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考えるヒントのお蔵  人と自然の棚  第9番
沖縄の明日にかけるヤギ  支配を超えた食肉文化を

1 華やかに魚をさばく板前の影で


京都のとある女子校の校舎が、増築・改修工事によりピンク色に塗られました。それを見た生徒の一人が「学校つぶれたらラブホテルになるんちゃう」と言うと、別の一人が「ホテルにはならへんわ、防音がしっかりしてへんし」と答え、またある一人が「ロースハムみたいな色やな」と言うと別の一人が「ちゃうちゃうもっと安もんの魚肉ソーセージや」と言いました。

ラブホテルはさておいても、この魚肉ソーセージが引っかかりました。日本での主要なタンパク源は長らく魚介類であり、その加工品として蒲鉾や竹輪があります。一方西洋を中心とした肉食文化では牛や豚や羊からハムやソーセージが作られてきました。かつて「肉」が高級品だった頃、その代用品として作られたのが魚肉ソーセージだったはずです。

それが今では健康指向≠フ流れの中で魚が見直され、一時スーパーの片隅に隠れるように並べられていた魚肉ソーセージが表舞台に戻ってきたようでもあります。なんと世の中は広いもので「社団法人 日本魚肉ソーセージ協会」や「魚肉ソーセージ友の会」、はては「魚肉館」と称するサイトまであるのです。※社団法人 日本魚肉ソーセージ協会は2002年6月に解散され、日本缶詰協会魚肉ソーセージ部会となりました。

若い人でも「肉はおいしいけれど魚の方が体に良い」と思っている人は多いでしょうし、和風の高級料理と言った時、すき焼きやしゃぶしゃぶなどの肉の鍋料理より、カニやフグの鍋料理、さらには寿司や活け造りなどの魚の生食料理を挙げる人のほうが多いのではないでしょうか。

そうした魚と米と野菜がセットになって作られた和食文化の料理人であり、生きた魚を見事にさばく板前≠ヘ、文化的にも社会的にも高い地位が与えられています。そこまで大げさに言わなくとも、自分の仕事を人に話すことをためらう板前はいないでしょう。

ところが、生きた牛や豚を屠殺解体する屠夫や、ロースやバラやサーロインに切り分ける板場の職人に対する人々の見方はそれと異なり、当人たちも職人としての技術にプライドを持ちながら、それを公言することをはばかることがあるのはなぜでしょう。

人々の口をつく「屠殺」を「屠畜」と言い換え、なおかつ「屠」=〈と、ほふる〉という獣を殺してさばくことを表わす漢字を「残酷なイメージを与える」として公的に使われなくなっている事からも、人々の無知や歪められた比喩によって作られた偏見が今なお残っていることが窺えます。

近畿や九州などの西日本では明治以前から屠殺に関わった被差別部落の歴史があり、それが肉を扱う人々への差別と偏見を生み出してきた経緯があります。また今でこそ焼肉はどこの街角にもあるありふれた食文化ですが、「ホルモン(放るもの)」と呼ばれる内臓は枝肉とは別扱いされ、在日韓国朝鮮人の人々の食生活を支えてきた歴史があります。

2001年6月に創土社から出された「屠場文化 語られなかった世界」は、滋賀県近江八幡市の「近江八幡市営と畜場」を舞台に、そうした屠場や食肉文化の歴史を伝えた貴重な本です。

日本における食肉文化の歴史を探ることは日本の中のマイノリティの文化を知ることにもつながり、肉の中のマイノリティであるヤギ肉に注目することは、日本の文化を見つめ直し、新しい食文化の可能性を見出す視点を手に入れることになるに違いありません。


