、厳しい規則で締め付けたり、勝手に手紙を検閲したりする寮母(高峰三枝子)に反発し、学校の経営方針に対しても疑問を抱き始めます。

その一人、高峰秀子演じる姫路出身の学生は、学業不振や恋人との関係を親に引き裂かれた苦悩に加え、学校改革運動で仲間から中傷を受けた心の傷からノイローゼになり、東京の大学に通う彼の下宿に逃げ込みます。

しかし、自責の念に駆られて京都に戻った彼女は、大学の講義室で自殺してしまいます。彼女の死を受けて女子学生達は全校集会を開き、学問や政治活動の自由、学生の自治権を求めて学校側と闘う決意を示すところで映画は終ります。

その場面で学生が唄った右の歌は、映画上映当時、大ヒットしたそうです。

学生を規則で縛ろうとする学長に向けて一人の学生が放った「先生方は結局、平和な社会を築こうという意志をお持ちではないのですね」という台詞が印象的でした。

映画に登場する50年前の女子学生の意識はいろいろ。結婚や就職に有利になるよう無事卒業することだけを望む者、女性の自立や政治活動への参加を呼びかける者、自分の意志を貫けず周囲に翻弄されて絶望する者etc.

一度、君のおばあちゃんの青春時代の思い出を語ってもらってはどうでしょう。ひょっとしたら自分の今を考え、未来に踏み出す教訓を得られるかもしれません。


        女の園
                          作詞・作曲:木下忠司

1 古き都に咲きし 花の命は
  祇王(ぎおう)の夢ならずや 常盤(ときわ)ならずや
  さらば吹けよ みね吹く風よ
  吹きて悲しみの 歴史ぞかえん

2 友よ香りゆかしき 乙女ならずや
  我もまた真(まこと)もつ 乙女ならずや
  さらば恋せよ 自由の園に
  希望と喜びの 花ぞ開かん

 3 我ら今 誰(た)がために 学ぶにあらず
  この小(ち)さき手の中に 平和の花摘むを
  さらば行かん 青い空の下(もと)を
  一すじにかけてゆく 誇りぞつよし

         ※ 祇王も常磐も平清盛の愛人


    http://www.duarbo.jp/songs.htmより転載
■ 心を解き放つことの素晴らしさ

もう一つの映画は、京都シネマで上映中のスウェーデン映画
『歓びを歌にのせて』(2004年ケイ・ポラック監督)です。心臓病で倒れた指揮者ダニエルは故郷の村に帰ります。そこで教会の聖歌隊の指導を頼まれたダニエルは、一人一人に「自分固有の音」を見つけさせ、「人と人とが響き合うことの素晴らしさ」に気付かせます。

僕は館内の明かりが灯るまでに三回涙が溢れました。最後に涙したラストシーンは、これから映画を見る人のために話さずにおきますが、最初に涙が出たのは、ダニエルが聖歌隊のメンバーでDV(夫からの暴力)に苦しむガブリエラのために作った歌を、彼女がコンサートで歌う場面。

彼女は
仲間と歌うことで、失っていた自信を取り戻し、自分らしく生きて行く勇気を得ます。買ったパンフからその歌詞を右に転載します。

二度目は、ダニエルに恋したレナが、ダニエルと向かい合ってひたすらひたむきに見つめる場面。レナを演ずる
フリーダ・ハルグレンという女優さんは飛び切りの美人でも抜群のプロポーションでもありませんが、そのピュアな瞳と笑顔の輝きに感動して涙が溢れました。

哀しみや苦しみから解き放たれる場面で涙が出ることはいくらもありますが、恋にときめく女性の笑顔に涙したのは生まれて初めてです。
暖かに光輝く笑顔は、凍てついた感情を融かし、滴る雫は熱い涙となって流れます。それは生きる歓びと勇気を湧き起こします。

君が、この教室で残された2ヵ月の生活で、この学校で残された1年間の生活で、この地上で残された何時まで続くかわからない人生で、
誰かから勇気付けられ、誰かを勇気付けながら自分の人生を生きてくれることを、心から願ってやみません。

    歓びを歌にのせて ―ガブリエラの歌

  私の人生は  今こそ私のもの
  この世に生きるのはつかの間だけど
  希望にすがってここまで歩んできた
  私にかけていたもの  そして得たもの

  それが自分で選んだ道
  言葉を超えたものを信じ続けて
  天国は見つからなかったけど―
  ほんの少しだけ  それを垣間見た

  生きている歓びを心から感じたい
  私に残されたこれからの日々……
  自分の思うままに生きていこう
  生きてる歓びを心から感じたい
  私は  それに価すると誇れる人間だから

  自分を見失ったことはない
  今まで  それは胸の奥で眠ってた
  チャンスに恵まれない人生だったけど
  生きたいという意志が私を支えてくれた

  今の私が望むのは日々の幸せ
  本当の自分に立ち戻って
  何にも負けず強くそして自由に
  夜の暗闇から光が生まれるように

  ここまでたどり着いた私
  そう 、私の人生は私のもの!
  探し求めていたまぼろしの天国
  それは近くにある  どこか近くに
  私はこう感じたい
  「私は自分の人生を生きた!」と

つづく
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