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B940 トイレあれこれ   女性の立ち小便 抜粋 特集
紹介図書目録
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図書紹介 留意事項




































書名 山でウンコをする方法    自然と上手につきあうために    (HOW TO SHIT IN THE WOODS)
著者名 キャサリン・メイヤー
発行 日本テレビ放送網:初版1995/10/10-第3版1997/6/5

第5章 女性の方のみお読み下さい  ブーツにおしっこをかけない方法
P88 わたしは40年代と50年代に成長期を過ごしたが、その時もっとも注意を払って祖母のおしっこの仕方を観察していたんら、女性のおしっこについて、傑出した指導者になれたかもしれない。いま、わたしには彼女と一緒に公衆便所に入った記憶しかない。彼女はスカートをまくり上げて、だぶだぶのブルマーから片足をするりと抜き出すと、それをもう一方の脚のところで回転させてから、闘牛士のように広げて持ち、それから手綱をきつく引きすぎた馬のようにぎこちない足運びで後退した。そして便器をまたぐと、立ったままさっさと事を始めたものだった。
P90
第三世界では立小便スタイルが一般的だ。その開けっ広げな方法を見てしまうと私の祖母のやり方さえかすんでしまうほどだ。下着という制約を受けずに育ってきた彼女たちは発達した骨盤と大腿骨を巧みに用いオリンピック選手並の的確さでおしっこができるようだ。

ゆるゆるのショートパンツを身につけていれば―股の生地を一方に寄せて―立小便技術をマスターすることはできるようだ。ある友人はこうしてしゃがむ。また、わたしが知っているもう一人の女性はショートパンツの裾を一方に寄せ、道端に立ったままおしっこをすることができる。もしも車で通りすぎ、彼女の放つ流れを見落としたら、ちょっと足をほぐして眺めに見入っているだけのように見えるはずだ。
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書名 トイレ文化誌
著者名 山路茂則
発行 あさひ高速印刷出版部:初版2001/1/1―第2刷2001/4/15

第1部 トイレまんだら 第4編 京女の排尿姿勢に関する小論
P50
一 はじめに
  江戸時代に刊行された『誹風柳多留』をはじめ、同時代の川柳書を紐解くと、女性の立小便、殊に京女のそれについて随分と詠まれているのに気付く。
    京女立ッてたれるがすこしきづ      (柳多留六)
    不二額田子へまたがる京の娵(よめ)      (柳多留一一六)
  あるいは『羇旅漫録』『嬉遊笑覧』でも、京独特の習俗としての女の排尿姿勢を取り上げて、若干の好奇心を織り交ぜながら記述している。
  本稿では主として近世文学の中から排尿や肥料に関する記述部分を選び出し、何故、京女が立って用を足したのか、について考察しようとするものである。
P51
二 文学に表われた京女の排尿姿勢
@  『羇旅漫録』巻の中 八十二条
 京の家々厠の前に小便担桶ありて、女もそれへ小便をするゆえに、富家の女房も小便は悉く立て居てするなり(中略)或は供二三人連れたる女、道ばたの小便たごへ立ながら尻の方をむけて小便するに耻るいろなく笑ふ人なし。
P52
A 『遊歴雑記初編』 之下  六十五条
  然るに上方は、物事花車にして上品なるに似たれども、下ざまの女より被衣をかぶりし身分まで、往還の而も人立繁き市中に白昼をも憚らず、担桶に後向になり、尻さし出して立ちはだかりて小便し、尻三ツ四ツ振て裾を下ろし歩行す、その不作法笑止いふばかりなく、見るも気のどく也
P58
尿は貴重な肥料であり、商品と言い換えてもよいだろう。それならば、商品たる小便を無駄にすることないよう、男はもちろん、女も担桶へ立ちながら放尿するのも「始末・算用」を旨とする上方の合理精神を持ち出して説明するまでもなく、何ら不思議な行為ではないのである。
  江戸の人間がその習俗に驚き、あるいは笑いの種にしている京女の立小便であるが、それは、貴重な肥料=商品としての小便を集めるための排尿姿勢なのである。
P59
四 明治以降の状況
  京女の立小便は、明治・大正時代に入っても、そこここでみられた。京都で暮らした松田道雄は、その著書『花洛』の中で、次のように書いている。
  京見物の祖父母を驚かせたものに、京都の女の人の排泄の異様な姿がある。「女が立ってしてんだよ」そういった祖母の見たものは、私も知っていた。花売りのおばさんが、急に路上で塀に背を向け、膝をまげずに上半身を深く屈した時、はじめ何をするのか、わからなかった。

