> ウェスト博士の懺悔







皇帝ノ月19日


 誰かに贖罪しようとも、許してもらおうとも思ってなかった。
 そのつもりったのだけれども。
 それでもこうして自分の心情を綴りたくなったのは、自分の中だけに「思い」を秘めていられるほどボクは強くなかったという事なんだろうね。

 ……タルシスに到着してから、19日。
 予定より若干早く、このギルドは「第二の大地」を発見した。

 丹紅ノ石林
 赤い岩肌が剥き出しの荒涼とした大地は、ボクの「本来いた世界」でいえばオーストラリアはノーザーテリトリーやグランドキャニオンの風景と似通っているのだろう。

 タルシス。
 この世界の「観測」を始めた時から世界樹のふもとにはいくつかの「大地」が広がっている事が確認されている。
 またその大地の下に、世界樹への行く手を阻むかのような迷宮の存在も、ぼくは最初から「観測」していた。

 エトリアや、ハイ・ラガードがそうだったようにこの「世界樹」も簡単にはその秘密に触れさせてはくれないらしい。
 ……まぁ、それも計算のうちだ。

 幸い、ボクの見立て通りアシュレイ・ラングはボクの加入を拒まなかった。
 ボクの貴重な「テストケース」であるアシュレイ・ラングが目の前で病に蝕まれながら戦う姿は、データをとるのにも参考になる。

 冒険者でありながら「ヤルツール病」に罹患しているとは、まさに理想的な実験体と言えるだろう。
 残念なのは……彼のケースは、ボクのケースよりまだまだ「軽微」だという事くらいか。

 しかし、ヤルツール病は激しい運動をする事で筋肉をより摩耗させ、進行が早まるという特徴がある。
 絶対安静をしていたボクと比べればおそらく、遙かに進行が早いに違いない。
 ゆっくり、観察する事にしよう。

 ……しかし、この「丹紅ノ石林」にある第二の迷宮が、高台にあるとは想定外だった。
 何とかして気球艇を上昇する方法を探さないといけない。面倒だが……これも余興だと思って楽しむとしよう。

 それにしても、日記の型式で自分の気持ちを書く、というのは案外に勉強になるものだ。
 タルシスを観測して、大体の言語は習得したつもりだが「自分の思い」を形にする言語を紡ぐのは存外に難しい。
 アシュレイ・ラングの妹がやっていた事を真似してみたが、暫く続けてみよう。




皇帝ノ月20日

 しくじってしまった。
 敵の攻撃を不用意に受けて、戦闘不能に陥っていたらしい。
 妙なニオイの立ちこめる森で、牛ほどある毒トカゲの尻尾に弾かれたと。そう思ったらもう倒れていたようだ。

 ……この身体は脆弱だ。
 重い装備をつける事もままならない。
 後方に下がっているからと油断してはいけなかった……反省しよう。

 今日の探索は……そういった具合で、後半は意識がなかったが……探索そのものは、無事に終わったようだ。
 いやぁ、ボクがいなくても案外、何とかなるもんだな。

 そう、今日のボクらは 「気球艇をさらなる高度でとばすため」 の 「軽い気体」 を探してひとまず、丹紅の石林にある妙な森へと立ち入った。

 この森は、あたりが異様なニオイ……タマゴの腐ったような嫌なニオイの立ちこめる森だ。
 このニオイは人体に有害のようで、長時間あの空気を吸うと目眩がし、舌がもつれ、意識がなくなり倒れてしまうようだ……。

 「ようだ」ではなく、実際アレッサも倒れてしまった。
 ……幸い、『ウロビト』を名乗る灰色の肌をもつ女性が、ボクらを介抱してくれたので死なずにはすんだのだが。

 ウロビトに関して、詳しい事はボクもよく知らない。
 ただ、「観測」の上でこの世界に暮らす「人間」とは違う種族……人の亜種がいる事は、わかっていた。
 しかし「観測者」というのは「そういうモノが居るらしい」という事は知っていても「何故いるのか」という事にはあまり興味がないものだ。

 ウロビトは「人」の事を自分たちの「創造主」といっていた。
 「人」を創造主だから助けるが、一度、袂を分けた存在、二度とは会いたくないとも、だ。

 ……エトリアにも、彼らのように「人」とかつて共存し、そして別れた種族がいた。
 確か彼らは「モリビト」といったか……。

 モリビトは人に対して敵意が強かったが、ウロビトは 「もう関わらないでほしい」 そんな意志が強く汲み取れる。
 「観測者」としてこの世界を漫然と眺めていた時はさして気にならない、ただ 「人とは違う種族だ」 という認識しかなかった「ウロビト」だが、こうして話してみるとなかなか興味深い過去をもっているようだ。

