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祇園祭と女人禁制の特集

N176 伝統習俗の小部屋
紹介記事目録
特集  祇園祭と女人禁制 はこちらから
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※ メモは記事の要約と管理人の覚え書きです。 記事に関する注意事項をこちらでご覧ください







京都
2001/07/14
朝刊 30
No .N176k010714m30





シリーズ・特集;2001最前線  表うら
見出し:
山鉾巡行に女性囃子方/亀裂避けた容認方針/連合会理事長  32基勢揃い、優先/「参加拒む論理ない」
メモ :
今年は、南観音山と函谷鉾の女性囃子方が晴れて動く山鉾に乗る。なぜ江戸時代以来の「女人禁制」の伝統が破られ、「女性容認」となったのか。

発端は2001年3月上旬、祇園祭への参加を目指す「平成女鉾」の囃子方が京都市内で開いた学習会にさかのぼる。
南観音山の囃子方からの「女鉾の参加を拒むのは、女性差別ではなく、鉾に伝統がないから。現にうちの山では、女性を乗せて巡行している」という発言に、会場にいた祇園祭山鉾連合会の深見理事長は驚いた。女性の巡行参加が公言されたのは初めてだった。

深見理事長は4月中旬、南観音山保存会の酒井栄一理事長に「今年は女性の参加を控えてほしい」と申し入れた。酒井理事長は「配慮はする」と答えたが祭りが近づいても妥協の姿勢は見えなかった。
昨年まで女性の囃子方が巡行の際に鉾の横を歩いてきた、函谷鉾保存会の岡本信男理事長も「女人禁制の時代でない」と言い切った。
連合会幹部らは「連合会としてこの問題に白黒をつけようと討議すれば『いやなら出て行け』といった事態を招き、亀裂は広がる。対立も長引く」とみた。

連合会は、個性を競い合ってきた各山鉾町の緩やかな連合体。前祭りと後祭りが統合された1966年には、鈴鹿山が反発して巡行を取りやめた苦い歴史がある。「32基の山鉾がそろって巡行できなければ伝統行事を守れなくなる」と深見理事長は懸念した。

日本相撲協会や大峰山のように女人禁制をめぐって批判を浴びたり、内部の対立が表面化すれば祭りのイメージに傷がつく。「みんなが楽しくやってこそ祭り」との思いもあった。
女性があらゆる分野に進出し、性別役割分担が否定される時代に祭りが無縁であり続けられる見通しは「稲」だった。
別の連合会幹部も「今は女性の参加を拒む論理のない時代だ」と語った。

現在巡行参加を明らかにしているのは南観音山と函谷鉾の5人。連合会幹部には女人禁制を解いても巡行に参加する女性は急増せず、祭りが大きく変わることはないとの読みもあった。

深見理事長は将来の方向も見据えたうえで、「理事長判断」と言う異例の形で議論を避け、各山鉾町に女性参加の判断をゆだね、連合会内部の亀裂の芽を摘んだ。

深見理事長は「女性の参加について議論すれば、32山鉾町が割れる。ソフトランディング(軟着陸)を図ったのです」と記者会見で強調した。


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京都
2001/07/13

No .N176k010713m30
京都市



祇園祭山鉾連合会/函谷鉾/森葉子
シリーズ・特集;祇園祭2001
見出し:
函谷鉾巡行に/3姉妹囃子方
メモ :
祇園祭の函谷鉾保存会は2001年7月12日、17日の山鉾巡行で女子の囃子方3人を鉾に乗せることを祇園祭山鉾連合会に届け出て了承された。
昨年まで巡行の際に鉾の横を歩いていた3人は、始めて鉾に乗って巡行する。女性の巡行参加を決めた山鉾は、南観音山に続いて二つ目。

3人は京都市伏見区深草の森洋子さん(20)=滋賀大2年、由貴子さん(16)=鳥羽高校2年、香奈子さん(14)=深草中学2年の姉妹で、いずれも鉦(かね)をたたく役。父の幹雄さんが囃子方で、葉子さんと由貴子さんは1993年、香奈子さんは1996年から囃子方会に入っている。
函谷鉾保存会はこれまで女性の巡行参加を禁止する山鉾連合会の方針に配慮して、3人が鉾に乗るのは宵山までとしてきた。