2 宗教ではなく支配のための肉食禁止

そもそも日本で獣の肉を食べることが罪悪とされた事の始まりは1300年前。聖徳太子の十七条憲法の制定によって仏教が国家的宗教とされ、「犬は夜勤めて吠え、鶏は暁を競いて鳴き、牛は田畑を耕し、馬は行軍を労し、又猿は人に類し、故に食わざると」という涅槃経の戒律をもとに、天武天皇4年(676)に殺生禁断の詔勅が出されたことに始まります。しかしそこで禁じられたのは牛・馬・犬・鶏・猿の肉だけでありイノシシや熊、キジなどはとわれていません。

その後もこうした肉食禁断令が繰り返し出されたことは、庶民にとって肉食はそれほど恐れるべき宗教上のタブーにはなっておらず、むしろ権力者にとっての牛馬が農耕・運輸・軍事上の重要な財産として意識されていたことを表わしていると考えられるでしょう。

その上、次のような歴史的経過をたどるほどに、肉食のタブー視が権力者の都合によって作られていたものであることを思わせます。
  1. 江戸時代には公には食肉を否定しつつも、武士階級は薬喰い≠ニ称して獣の肉を食べていた。
  2. 彦根藩では牛肉を「味噌漬け」や「粕漬け」にして将軍家などに献上していた。赤穂浪士で有名な大石良雄も江戸で待つ堀部弥兵衛に彦根産の牛の味噌漬けを送っている。
  3. 公的な肉食解禁は1870(明治2)年に日本海軍が牛肉を栄養食として採用したことによる。
  4. 1873(明治5)年1月24日に明治天皇自ら牛肉を食べて国民に肉食を促した。
  5. 同年の4月25日に僧侶の妻帯肉食が解禁された。
また生産の基本が米を中心とした農業にあった社会では、風水害や病虫害=天災による不作は何にも増して深刻な問題でした。そこで様々な神事が営まれを忌み嫌われるなかで、血や死をともなう屠殺や肉食は災いを誘う不浄や穢れとしてタブー視されていきます。

それは米の加工品である餅や酒を聖なる供物≠ニして神に捧げた米食文化と、獣の血や肉が神への捧げ物となった食肉文化との大きな違いです。
(参照:聖書の中のヤギさん

さらに耕作する田畑を持たず定住もしない鍛冶職人や牛馬を商う博労は「非常民」として蔑視されがちで、また死んだ牛馬の解体と皮革加工を手がけた被差別部落に対する差別は現在に至るまで長く続きました。その鍛冶皮革職人は武器や武具、馬具などの製造や補修に深く関わっていた人々でもあるのです。

豊臣秀吉が「伴天連(バテレン)追放令」を出したときも、徳川幕府がキリシタン弾圧をしたときも牛馬の売買も食肉も禁じたのは肉食文化が西洋文化と強く結びついていたからだといわれています。特に徳川幕府の野に肉食禁制は、仏教を幕府の体制に取り込み寺請制度による庶民を管理、身分や被差別民の固定化をはかる政策と深く結びついたものだったようです。

日本における食肉文化は支配者が作り出した「差別による支配構造」の中に組み込まれてきたといえるかもしれません。

しかし、こうした禁制をものともせず、食肉文化は地域や階層それぞれにしたたかかつ営々と引き継がれていったのも事実です。ウサギを鳥のように一羽二羽と数え、猪肉を「牡丹(ボタン)」、シカ肉を「紅葉(モミジ)」と呼び習わしてきたのもその表れです。ただ、馬肉を「」と呼ぶのはその肉の色からではなく、顧客をだまして物を買わせるサクラのように、馬肉を牛肉にみせかけて売ったことによるようです。


3 沖縄での食肉文化

これまで見てきた「日本」の食肉文化の歴史と異なり、沖縄では14、5世紀頃に中国から豚が入ってきてヤマトとは異なった食肉文化が花開いていきます。しかし、その豚は琉球王国が中国の属国として認められるために迎える「冊封使」をもてなすための宮廷料理の素材の一つであり、広く一般庶民の口に入ることはなかったようです。