 アシュレイは、迷宮の踏破を諦めはしないだろう。
 迷宮の奥に向かえば、好むも好まざるも関係なく秘密は暴かれる……いかなる過去があったとしても、いずれ「ウロビト」とは会う事になるのだろう。

 アレッサは少女らしく 「会ったら友達になる」「話せばわかるからケンカしたくない」 そう言っていたが、どうなることだか。
 ……そう息巻く少女に 「きっとそうだ、友達になれるかもなぁ」 そうやって笑うボクも大概だろうが。

 気球艇の高度をあげるために、「さらなる軽い気体」を求めた結果、「軽い気体を製造できる石」を森の中で発見する事が出来た。
 交易所にて気球の整備をしている男(港長と呼ばれているが、名前は知らない)はそれを見て 「これならもっと高度が出せる」 と喜び、気球艇の整備に合間、いくつかの話をしてきかせた。


 気球艇は、港長の父親が作ったとウワサされているが、それは誤った情報だという事。
 本当は、気球艇は空から突然ふってきて、彼の父親が修理したものを複製してつかっているのだという事。
 タルシスが冒険者を募るようになったのは、この気球艇の「本当の創造主」を見てみたいと願った、貴族の道楽だという事…………。


 夢というのは夢であるから美しいのに、醜い事実でも暴いてみたくなるものなんだろうな。
 真実なんて大概、残酷なものだ。

 しかし……今日、戦闘不能になったのは本当にしくじった。
 倒れたボクの身体を、ギンが不信に思ったらしい。

 「随分と顔色が悪いようだ」「身体も、あまり丈夫じゃないようだな」
 「無理するな……」


 ギンはそう言っていたが……。
 …………無理するな、という注文(オーダー)がもう無理だ。
 何せ……。

 ボクは、もう死んでるんだから。




皇帝ノ月21日

 日記は自分のために書くものだが、それでも自分の「秘密」まで書いておくのは、誰かにこれを見てもらいボクの本心をしってもらいたい。
 そんな淡い期待があるからかもしれないね。

 だから少しだけ、ボクの話をしようと思う。

 ボクは、この世界の人間ではない。
 「観測者」と呼ばれる、無数にある星々の歴史が記録通りに進んでいるかどうかを観測する一族だ。

 というといかにもボクは超人的な、一種の神のような存在に思えるがとんでもない。
 ボクは元々、この世界にもいるような普通の「人間」だった。

 本当の名前は「西園寺馨」という。

 ボクは「地球」という星の「日本」という国で生まれ、そして死ぬまでそこで過ごした。
 先日記録したオーストラリアはノーザーテリトリーやグランドキャニオンといった場所も、その地球にあるものだ。

 ボクはそこで生まれ、そこで生きて、そして死んだ。
 だけどボクは「普通の死に方」をしなかったのだ。
 死ぬ前に「死にたくない」そう足掻いたボク自身が、ボクの意識を模写したプログラムをつくり、そこでボクという「人格」や「自我」を複写して、ぼくの存在を保つ事に成功したのだ。

 ……複写した「ボク」と人間だったころの「ボク」が果たして同じ「ボク」と言えるのだろうか。
 その点は異論もあるだろうが、ただ一つ言えるのは「ボク」は「西園寺馨」として存在しつづけている、という事だろう。

 そうやって「自我」を保ちつづけたボクだったが、勿論そのままデータとしての自我で満足するつもりは毛頭なかった。
 元通りの「西園寺馨」という人間として生きる為、試行錯誤をはじめて……。

 最初は、ボク以外の人間にボクのデータを転写しようと思ったが、それは無理だった。
 それから、このデータに会う身体を探してみたけど、どうも西園寺馨という存在は「肉体」を持つと長くそれを管理するのにむかないらしい。
 どんな肉体をもってしても、必ず 「ボクを死に至らしめた病」 を発病して、かならずボクの肉体が滅んだ年齢で死んでしまうのだ。

 次にボクは、平行世界(パラレル)の調査をはじめた。
 平行世界においてのボクが、どのように生きてそして死ぬか観察をはじめたのだ。

 それでわかった事実が、一つあった。
 ぼくは必ず、オリジナルのぼくを死に至らしめた病にかかり、ボクの肉体が滅んだ年齢で死んでしまうのだ。

 具体的にいうと、ぼくは40歳の誕生日を迎える前に、死ぬ。
 20代まで勉強漬けで生活して、30代に病気が発覚してからはその治療法を求めた挙げ句、苦しんで死ぬのだ。
 ぼくはずっと、そういう運命で生きてきたらしい。

