巻七十二 志第四十八 職官一  校勘記

 

内閣

洪武二年、照磨、検校所、断事官を取り除いた。

  本文中に「検校所」に関する記載はなく、この注にある「検校所を取り除いた」という記述は本文と合致しない。また、本書の志や、『明史稿』志五十四職官志、ゥ司職掌にも「検校所」というのはない。「所」というのは余計なものと思われる。

王本、杜祐、(龍/共)(學+攴)を春官に任命し、

  杜祐については、本書の巻二太祖紀や、『太祖実録』巻百三十三洪武十三年九月丙午の条では「杜佑」となっている。

礼部尚書の邵質を華蓋殿大学士とし、

  邵質は、『明史稿』志五十四職官志や、本書の巻百十七卿年表、巻百三十六劉仲質伝や、『国カク』巻七などでは全て「劉仲質」となっている。『太祖実録』巻百五十洪武十五年十一月戊午の条には「邵質」とあるが、『太祖実録』百四十二洪武十五年二月甲戌の条では「翰林典籍劉仲質を礼部尚書とした」となっている。また、七卿年表と劉仲質伝でも同様である。

 

吏部

正従七品官の子は品階に入らない下等職に採用する。

  紅格本『太祖実録』巻百五十四の洪武十六年五月庚申の条には「正従七品の子」とあるが、抱経堂本の『太祖実録』、『明会典』の巻六では「従」の字はない。

優秀な吏(下級役人)で官職に就いた者は宣議郎を授けられた。

  優秀な吏(原文では「吏材幹」)、というのは、『明会典』巻六では「吏材幹出身」となっている。(少し前の)従六品のところでは「優秀な吏(下級役人)の出身者で官職に就いた者は宣徳郎を授けられた。となっており、「出身」の二文字が見られる。

 

戸部

福建司は、順天府と、京師にいる燕山左、武驤左、武驤右、驍騎右、虎賁右、留守後、武成中、茂陵の八つの衛……

  『明会典』巻十四では、「福建司は京師の九つの衛の管理を兼ねる。」とあり、「通州右衞」が一つ多くなっている。

河南司は、京師にいる府軍前、燕山右、大興左、裕陵の四つの衛と、牧馬千戸所及び直隷の潼関衞、蒲州千戸所の管理を兼ねる。

  「直隷」について、もともとは「北直隷」となっていたが、「北」の字は余計である。これは『明会典』巻十四では削られている。本書巻九十の兵志では、「中軍都督府の在外直隷衛には潼関衞があり、後軍都督府の在外直隷衛には蒲州千戸所がある」と記載されている。