それが、18世紀のはじめ、中国から移入され主食となったイモの皮が餌として利用し始め、一般家庭で意欲的に豚が飼われていきます。今はめったに見かけることがなくなった人糞も豚の餌にして飼う「フール」=豚便所は、琉球にとっての豚の重要性と親密性をよく示しているものでした。
(参照:「沖縄の豚と山羊 生活の中から」   /  「沖縄トイレ世替わり フ−ル(豚便所)から水洗まで」

しかし、沖縄における肉のマジョリティーと言える豚肉ですが、1950年代まで一般庶民にとっての豚肉は、盆や正月、結婚式や家の新築などの大きな祝祭日にしか食べられない特別な料理であり、高級品でした。

それに対して山羊肉は、日常的にも薬膳として利用され、農繁期の滋養強壮食、親類縁者の親睦・懇親会、小さな祭りや集まりなど個人や地域レベルの祭りで主に鍋料理として親しまれ、屠殺も各家庭で行なわれていました。

ただ、山羊が日本に渡来した時期や経路ははっきりしておらず(このことからも山羊がマイノリティであることが分かります)、西暦700〜800年頃に中国や韓国、あるいは東南アジアから沖縄県、長崎県、鹿児島県等の九州南西部に肉用の小型山羊が伝えられ、それが現在の日本在来種(トカラ山羊、シバ山羊など)の先祖となったと考えられているようです。

こうして素性の知れないまま人々の生活に深く静かに抜き差しならない食材として入り込んでいった琉球の山羊≠ノついて、社会学者の河村只雄氏は1939(昭和14)年に創元社より刊行された『南方文化の探究』(現 講談社学術文庫『南方文化の探究』第1章第15節ヤギの哀歌)で特別にページを割き、次のように綴っています。
「奥の細道で一番私の注意をひいたものは、山辺のあるいは路傍の山羊小屋である。どこに行ってもあの寂しげな、ひげをはやした山羊のメーメーなく声が聞こえる。(中略)

憩おうにも憩うべき家もない。夕闇の中からは嘲るような、訴えるような山羊の哀歌が洩れてくる。今の自分の心の姿を歌っているようである。何という淋しい声であろう!なんという哀れな声であろう!人なき夜道で闇の中からもれてくるあのあの哀調を帯びた鳴き声は、あたかもあの世からの使いの声の用に響く。こんな時には誰でもよいからせめて道連れでもあってくれたら!」

またそうした心情とともに1930(昭和5)年の統計(表1)を示し、「山羊はひとり国頭地方のみならず全県下至る所、畜産の王座を占めている。少なくとも頭数の上からはそういえる。琉球では豚の飼育も全国一盛んであるが、山羊には遥かに及ばない」とし、さらに「山羊のミルク製品、肉製品、毛皮製品等は、その指導よろしきを得るならば、おそらく琉球の将来を明るくする大いなる財源となり得ることであろう」と指摘しています。

  表1   1930年の頭数 人口1000に対する比率
全国 沖縄 全国 沖縄
74,2311頭 120,499頭 11.61 211.27
山羊 21,7189頭 139,917頭 3.37 244.41


こうした河村只雄氏の指摘から70余年が過ぎた現在、世界中で飼われている山羊の数は約7億頭(1998年)で、年々増加しているそうです。その95%はアジア、アフリカ及び南アメリカに分布しており、アジアでは、中国、インド、パキスタン、バングラディッシュ、イランの順に頭数が多いそうです。にもかかわらず、沖縄の山羊は、その数を10分の1にまで減らしてしまいました。

しかし一方で、1995年においても飼育戸数は肉用牛に次いで多いのも事実です。これは、乳牛・豚・ブロイラーなどが近代的な飼育設備で工業的に飼養されているのに対し、山羊は農家の庭先でまさに「家畜」として飼育されていることを示しています。(表2参照)