 「観測者」について知ったのは、その事実に気付いた頃だろう。
 肉体を持たないながらデータを収集するぼくの行動と 「歴史に介入しないがその行く末を見守る」 という観測者の行動が一致していたという理由で、ボクは世界の観測を手伝う事になった。

 手伝うといっても、実際何もしていない。
 その点考えると、「観測者」はぼくを仲間にしたいのではなく、ぼくに 「歴史を改編するような大きな事をしないよう」 釘を刺しただけだろう。

 観測者は、因果律をこえるような大きな変化があるとそれを修正するために動かなければいけない。
 彼らはどうやらそういう手間を嫌うらしい。

 因果律にふれず、大きな変化のない範囲で観測を続けた結果、ぼくは一つの結論に達した。
 つまり 「ぼくが死ぬ原因を絶てば、41歳をすぎたぼくになれるかもしれない」 という事だ。

 40歳で死ぬ予定のぼくを41歳以上まで生かすのは因果律に反するのかもしれないが、幸いぼくは歴史をかえるような大事業をするような奴ではない。
 40で死のうが100まで生きようが、観測者も気にしないだろう。

 だから、ぼくは「病をなおす可能性」を模索しはじめた。
 タルシスにきたのは、その「可能性」の一つに「世界樹の迷宮」が秘めたエネルギーがあったから……である。

 ……こうしてぼくは「病の治療」の可能性を、研究する事にした。
 だけどこの世界に、ぼくのような病はない。

 存在しない病を治療しようという輩は、誰もいなかった。
 だからぼくは、残酷な手を打つ事にしたのだ。

 ……ここから先は、気持ちが落ち着いたら書く事にする。

 アレッサ・ラングがもし、兄の病気を知ったらどんな顔をするんだろうか。
 そして、アシュレイ・ラングがもし自分の病にある意味を知ったら、はたしてぼくを許してくれるのだろうか……。



皇帝ノ月22日

 まんどれいくは きらい!
 あたま が ぴゃー ってなって じゅつしきが くめないの!

 あたま が ぴやー ってなるの!
 ぴやーだよ! ぴゃぁぁぁ!

 これは たびの とちゅうで かいてます。

 ギンの こきょうの ことばで いちばんかんたんな ことば。
 ギンは ここより とうほう きょくとうの しまぐに しゅっしんで このあたりにない げんご あやつるとか

 このげんご とても むずかしい!
 きょうは やどでやすむひま ないから たんさくの あいまで れんしゅうしてます。

 あたらしい げんご おぼえるの やっぱりたのしい!
 そのあたり ぼくって やっぱり がくしゃなんだなと おもいます





皇帝ノ月23日

 迷宮の奥にあるという「珍しい花」をとってきてほしいという依頼を受けた。
 時間によって色が変わるようで、日光にあたる昼間と月光にあたる夜とでは色がかわるらしい。

 「それなら、昼と夜がまじる早朝はどんな色なのかしらね?」
 酒場の女主人が好奇心に応えるように、ボクたちは早朝の迷宮におもむき、昼と夜二色の色に別れた不思議な花を見る事が出来た。
 依頼人もとても喜んでくれたようだ。

 ……しかし、早朝になるまで迷宮で待機していたから、流石に眠い。
 昨日は工房の娘さんをつれて迷宮の探索などもしてきたから、眠さは余計にだ。

 アシュレイの判断で 「今日は1日ゆっくり休もう」 という事になったので、ボクも泥のように眠る事とした。
 ボクは他のメンバーより眠りが深かったようで、起きた時はすでに夕方だった。

 「遅い目覚めだな」
 隣にはギンが、植物図鑑だろうか。絵と解説のついた分厚い図鑑を捲っている。

 アシュレイはアレッサに急かされ、工房の娘さんとハイキングに出かけたらしい。(体力がある事だ。さすがは戦士という所だろうか)
 ヨハンは一人で酒場に向かった。今頃、すっかり出来上がっているだろう。との事だ。

 「ギンは何してたんだ?」
 当たり前の事を問いかければ、ギンは何と 「暇だしぼくの寝ているうちに、ぼくの身体を触診していた」 とかいう。
 人が寝ているうちに触診だなんて、全くデリカシーのないやつだ。

 ギンは、ぼくの身体が 「奇妙な事」 をいくつか聞いてきた。
 脈拍がほとんどとれないほどに、心臓の動きが鈍い事……体温がないのかと思う程に身体が冷たい事……そして、見た目よりボクがずっと重い事。
 医者であるギンには奇妙に思えるのだろう。