第5編 トイレ版 「死語」ファイル
P68
朝顔形の小便器は、その受け口の大きさによって、大広・中広・小広・孫広に分類される。戦後長らく口広を生産していた信楽(滋賀県)のお得意先は、北陸から山陰方面の農家であったという。
  なぜ農家が好んで口広を使用するのか。
  化学肥料が高価で手に入りにくかった時代には、我々糞尿は、それを汲み取りする権利をめぐって訴訟が起きるほど貴重な肥料であった。そして糞と尿ではその成分が異なり、肥料の用い方が若干異なるので、できれば糞と尿を二つに分離して溜めておく方が、何かにつけて都合が良かったのである。
  そんな時、尿の受け口部分が広く、女性の立小便用としても便利な形状をしている口広は、まことに好都合であった。

第二部 トイレ春秋
P170
立つ女
  この信楽の地で、昭和の末期まで細々ながら焼成されていたトイレ関連製品がある。それは朝顔≠ニ通称された焼便器で、受け口の大きさによって大広・中広・小広・孫広の四種類に分けられていた。(中略)

(※ 口広小便器の写真あり)

 女性の立小便姿(俗に言う田舎のお婆ちゃんスタイル)は、戦前においては全国的に見ても、それほど珍しいものではなかった。
  谷崎潤一郎の『蓼食う虫』(昭和三年―四年に発表)に、主人公の一行が淡路島で人形芝居を見物する場面がある。その小屋は筵掛けの仮設で、トイレと言えば、桶を二つ三つ並べてあって、男も女も立ちながら用を足すようになっていたのだ。
  あるいはまた、青年教師時代を秋田県の横手で過ごした作家の石坂洋次郎(明治三十三年生まれ)は『わが半生の記』の中で、教え子の女生徒が月夜の野道で、立小便する光景を、懐かしさをもって描いている。
P171
  昭和二六年(一九五一)、静岡県の某私立女子高校に女性用立小便器が出現した。アメリカ帰りの校長が、水洗式で衛生的であるし、和式に比べて所要時間が一〇秒ほど短縮できる、しゃがまなくて済むから、ストッキングが伸びなくて長持ちする等の理由を挙げて設置したものである。
P172
  ところがPTAは「清純なわが娘に立小便を教えるのか!嫁に行けなくなるではないか」と猛反対。こうして立小便式トイレは、時期尚早として敢え無く撤去され、女生徒たちは従来どおり、慎ましやかに跨って用を足すことになった。以来、わが国では女性用立小便器は、陽の目を見なくなる。
  物事を合理的に考えるアメリカにおいては、女性の多い学校や工場で結構普及しているようだ。「私がノックした海外トイレ事情=v(婦人公論)では、商社マンの妻が、アメリカの女子ハイスクールで立小便専用トイレに入った体験を書いている。同文中には、インドネシアの工場内トイレにも設置されており、好奇心旺盛な筆者は、またも立って小便を試みたことに触れている箇所がある。
P173
  わが国では、かつて「女性が立小便をするのは端無い」と不評であったが、トイレに対する意識が変わってきた現代女性用立小便器の活用について再考してみる価値はあるのではないか尻合い≠フ心配はないし、床の汚れも少なくなる、個室滞在時間の短縮となって混雑解消にも有効と考えられるからだ。
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書名 やんごとなき姫君たちのトイレ  西洋かわや物語
著者名 桐生操
発行 TOTO出版:初版1992/10/10-15刷1999/10/30