  表2  沖縄県主要家畜の飼養頭羽数及び飼養戸数
年次/(頭羽数) 肉 用 牛 乳 用 牛 採 卵 鶏 ブロイラー やぎ
1975 (S50) 34,400 2,420 221,000 1,381 415 4,290 42,300
1985 (S60) 43,000 8,610 295,200 1,479 560 1,120 25,300
1995 (H 7) 64,500 9,020 293,300 1,302 660 760 14,400
1998 (H10) 74,600 8,620 297,300 1,286 606
年次/(戸 数) 肉 用 牛 乳 用 牛 採 卵 鶏 ブロイラー やぎ
1975 (S50) 7,070 180 9,780 1,950 94 4,010 10,500
1985 (S60) 5,080 210 2,330 530 34 780 5,610
1995 (H 7) 3,930 170 700 140 17 180 2,520
1998 (H10) 3,610 160 590 110 19
資料:「 畜産基本調査 」
注: 1) 採卵鶏の飼養羽数は種鶏を除く。また、飼養戸数は種鶏のみの飼養者を除く。
      2) 採卵鶏の平成3年以降は、成鶏めす300羽未満の飼養者を除く。
      3) 畜産基本調査は、昭和55年は調査を行っていない。
(沖縄県 沖縄県 農業関係統計  / 主要家畜の飼養頭羽数及び飼養戸数 より)


また沖縄における山羊肉の需要は沖縄での生産を上回っており、不足分は本州のザーネン種を移入し、また海外からも輸入されている。ただ、沖縄での山羊の屠殺頭数は21世紀にはいってからの6年間で半数まで減少しています。(表3参照)

  表3  沖縄県 家畜の種類別屠殺頭数及び枝肉量kg
山羊
頭 数 枝 肉 量 頭数 枝 肉 量 頭 数 枝 肉 量 頭 数 枝 肉 量
平成 3 年 3,483 1,158,604 45 12,429 493,950 37,007,431 4,358 99,199
平成 4 年 5,159 1,781,838 90 23,944 485,844 36,611,978 5,216 130,578
平成 5 年 8,543 2,955,367 108 29,290 482,370 36,312,137 5,092 136,874
平成 6 年 6,931 2,311,892 217 60,279 483,970 36,436,332 4,625 123,868
平成 7 年 6,035 2,082,894 294 84,022 486,885 37,045,786 3,754 89,739
平成 8 年 4,806 1,612,208 369 104,912 483,549 36,987,099 3,932 87,673
平成 9 年 5,147 1,808,315 347 99,477 486,739 37,724,176 4,001 90,834
平成 10 年 5,477 1,882,287 298 83,883 462,701 35,701,064 3,849 89,399
平成 11 年 6,072 2,164,336 225 60,506 444,172 34,685,195 4,129 103,594
平成 12 年 5,418 1,929,762 225 58,353 439,561 34,119,894 4,567 121,387
平成 13 年 4,345 1,609,545 211 58,582 425,538 33,589,088 3,682 98,460
平成 14 年 3,947 1,363,252 205 56,390 398,791 31,050,639 2,613 63,174
平成 15 年 3,307 1,171,976 202 56,249 370,705 29,161,170 2,190 55,364
平成 16 年 3,484 1,203,432 284 70,041 356,670 28,514,027 1,956 46,604
平成 17 年 3,753 1,339,210 198 54,098 329,886 25,911,140 1,990 45,463
平成 18 年 3,655 1,333,624 130 33,370 326,060 25,473,986 1,691 41,472
資料:県福祉保健部薬務衛生課
(沖縄県 沖縄県 統計資料閲覧室 / Digital 沖縄の統計 / 家畜の種類別屠殺頭数及び枝肉量 より