森葉子さん
「女性参加容認の報道に、もしかしたらと思ったが、まさか本当に出られるとは、続けてきたかいがあった」

函谷鉾保存会の岡本信男理事長
「女性参加は時代の趨勢。ニ、三十年前から考えていたことがやっと実現した」

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京都
2001/07/10
夕刊 5
No .N176k010710e5




吉沢健吉
シリーズ・特集; 灯
見出し:
女人禁制
メモ :
祇園山鉾巡行に、今年から女性の参加が容認されたというニュースに、宗教担当記者だった8年前に書いた記事を思い出した。

  江戸初期の元和元(1615)年ごろの作とされる「洛中洛外図屏風」を調査していた京都歴史博物資料館が、巡行の鉾の上に多数の女性が乗っている姿を初めて確認したという記事である。

  注目の絵は四条通を巡行する鉾の上で、鉾上のじつに半数以上が女性。和服姿の髪の長い女性が鉦や太鼓をたたいていたり、笛を吹いていたりした。先頭を行く長刀鉾らしい鉾の上にも女性の姿が見られた。

  山鉾巡行で女人禁制が行われたのは、祇園祭1100年の歴史の中で江戸中期以降というのが定説。儒教思想や女性を不浄と見る思想が広まってからといわれる。300年に渡って女人禁制が続いたわけだから、それもひとつの伝統といえるかもしれない。

  ただ、祇園祭は過去、前祭りと後祭りの山鉾巡行を17日に統一したり、巡行コースを松原通から御池通りに変更、曳山に車輪をつけて巡行するなど、時代の変遷に合わせてたくましく変化してきた経過がある。そのたびに伝統か革新かと論議を呼んできた。
  (後略)

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京都
2001/07/07
朝刊 1
No .N176k010707m1
京都市/中京区



北川稔子/榊奈緒美
シリーズ・特集;祇園祭2001
見出し:
晴れて響かす鉦の音/南観音山の女性囃子方
メモ :
今年の祇園祭山鉾巡行に参加を容認された南観音山の女性囃子方二人が記者会見した。女人禁制のない囃子方会で育ったことを「(女性が参加できる)この町に生まれてよかった」などと喜びを語ったが、自分たちが今年突然注目を集めたのに戸惑い気味。

南観音山の町内に住む立命館大学1年の北川稔子さん(18)は、3歳の頃から囃子の練習を見に通った。ばちで座布団をたたく熱心な姿に1992年囃子方会への入会を勧められ、1994年から巡行の山に乗った。

南区の洛南中学2年榊奈緒美さん(13)は、父、兄、弟が囃子方。練習に付いていくうち、1997年に「楽しそう」と入会し、同年から山に乗った。

北川さんと榊さん
「ごく自然に参加してきたので、いつも通り楽しく巡行に参加したい」
「他の鉾は他の鉾だが、私たちのように自然に参加できるようになったら」


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京都
2001/07/06
朝刊 30
No .N176k010706m30
京都市
洛南中学校2年

13
祇園祭山鉾連合会/南観音山/榊奈緒美
シリーズ・特集;
見出し:
女性囃子方を了承/山鉾巡行で祇園祭理事長/南観音山で2人
メモ :
祇園祭の南観音山保存会(酒井栄一理事長)は2001年7月5日、2001年の山鉾巡行で女性の囃子方二人を山に乗せることを祇園山鉾連合会に伝えた。同連合会の深見茂理事長は了承し、「容認」の第一号と第二号が決った。

巡行で山に乗るのは立命館大学1年の北側稔子さん(20)と洛南中学校2年生の榊奈緒美さん(13)。二人の父親はそれぞれ南観音山の囃子や運営に長年携わっており、女性たちも幼いころから囃子を練習している。

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朝日
2001/07/06
朝刊 34
No .N176a010706m34
京都市