たおやかなり、京女の立ちション
P37
江戸っ子の曲亭馬琴が京都に旅したのは、享和三年(一八〇三)だが、このとき馬琴は、京女の立ちションに目を白黒させて、こう書いている。
「(街頭で)富家の女房も小便はことごとく立ったままする。従者を二、三人連れた女が、道端の小便桶に、立ちながら尻を向けて小便しても、恥ずかしそうな様子もなく、笑う人もない」
また、 『羇旅漫録』にはこう書いている。
「京の家々かはやの前に小便たごありて、女もそれへ小便する。故に富家の女房も小便はことごとく立ち居てするなり。ただし良賤とも紙を用ひず。妓女のみふところ紙を持ちて便所にゆくなり、。月々六斎ほどづつこの小便桶をくみに来るなり。或は供二三人つれたる女、道はたの小便たごへ立ちながら尻をむけて小便するに恥るいろなく笑ふ人なし」
  これこそ有名な、「京女の立ちション」なのだ。
P38
「小便をすわってしろと女衒いひ」という川柳があった。いわゆる女衒(ぜげん、今で言う風俗営業の人)が、田舎娘に、街に連れていくと中で、小便はしゃがんでするものだよと、一々しつける必要があったそうだ。
  この立ちションの風習は明治の末まで残っていて、明治四一年に福岡県の教育者が「女子学生の立ち小便の禁止」と言う議題を協議したほどだった。女の立ちションは男と違い、便器のほうへ尻を向け、ちょっと前かがみになる。女が立ったまま放尿すると小便はほぼ真下に落ちるが、こんなふうに前かがみになると、それよりかなり後方に落下するため、桶に排泄するのにちょうど良かったのだそうだ。
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書名 女のトイレ事件簿  ナプキン先生 性と生を語る
著者名 小野清美
発行 TOTO出版:初版1993/12/10―第3刷1995/5/30
 
V 明治から平成にかけてのトイレ考  1 公衆トイレの衛生状況
P50 (1) 立ち小便の罰金の警告
  我が刻の公衆トイレの始まりは、江戸時代の元禄の頃、人々が縁日や祭に集まり、いたるところに放尿する不衛生に、町奉行が関係四町(町割りに基づく町の組合)と相談し、お金を出して簡単な小屋掛けの「移動便所」を設けたことによる。
  一八七三年(明治六年)九月二三日の『もしほ草』に、横浜市内の往来の端で立小便することは不作法なので、禁止の御触れが出たという記事が載っている。立小便をしたものに対する罰金は一八七三年(明治六年)の郵便報知新聞によると、六銭二厘五毛(明治六年の郵便切手は目方二匁以下二匁までは一銭、白米が一升一〇銭5厘の頃である)であった。(中略)

  さて、この立小便禁止は男だけを相手にした措置だろうか。明治四十一年の東京日日新聞の記事によれば、「福岡県の女子教育関係者の会議があり、学生風紀の振粛の第一に、女子学生の立小便を廃止するよう注意した云々」とある。女の立小便も日常的に見られたとなると、当然女にも適応することになる。しかし、女がこの罰金を支払ったかどうかは、私の知る限りではない。(中略)

  蛇足だが、女性がハイヒールを履き颯爽と歩くのは今では当たり前だが、もとはといえばパリの汚れた道路を歩く必要性から生まれたものだ。着飾った貴婦人たちが馬車から降りて玄関に向かうとき、ドレスの裾が汚れるのぽっくりのようなものを履いた。これが現代のハイヒールの原型になったのだ。

V 明治から平成にかけてのトイレ考  3 排泄の体位を考える
P59
前述の、明治四一年の東京日日新聞の記事に「福岡県の女子教育関係者の会議があり、学生風紀の振粛の第一に、女子学生の立小便を廃止するよう注意したきこと云々が議論された」とあるように、女の立小便は日常的に見られたようだ。
  私も幼い頃、岡山の田んぼのあぜ道で、のら仕事のおばさんが着物の裾をちょっとまくり、お尻を突き出して立ち小便する姿を見ていたので、男女の区別なく立小便を行なっていたと思う。となると性別だけで、固定した排尿姿勢を強要する言い方は好ましいだろうか。
  人は一生、女はしゃがみ、男は立小便ができる体位をとれるとはかぎらない。中腰、仰臥位、半座位、股を開いたままの体位、片足を上げたままの体位など……もろもろの姿勢で排泄をしなければならないことがあるかもしれない。

女の子には「しゃがんでした方が上手におしっこができるから、しゃがみましょう」、男の子には「立っておしっこをした方が楽にできるでしょう」というようにどうしてそうした体位をとるのかを考えさせるような育児態度が必要だと思う。日常生活上、排泄はあまりにも密着した行為なので、いざというときのためにも、まず固定した排泄行動の概念を捨て去るような教育をしてはどうだろう。