一方、沖縄県内で消費されているヤギ肉の6割がオーストラリアからの輸入肉だという実態を1996年11月2日付の琉球新報は次のように報じています。

 http://www.ryukyushimpo.co.jp/news/961102je.htm

県内で消費されるヤギの約6割はオーストラリア産

ヤギ好きのあなた、どこ産のヤギを食べているか知っていますか。県内で消費されているヤギ肉の約6割はオーストラリアからの輸入であることが、このほど沖縄地区税関の調べで分かった。また国内に輸入されるヤギ肉のほとんどは県内向け。ヤギ好きの県民を数字で裏付けた格好だ。ただ、95年は県民1人当たりに勘定すると197グラム食べたことになるというが、ほかの肉に比べると少なく、「ヘルシー志向や若年層の食習慣の変化を考えると、今後の需要増は期待できず、横ばい状態が続く」と同税関は悲観的な見通しだ。

同税関によると、県内でのヤギ飼養頭数は1979年までは3万頭で推移していたものの、86年までに2万頭台になり、95年には10年前(85年)より42%も減り、1万4000頭台まで落ち込んだ。飼養戸数も75年には約9300戸あったが、95年には2300戸にまで激減している。これらを裏付けるように、県内での枝肉重量は94年度の114・7トンから95年度は85・6トンと大幅に減った。

その不足分を補うため安定供給され、価格面でもメリットがあるオーストラリアから輸入。95年には154トンと全国の89%が県内に輸入された。県内市場での取引量は年間250トンと推定されているため、この輸入量は取引き全体の六割を占める。ちなみに94年まで他府県では輸入実績はない。

また県内で製造されているヤギ汁のレトルトパックは年間8万3000食分出荷されており、うち1割ほどは本土で販売されているという。

同地区税関は、県内農家の飼養頭数は10頭未満が9割近くに上り、さらに豚や牛に比べ飼育期間が長いため、需要を満たすには移入や輸入に頼らざるを得ないと見ている。合わせて食習慣の変化もあり「業界は、今後の需要増は期待できないと予測している」と話した。



上述の肉用山羊の状況に対して、沖縄の乳用山羊は牛乳に押されて衰退の一途をたどり、渡嘉敷綏宝氏の『沖縄の山羊』(那覇出版社)によれば、1980年時点で乳用山羊はわずか47頭に過ぎないとされています。

山羊の将来を沖縄という文化圏だけに限って考えるならば、小型の在来種を中心にした小型肉用山羊を肥育し、皮付きの刺身用高級山羊肉を生産することが利益率を高めるように思われるでしょう。また、島袋正敏氏が『沖縄の豚と山羊』(ひるぎ社)で触れているようにインドネシアやバリ島で飼われている大型の肉用山羊を移入することで、生産性を高めることも考えられます。


こうした山羊の利用も含め、山羊の歴史と現状をまとめた貴重なレポートに
社団法人日本緬羊協会さんの報告書山羊生産物利用実態調査報告書」(報告担当者:鹿児島大学農学部中西良孝・萬田正治、宮崎大学農学部河原聡、琉球大学農学部新城明久、JAみなみ信州みなみ地域事業本部北澤由次の各氏)があり、その一部はWEB上で公開されています。

これは長野県下伊那と沖縄県を中心に日本国内の山羊肉の生産や利用の実態が詳細にまとめられたものですが、沖縄の山羊の屠殺方法や地域による山羊料理の違いにも触れられた
沖縄県における山羊肉利用の経緯と現状は、山羊と沖縄の未来に興味をお持ちの方にとっては必読レポートといえます。


私たちの口に入る牛も豚もブロイラーのほとんどはアメリカを中心とした世界の農畜産物メジャーの支配の元で管理されているのが実情です。だからこそ、開発途上の国々や先進国の零細農民の土地と汗を搾取しつつ環境破壊をもたらして肥え太る資本主義のゆがみや圧力から、少しでも逃れたところで安心して暮らしたい。

そして貧者の牛≠ニ呼ばれたヤギを通じて世界中のマイノリティが手を結び、地球上の誰もが命の糧を得られる世界を作りたい。

そんな願いを実現する手がかりをともに見つけていきませんか?

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