アイヌは『土人』だというのはホントでしょうか |
違います。アイヌは、多民族国家日本の中の一民族であり、北海道の先住民族です。 明治政府は、1899年「北海道旧土人保護法」を定め、アイヌ民族を「土人」扱いし、「和人」への同化政策を取りました。それは、アイヌ民族を「保護」するものではなく、アイヌ固有の文化(言語、宗教、生活様式などの一切)を踏みにじるもので、「国益」を保護するものでした。 それから約100年後の1997年7月、アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律が定められ、法律上は「土人」されなくなりました。この事は、「日本国」は単一民族国家ではなく、固有の文化を持った複数の民族が共存する「多民族国家」であるという法的な裏付けの一つが、不十分ながらもできたことを意味します。 しかし、互いを人として理解し尊重し合う関係を作り、アイヌ民族自身が誇りを持って生きて行くいく道が、新たにスタートしたに過ぎません。 アイヌ民族を身近に「知る」人の中には、これまでの偏見や差別意識を引きずったままの人もいます。それは「和人」(大和民族とそれに類する人々)に限らず、同じく民族差別を受けている在日外国人や、アイヌ自身の中にすらあります。 その一方、アイヌ民族を「知らない」人たちは、その差別(人権侵害)の歴史や、現実を知る機会が極めて限られています。 アイヌ民族の文化は国境を越えて、ロシアやカナダ、北極圏を経て北欧とも繋がっています。江戸時代の「北前船」により、秋田・佐渡を経て一方では大阪、京都、もう一方では、沖縄・石垣を経て台湾にまで繋がっています。大阪名物の昆布の佃煮、今日と名物のにしんそばや棒だら。沖縄の昆布消費量が今でも全国有数であることも、こうした歴史の名残です。(「ちくまプリマーブックス/続・日本の歴史をよみなおす」) また、京都の西陣織は、アイヌが中国北部から輸入した「蝦夷錦」に影響を受けたといわれ、歌舞伎の衣装や俳句にも、アイヌの文化が描かれています。 しかし、それはアイヌ文化を尊重したものというより、多くは松前藩がアイヌを支配し、明治政府が文化を破壊していった、アイヌ迫害の歴史そのものでもあります。それは、江戸の薩摩藩が琉球王国(沖縄・八重山諸島)を支配し、明治政府が琉球文化を破壊していった経過とほぼ重なります。 琉球では、少女が大人になる時期に、手に入れ墨をする風習がありましたが、同化政策の中で、それは否定され恥ずべき風習とされました。アイヌが言葉を奪われたと同様に、琉球の言葉は忌むべき「方言」とされ、学校教育の中で否定されていきました。(「沖縄人物叢書/時代を彩った女たち 近代沖縄女性史」) アイヌ民族に関わる問題は、日本社会が今も抱える様々な問題、被差別部落・在日外国人・従軍慰安婦・琉球と沖縄・北方領土といった人権や平和や政治の問題だけでなく、森や水を守る自然保護の問題とも関わっています。 アイヌ固有の文化を尊重することは、私たちが住んでいる地域の文化や生活そのものを守ることでもあります。アイヌ民族一人一人が誇りを持って生きていけるような社会を作ることが、私たちの周りから、いじめや性暴力を減らしていくことにも繋がります。 それに、気付き、あるいはそう信じて行動することが、ヒトがヒトらしく生きていける世の中を作っていくことに繋がるのではないでしょうか。 まずは正しく知ることから始めてみませんか? |
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