(※女子も使えるスタンド型小便器の写真あり)
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書名 トイレは笑う    歴史の裏側・古今東西
著者名 プラウニングOM
発行 TOTO出版:初版1990/3/12-第10刷1996/2/29
25  京のお嬢様の教養・立小便
P60
実は江戸っ子には珍しい立ち小便も江戸以外の地方では当たり前のことだった。江戸時代の後期に、考証家として知られる喜多村いん庭が『嬉遊笑覧』に、
「(女性が小便を)うずくまりてすることは今は江戸のみにや、そのほかは大かた立てするなり」
と証言している。
P61
ところで女の立ち小便は男と違い、便器のほうへ尻を向け、ちょっと前かがみになる。この基本体位は全国共通だが、手塚正夫の『臍下(せいか)たんでん』なる研究によると、着物の捲り方が東北と九州とでは違うそうな。
  九州では、着物をまくって尻を全部だし、前かがみになって、両手を膝の上に置く。かたや東北では、片手で着物を尻の上に捲り上げると、尻に手を置いたまま放尿する。尻は少し出すだけ。寒い地方だから、風にあたる面積を小さくしたのだろう。
  いずれにしても、尿を肥料として溜める農村では、女の立ち小便は必須の技術であり、マナーだったのである。
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書名 びっくり世界紀行   トイレの歩き方   密室でくりひろげられる、人にはいえないエピソード
著者名 トラベル情報研究会
発行 青春出版社:初版2000/11/20

第4章 小粋な落書き、すっきり青空トイレ  意外なバラエティにびっくり日本の巻
京女ははしたない?  かつて女性も立って用を足していた
P176
驚くことに昭和に入ってからも女性用立ち小便器があったのをご存知だろうか?女性のトイレはおしっこも個室で行なうから混むのであって、女性もおしっこ用のトイレを男性のように個室の外へ作れば混雑も減るに違いない、と思ったらしい。その便器はサニタリースタンドと呼ばれ、男性用の小便器とは違い、座るような格好でお尻を突き出して使用する。スカート(しかもフレアやギャザースカート)ならいざ知らず、ズボンならやはりお尻をペロンと出さなくてはいけない。しゃがむことに慣れており、しかもおしっこの音を聞かれるのさえ嫌がる女性たちが、画期的なメリットもなくいそんな新しい習慣を身に付けるわけがない。あっという間に姿を消していった。
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書名 トイレのなぞ  48
著者名 日本トイレ協会
発行 草土文化:初版2001/10/22

2 トイレの歴史
女の人も立ち小便していたってホント?
P40
ほんとうに、女性が立ち小便をしていたんだよ。「信じられな〜い!」という声が聞こえてきそうだけど、絵でわかるように、京都や農村では、女性が立ち小便をするのは、ごくあたりまえだったんだ。それも、道ばたにおかれていた桶にしていたよ。ただ、江戸(現在の東京)では、女性はしゃがんでいた絵がのこっている。同じ日本で、こんなところにもちがいがあったんだね。
P41 紀元前5世紀に、古代エジプトを旅したギリシャ人のヘロドトスという人は、エジプトの女性が立ち小便をし、反対に男性がしゃがんでしている姿を見て、びっくりしたという記録があるから、女性の立ち小便は日本だけではないわけ。だて、東京の国立競技場のトイレには、女性用の立ち小便器があるよ。世界各国からスポーツ選手が来るから、ちゃんと用意されているんだ。もっとも、最近では使われることはないようだけどね。
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書名 世界が見えてくる身近なもののはじまり 第2巻  トイレットペ−パ−
著者名 柴田智子
発行 PHP研究所:初版2000/8/24

世界にはこんなトイレもあります
コラム 女性用の「立ち小便」スタンドがあったってホント?
P35
  1938年、アメリカでナイロン製のストッキングが開発されました。女性用の立ち小便スタンドは、そのころヒットしたそうです。
  ヒザを曲げて腰をかける便器だと、当時のストッキングは伸びたり伝線しがちだったのですが、立って用を足せる小便器なら大丈夫、というわけなのです。男性とは逆に、小便器を背にして中腰でまたがるように立ち、使用しました。
  日本でも、TOTOが昭和26(1951)年に「サニスタンド」の名前で発売しています。しかし、日本では女性の立ち小便の習慣がなじまなかったので、昭和46(1971)年に生産中止になっています。

(※ TOTO提供「サニスタンド」の写真あり)
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