祇園祭山鉾連合会
シリーズ・特集;
見出し:
祇園祭  女性参加に『届け出制』/女人禁制の山鉾巡行/実態は既成事実化  「変化に合わせる」
メモ :
重要無形民俗文化財にしていされている祇園祭の山鉾巡行で、囃子方に女性を加える場合に、事前の届け出が求められることになった。「女人禁制」は過去の話。女性参加が既成事実化している実態に合わせた運営が狙いという。

事前届け出制は山鉾連合会の深見茂理事長が2001年6月29日に、山や鉾を出す町内会に口頭で指示した。参加させる場合でも、女子は男性と同様の浴衣や法被を着用するよう求めた。

巡行に加わる山の一つ「南観音山」の保存会は2001年7月5日、女子大生ら2人の巡行参加を届けた。南観音山では数年前から巡行の際に女性の囃子方が乗っていた。また函谷(かんこ)鉾も巡行前日の宵山までは女性の囃子方を鉾の上に乗せていた。

深見理事長
「女性参加の是非を議論すれば、連合内部が分裂する。社会の変化に合わせた対応をしたい」

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京都
2001/07/05
朝刊 5
No .N176k010705m5
京都市



京都新聞社
シリーズ・特集; 社説
見出し:
祇園祭と女性/巡行参加は時代の要請
メモ :
長年、女人禁制とされてきた山鉾巡行への女性の参加が晴れて容認された。女性の参加はこれまで各山鉾町で意見に相違があったが、32基の山鉾が、混乱を避け一致結束して祭に取り組もうとの英断だ。

女人禁制の風習は今や大相撲や山岳の特定場所への立ち入りなど、ごくわずか残るばかりだ。男女共同参画社会の21世紀、初年度にふさわしい祇園祭関係者の決断に拍手し、山鉾町の町衆の新しい息吹に期待したい。

容認の方針は先月末の祇園祭山鉾連合会の会合で深見理事長が示した。「議論をすれば山鉾町が割れる。賛否は明確にしない」とした上で、「社会が変わってきた。女性を受け入れる山鉾町は連合会に届け出てほしい」と述べた。女性の参加分野も特に限定されず、同席した各山鉾町関係者から反論もなかったとされる。きのう4日には南観音山が容認第一号として届け出ることを決めている。

祇園祭では女性は裏方で、ちまき売りや接待役を務めてきた。山鉾巡行の際には、離れて歩道を歩くことを求められた。伝統に厳格な長刀鉾、放下鉾、北観音山などは現在も女性は一切、山鉾に上げていない。だが山鉾町の住環境などは近年、大きく変わっている。ビル街となって住民は姿を消し、マンションには新しい住民が移ってきた。女人禁制への意識は時代とともに薄らいでいる。保存会には女性役員も登場した。囃子方を女性に開放し、養成に力を注ぐ函谷鉾のケースもある。戦後初めて女性を鉾に上げ「民主鉾」と言われた函谷鉾では1993年から宵山に限り囃子方の女性を鉾上に乗せてきた。そこで育った女性の囃子方が組織した「平成女鉾」は巡行への参加は認められていないが、京都駅ビルなどで演奏し、祇園祭を盛り上げる力として大きく寄与している。

南観音山は数年前から女性の囃子方を乗せて巡行してきた。隠したわけではないが山鉾連合会からは自粛勧告≠受けていた。今回の女人禁制の解除はこうした努力の積み重ねの結果だ。時代の変化を受けた要請でもあった。

女人禁制の背景には、女性には出産のけがれがあるとの迷信がある。国の重要無形民俗文化財指定を受けた日本三大祭りの一つとして海外の観光客も引き付けている祇園祭。江戸初期には女人禁制ではなかった。300年以上に渡り男性が晴れ舞台として独占してきた祇園祭。今回の女性の山鉾巡行への参加容認を機会に新しい在り方への議論を始めるときが来たようだ。

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京都
2001/07/03
朝刊 26
No .N176k010703m26
京都市



