立ち小便とジェンダー 2 女性の立ち小便今昔物語 |
4 京女とアメリカ娘の立ち小便 江戸時代に刊行された『誹風柳多留』に収められている次の川柳は、山路茂則の『トイレ文化誌』ほか多くの出版物で紹介されているのでご存知の方も多いでしょう。 京女立ッてたれるがすこしきづ 不二額(ふじびたい)田子(たご)へまたがる京の娵(よめ) 「東男に京女」という言い方がありますが、江戸の男性たちは京都の女性に憧れながら都の上品さ≠ノ対する屈折した感情を抱いていたようです。それが立ち小便をする京女の習慣を揶揄するような川柳を生んだのかもしれません。 京都を中心とした長い歴史を持つ都市部の街路は、垂れ流しにされた糞尿で汚染されていました。しかし糞尿が肥料として利用されるようになり、尿が商品となるにいたって京都の町の辻つじに肥担桶(こえたご)が設置され、それが公衆トイレとしても機能したのです。それは囲いも何もなくただ単に路上に置かれた桶でしたが男性専用ではなく男女共用でした。 先の二つ目の川柳に歌われたように京の町では「富士山のような髪の生え際をした美しい容姿の女性が、富士山を背景にした風光明媚な田子の浦で涼やかに佇んでいる」かのように肥担桶にまたがってオシッコをしたのです。 ご婦人が町の通りで白昼堂々裾をめくって排尿する姿は決して異様なものではなかったのですが、そうした習慣のなかった江戸の男たちからすればセクシュアルな想像を掻き立てられる格好の下ネタだったに違いありません。 ただ、女性の立ち小便は農村部に行けばもっと何でもないことで、男性同様田んぼの畦や町家塀に裾をまくってシャットしていたのです。 小便をすわってしろと女衒(ぜげん)いひ 女衒というのは江戸時代に遊女奉公する娘の勧誘と店への斡旋(いわゆる人身売買)を商売にしていた人ですが、田舎娘を江戸に連れていく最中に「オシッコはたってせずにしゃがんでするもんだ」と教えなければならないほどに、立ち小便は普通のことだったわけです。 (参照:『やんごとなき姫君たちのトイレ 西洋かわや物語』) また、室町時代の俳諧選集『犬筑波集』には「霞の衣すそはぬれけり」「佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして」という付け合いがあり、春霞でにじんだように見える山裾を、女性が立ち小便をする姿にみたてています。 (参照:e船団 新季語拾遺バックナンバー 2002月2月3日 佐保姫) 先に紹介した上方の辻に置かれた肥担桶(こえたご)だけでなく、各家庭では女性も使える小便器が戦前から信楽で生産されていました。糞と尿は成分が違い、肥料として利用するには別々に蓄えることが必要でした。 そこで男女両方の尿だけを回収しやすくするために開発・設置されされたのが信楽で焼かれていた朝顔形口広小便器です。これは尿の受け口部分が広く、女性の立小便用としても便利な形状をして、主に北陸から山陰方面の農家へ出荷されていたそうです。 (参照:『トイレ文化誌』) こうした街路での立ち小便が無作法な犯罪行為として禁止されたのは文明開化後の1873(明治6)年、外国人の目をたぶんに気にした横浜市内のことだったようです。 (参照:『女のトイレ事件簿 ナプキン先生 性と生を語る』) それが現在の軽犯罪法(1958年施行)にも引き継がれており、その第1条第26号で「街路又は公園その他公衆の集合する場所で、たんつばを吐き、又は大小便をし、若しくはこれをさせた者」は拘留又は科料に処するとされています。 なお軽犯罪法では、これとあわせて第20号で「公衆の目に触れるような場所で公衆にけん悪の情を催させるような仕方でしり、ももその他身体の一部をみだりに露出した者」を、第23号では「正当な理由がなくて人の住居、浴場、更衣場、便所その他人が通常衣服をつけないでいるような場所をひそかにのぞき見た者」を同じく罰することが定められています。 5 海外の立ち小便 これまでみてきたように、しゃがむのではなく立ってするのが大和撫子の伝統的かつ標準的かつ実利的な排尿スタイルだったのですが、それはまた世界の標準的なスタイルの一つのようでもあります。 古くは古代ギリシア時代、ヘロドトスの『歴史』第2巻35章には、エジプトでは女性は立ってし、男性はしゃがんですると記されているそうですが、現代でも地域によっては立位が女性の標準スタイルのようです。コリンヌ・ホフマンは、ケニアのマサイ族との生活を綴った手記『マサイの恋人』(講談社刊)に、「翌朝、ヤギの声とさらさらいう奇妙な音で目が覚めた。