函谷鉾
シリーズ・特集;祇園祭2001
見出し:
姉妹で囃子  函谷鉾  夢へ一歩/巡行の女性参加/「理事長決定」に疑問も
メモ :
祇園山鉾連合会の深見理事長による山鉾巡行女性参加容認の方針に、囃子方の女性たちからは歓迎の声が上がった。一方、各山鉾町代表への説明では、方針に理解を示した山鉾町もあったが「こんな重要なことを、理事長権限で決めてもらっては困る」との意見も出たという。

女性参加容認に、囃子方の門戸を女性に開いている函谷鉾では、姉妹で鉦(かね)をたたく高校2年生の森由貴子さんは「みんなが乗って巡行できるようになったらいいな」と喜んだ。
小学校3年生だった1993年から練習し続けて8年。囃子方の父幹雄さん(54)も動く鉾に乗って演奏するのは、幼きころからの夢だった。

幹雄さん
「娘達にも同じ喜びを味あわせてやりたい。囃子方の子どもも、半分は女性。同じ思いを抱く親は多いはず」「ここまで動いてきたのはみなさんのおかげ」

女性の作事方が鉾建てに携わっている船鉾の代表者
「今まで通り(巡行には女性の受け入れは)しません」

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京都
2001/07/02
夕刊 10
No .N176k010702e10
京都市



文化庁
シリーズ・特集;
見出し:
女性参加容認の祇園祭・山鉾巡行/重要無形民俗文化財/文化庁「指定解除ない」/府「見守る」
メモ :
祇園祭・山鉾巡行への女性参加容認の方針を打ち出した。山鉾連合会の深見茂理事長は、容認が苦渋の選択だったことを改めて明らかにした。
一方、文化庁で民俗文化財を担当する大島暁雄文化財調査官は、祇園祭が1979年に重要無形民俗文化財に指定されたときに、理由には多彩な行事や各地の祭礼行事に与えた影響が挙げられ、参加者の性別には触れていないことを指摘した。

深見理事長
「女性の参加を議論すれば山鉾町が割れる。議論はしない」「もめて巡行に影響が出るのを避ける為、理事長として便宜的に女性の参加を認めた」

大島暁雄文化財調査官
「女性が参加したからと言って、指定が解除されることはない」「祭は参加する人が変われば何かが変わっていくもの」「山鉾町の人達が認め、行事のスケジュールや心意気に大きな影響を及ぼさなければ、現状変更は認められる」

京都府文化財保護課の杉原和雄課長
「祭は時代に対応して変化する。祇園祭も変遷してきた」「女性参加の是非は、祭を担う山鉾連合会が判断すべき事」

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京都
2001/07/02
朝刊 27
No .N176k010702m27
京都市



祇園山鉾連合会
シリーズ・特集;
見出し:
賛否渦巻く山鉾町/山鉾巡行  女性に開放/伝統固持の姿勢も/女性の囃子方巡行の南観音山  性別より技術主張
メモ :
山鉾巡行での女性の参加容認の方針に対し、「時代の流れ」と見る山鉾もある一方で、女人禁制の伝統を重んじるところもあり、今後議論はさらに広がりそうだ。

数年前から女性の囃子方を乗せて巡行しており、自粛勧告を受けていた南観音山(京都市中京区新町通り錦小路上ル)保存会の酒井栄一理事長
「囃子方を例に挙げれば、性別より当事者の努力や技術、協調性を材料に巡行に参加させるか判断すべきだ」

1993年から宵山に限って囃子方の女性を鉾上乗せている函谷(かんこ)鉾(下京区四条通烏丸西入ル)は、今年初めて平成女鉾の囃子方で作る「清音会」には「吉符入り」に参加してもらった。
函谷鉾保存会の桜井忠広参事
「女性だからだめという時代ではない。山鉾町内には賛否両論あるだろうが、自然に女性の参加が進むだろう」

長刀鉾や放下鉾、北観音山のように現在も一切、女性を山鉾に上げず「女人禁制」を守り続けているところもある。

北観音山(中京区新町通六角下ル)保存会の奥村久嗣常務理事
「囃子にしても現在の形で無形文化財指定を受けている」
と伝統を守る姿勢を崩さない。

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京都
2001/07/02
朝刊 26
No .N176k010702m26
京都