入り口からのぞくとママのスカートが見えた。両足の間から水がちょろちょろ流れている。どうやらここでは女の人は立ったままオシッコをするらしい。けれども男の人はしゃがむ。私も外に出て、しゃがんで用を足した」(P118)と記しています。 またアウトドアライターのキャサリン・メイヤーはその著書『山でウンコをする方法』で便座に尻を付けずに用を足す自分の祖母や、屋外で立ち小便する友人の実例を紹介しており、女性の立ち小便が未開地域の野蛮な習俗ではなく極めて実用的かつ合理的なものだという事が窺い知れます。 日本でも、東京の国立競技場のトイレには、世界各国からやってくる女性選手用立ち小便器が設置されているということです。 (参照:『トイレのなぞ 48』、Barbaroi! [補説]古代ギリシアの便所) この女性用立ち小便器は1951年にTOTOから「サニスタンド」の名前で発売(1971年に生産中止)されたものですが、その原型は第2次世界大戦前のアメリカにありました。アメリカでナイロン製のストッキングが開発された1938年頃、伸びたり伝線しがちだったストッキングを保護するため立って用を足せる女性用の立ち小便スタンドが発売されてヒットしたそうです。 (参照:『世界が見えてくる身近なもののはじまり 第2巻 トイレットペ−パ−』) 6 立ち小便の仕方 ここまでお読み下さった方は女性の立ち小便が歴史的な事実であり、立つか座るかという排尿の体位が身体的な特徴や本能によって決定されているのではないことに確信を持って頂けたと思いますが、次に湧き起る疑問は「立ってするにしてもどうやって」ということででしょう。 それを分かりやすく図示したのが、TOTOのホームページTOTOきっず:トイレおもしろ図書館 サニスタンドや、ウタリクリエイツ筑波研究所さんのサイト(世界のトイレの比較文化学的考察〜幻の女性用小便器〜)で紹介されているTOTO製サニスタンドの使用方法の解説図です。要するに @ 男性とは逆に小便器を背にして足を開いて立ち A スカートの後ろの裾を捲ってパンツをずり下げ B 膝を曲げないようにやや前かがみになり C お尻を後ろに突き出してする のです。 ただ、「した後で拭くのかどうか」は不明です。なお京女の立ち小便≠フ場合は和服で下着は腰巻ですから、パンツを下ろす手間さえいらなかったわけです。 こうした体位も地域によって若干差があり、TOTO出版の「トイレは笑う 歴史の裏側・古今東西」で紹介されている手塚正夫の『臍下(せいか)たんでん』によれば、暖かな九州では「着物をまくって尻を全部だし、前かがみになって、両手を膝の上に置く」のに対し、寒い東北では「片手で着物を尻の上に捲り上げると、尻に手を置いたまま放尿する。尻は少し出すだけ」だったようです。 さて、こうした説明を聞きつつ「何を今さら。私は常々公衆便所の汚れた洋式トイレを前にして、くるりと背を向け同じように済ませている」と嘲笑される女性もいらっしゃるかもしれません。 ただ、それを公の場でも私的な場でも余り聞くことはありません。それは立ち小便は本来男だけがするものであり、女がするのは恥ずかしくてはしたなくて言うのも憚られることである≠ニいうのが私たちの常識≠セからでしょう。それは「女性の立ち小便」も特定の時代や地域が作り出した社会的な性差による行動・表現様式=ジェンダー・パターンにすぎないことを示しています。 この考察の最初に述べたサチコの立ち小便に対する違和感≠ヘ、女性の立ち小便が私たちの生活の中で日常性を失っていたからだけではなく、上村一夫が描いた体位に由来していたのです。一つのファンタジーとして描かれた女性の立ち小便にはリアリティが欠如しており、それが不自然さを印象付けたのです。 女性の立ち小便は男性と同じ向き≠ノするものではなく、あくまでも女性固有の器質を活かした女性流の立ち小便であるべきなのでしょう。 立ち小便≠考察することは、私達がいかに差別的な固定観念やジェンダーに支配されているかを知ることであると同時に、現実を踏まえつつ性差や個性を活かしていくことの重要性を再確認していく作業でした。そして更には人としての尊厳やアイデンティティーを確立していく道筋を探る営みであると考えられます。 そこで次回は学校教育と性同一性障害に着目して、立ち小便の考察のヒントをまとめます。 |
立ち小便とジェンダー 3 「立ち小便と性教育 ぼくはする人 わたし拭く人」 へつづく |
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