米山俊直・脇田靖子
シリーズ・特集;
見出し:
識者に聞く/時の勢い/昔は女性も
メモ :
長く女人禁制とされてきた祇園祭山鉾巡行に女性参加が容認された様々な角度から祭を見つめてきた学者に、この画期的な方針転換の意義を聞いた。

祭りは変化
米山俊直・大手前大学学長(文化人類学)
「今の時代は、雇用機会均等や男女共同参画など男女の同権がいわれ、祇園祭の表舞台に女性が登場するのは避けられない傾向だろう。
鉾の引き綱をまたぐと怒鳴ったりするところもあり、女性の参加には反論もあるだろうが、時の勢いは女性の方を向いている。今までは裏方さんだたが最近はJR京都駅構内に女鉾を建て、お囃子もしている。

女性パワーの、文化財の保存上昔の通りにしてなければならないところは自制しなければならないだろうが、女性が参加することで、簡単に祇園祭が衰えたりはしない。戦後も、前の祭と後の祭りを統合したように祭りは変化している。町の人達に続ける心意気があるので祇園祭は不滅だ。

排除は迷信
脇田靖子・滋賀大教授(日本中世史)
「祇園祭は、もともと女性を排除しない祭りだった。江戸時代初めまでは、女性が鉾に乗っていたことが屏風の絵ではっきり分かっている。平安時代も御輿(みこし)渡御には巫女(みこ)が馬上で付き添った。女人禁制には出産の血の穢(けが)れがあると言う考えが江戸中期に庶民にまで広まったために起こったことで、迷信だ。

その点、「女性の参加容認」は当然で、祭りは老若男女が参加してこそ祭りであり、今の世の中に女に限らず何かを排除するということはおかしい。各山鉾に女を乗せるのもいいし、女の鉾も巡行に受け入れたらいい。


管理人:関連図書
       中公新書/祇園祭  都市人類学ことはじめ/米山俊直
             中公新書/中世京都と祇園祭  疫神と都市の生活/脇田晴子


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京都
2001/07/02
朝刊 1
No .N176k010702m1
京都市



祇園祭連合会
シリーズ・特集;
見出し:
山鉾巡行  女性に開放/祇園祭連合会/理事長が容認方針/江戸時代以来  分野限定せず
メモ :
祇園祭は江戸時代から300年以上男性が晴れ舞台を独占してきたが、祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長は、女性の参加復活という画期的な転換をすることを容認した。祇園祭は国の重要無形民俗文化財に指定されているため、同連合会は各山鉾町からの届け出をまとめ、文化庁に女性の参加を報告する方針。

江戸初期までは大勢の女性が鉾に乗って巡行していたことが屏風絵などから明らかになっている。しかし、その後表舞台から女性を排除するようになり、鉾の拝観すら認めない鉾もあり、女性はちまき売りなど裏方を務めてきた。
巡行でも男性の職人や指導者が万一に備えて付き添うのに対し、女性は女人禁制の方針から歩道を歩いていた。
ところが近年、女性の社会進出とともに囃子方として乗せる山鉾があったり、鉾建てや踊りの指導などにも女性が進出している。

深見理事長
「(女性の巡行参加について)議論をすれば山鉾町が割れる、賛否は明確にしない」「社会が変わってきた。女性を受け入れる山鉾町は連合会に届けてほしい」「祭の様式に変更がないよう願いたい」


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毎日
2001/07/02
夕刊 8
No .N176m010702e8
京都市



祇園山鉾連合会
シリーズ・特集;
見出し:
300年禁制の祇園祭山鉾巡行/女性参加容認へ/理事長方針
メモ :
祇園祭山鉾連合会の深見茂理事長(67)は2001年7月2日、約300年間女人禁制だった山鉾巡行に、今年から女性の参加を認める方針を明らかにした。
祇園祭は国の重要無形民俗文化財に指定されており、近く文化庁に報告する。

祇園祭は、江戸時代初期までは女性が鉾に乗って巡行している姿が屏風絵などに描かれているが、その後排除されたという。囃子方だけでなく女子観光客を乗せることを拒み続けている鉾がある一方で、南観音山が数年前から巡行の際に女性の囃子方を乗せるなど鉾によって足並みが乱れていた。

深見理事長が6月29日の会合で女性容認を関係者に打診。男性と同じ法被着用を求めたが、鉾内での女性の役割については限定しない方針を示した。各山鉾町の関係者から反対の声はなかったというが、今後、鉾によって対応にはばらつきが生じるとみられる。

半世紀前から女性観光客を鉾に乗せ、約10年前から囃子方で女性参加を認めている函谷鉾保存会の岡本信夫理事長(80)
「結構なこと。女人禁制の伝統といってもここ数百年のこと。女性の神様をまつる鉾もあり、女だ男だと区別するのは妙な話しだ」

脇田晴子・滋賀県立大学教授
「江戸時代初期の絵には鉾に乗っている女性が描かれており、御輿渡御も巫女がいないと始まらない。祭からの女子排除は、女性に穢れがあるという迷信が江戸中期に庶民に広がり、それを引きずってきただけ。女性参加は当然のことで、女だけの鉾も受け入れたらいい」


管理人:関連図書中公新書/中世京都と祇園祭  疫神と都市の生活/脇田晴子


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京都
2001/06/28
朝刊 30
No .N176k010628m30
京都市



祇園祭花傘連合会
シリーズ・特集;
見出し:
「平成女鉾」今年も認めず/祇園祭花傘連合会
メモ :
祇園祭花傘連合会(石橋武夫会長)は2001年6月27日、京都市東山区の八坂神社で代表者会議の総会を開き、「平成女鉾」の囃子方の巡行参加を今年も認めないことを決めた。

平成女鉾は、女性や財界関係者が呼びかけて1996年に完成。祇園祭への参加を目指しており、今年も5月中旬に参加の希望を伝えた。
しかし、祇園山鉾連合会は「平成女鉾のお囃子は本来の祇園囃子とは違う」と反対し、5年連続で参加を認められないことになった。

平成女鉾は6月29日にJR京都駅ビル内に組み立てられ、7月7、8の両日、女性の囃子方で作る「清音会(きよねかい)」がお囃子を演奏する予定。

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京都
2001/06/27
夕刊 8
No .N176k010627e8
京都市



祇園祭山鉾連合会
シリーズ・特集;
見出し:
女性囃子方  だめなの?/南観音山へ「今回は配慮を」  祇園祭連合会/長らく女人禁制  復活・解放に困惑/多くの山鉾町
メモ :
表舞台を長らく女人禁制にしてきた祇園祭で、鉾の上に女性の囃子方の姿が見られるようになっている。江戸期までは女性の囃子方がいたと見られ、いわば復活といえる。一方で女人禁制を重視する山鉾もある。

1993年から函谷鉾は囃子方への女性参加を認め、宵山までに限っていたが、鉾の上での演奏にも門戸を開き、鉦(かね)をたたいている。
南観音山は2、3年前から髪型をショートカットにし、男性と同じ浴衣と帯を締めた女性の囃子方を乗せて巡行するようになった。

江戸期元和元年(1625年)ごろの「洛中洛外図屏風絵」では、ある鉾に乗る15,6人のうち半数以上が女性だったことが確認されている。江戸初期までは巡行でも女性の囃子方が乗っていたと見られ、両山鉾の動きはその復活ともいえる。

だが、祇園山鉾連合会は、未だに多くの山鉾町が「長年のしきたり」を履修に女性が鉾を弾いたり山を担ぐのを認めておらず、鉾上の拝観すらできない鉾もある。
深見茂理事長は「連合会内部がギクシャクしかねない。女性の囃子方を乗せるのは、連合会の意見がある程度まとまってからにすべきでは」として、南観音山に配慮を申し入れた。
しかし、両鉾山は今年も女性の囃子方に門戸を開く方針だ。

函谷鉾保存会の岡本信夫理事長
「女人禁制という時代ではない」

南観音山保存会の酒井栄一理事長
「祇園祭は時代の流れを汲んで変化したから続いた。他に迷惑をかけなければ独自性を見とめられていいのでは」

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