 ボクの身体は、ほとんどが死体で出来ている。
 戦争のあった街で、まだ使えそうな「部品」をかき集めて組み上げたのが今のぼくの肉体だ。
 まだ生きているうちに「動いている部品」をかすめとったから「死体」というのは語弊があるんだろうが、ぼくが部品(パーツ)どりしなければいずれ死んでいたのは間違いない肉体ばかりだ。
 「死体」といってもおおよそ問題はないだろう。

 ぼくはこの死体を常に「術式」の源である「マナ」を放出する事で保っている。
 だがどうやら、寝ている時のボクは自分が思っている以上に無防備だったのだろう。
 死体を動かす力が弱くなりすぎて、心臓の音が聞こえない程になってしまったのだ。

 だがこんな事説明したって、信じるやつがいるはずもない。
 ボクは愛想笑いを浮かべると 「気のせいなんじゃないか」 そうやって誤魔化して、無理矢理動かした心臓で作り出した、暖かな肌をギンに向けた。

 「……そうか、気のせいだったのかもしれないな」


 ギンは一応そういって、引っ込んではくれたのだが……。

 「だがもし、具合が悪いならいってくれ。俺でも力になれるかも、しれん」

 そう、付け加えた。
 お人好しなのか、それともボクの身体について疑わしいと思っているのか……どっちにしても、仕方ない。
 今後はギンが寝るより先に寝るのは、極力避けるようにしよう。




皇帝ノ月24日

 丹紅ノ石林の高台に、大規模な迷宮を発見した。
 その存在はあの、硫黄くさい陰気な森を調査している時から認識していたもの、いざ足を踏み入れてみるとやはり緊張感が走る。
 単純なデータとして見るのと、実際体験するのとでは大きく違うという訳だ。

 丹紅ノ石林にある迷宮は、便宜上「深霧の幽谷」と名付けられた。
 「丹紅ノ石林の迷宮」や「第2の大地の迷宮」では格好が付かないだろう……という、マルク統治院からのお達しらしい。

 いちいち名前が大仰なのは、マルク統治院が長、通称「辺境伯」の趣味らしい。
 なるほど、辺境伯は浪漫を追い求めるタイプだと交易所の青年が言ってたが、これはかなりの拘りらしい。
 ボクらの世界からすると、ともすれば「中二病」とも言われかねないな……。

 深霧の幽谷は、最初に探索した「碧照ノ樹海」とは雰囲気が違う。
 乳白色の霧が周囲を包み込み、視界が酷く悪いのだ。

 ……第一の大地である風馳ノ草原と比べれば、空気もあまりよくないように思える。
 人が住むのは難儀するだろう……。

 そう思っていたのだが、この迷宮で「人」と接触する事になった。
 ウロビトではない、ボクらと同じ……いや、ボクはこの世界の「人間」より、より「魔法生物」に近いのだから、ボクと同じというのは少しおかしいだろう……アシュレイ・ラングやヨハン・ギルベルト・アーベンロートと同じ種類の「普通の」外見をしていたのだ。
 しかもその容姿は、年端もいかない少女なのである。
 この世界に「ウロビト」が存在するのは観測していたからわかっていたボクだが、人間がいるとは想定外だ。

 ……観測した時も、気付かなかった。
 おそらく「ウロビト」という存在に気を取られ、小さな人間のデータは見落としたのだろう。
 世界のデータというのは案外と細かく、ボクも全てのデータに目を通していないのだから。

 少女の姿を見て、一番驚いたのはボクだったろう。
 観測していた場所で、見落としたデータが出てきたのだ。

 だから彼女に話しかけたのは、ボクよりギンの方が早かった。
 「人間か? ……こんな所で何をしている」
 確かあいつは、そんな事を話しかけたろう。

 だけど、ギンは人間のなかでもかなり大柄で威圧感のある男だ。
 物腰柔らかに話しても、小柄な少女にはさも恐ろしかったようで、 「えっ!? 人間!?」 目を白黒させながら後ずさり、逃げだそうとする所、彼女の周囲を見た事もない「影」が取り囲んだ。

 色々話したい事があるが、とにかく彼女を助けなければならない。
 正義の味方というガラではないのだが……少女が「ホロウ」と呼んだそれを追い払えば、少女は我々を見て嬉々として話しかける。

 どうやら、少女は「ウロビト」と生活しているという事……。
 あの「影」はホロウと呼ばれ、普段はもっと深い階層に出るという事などを話した所で、以前あの「硫黄のニオイがする不愉快な森」で出会った「ウロビト」が姿を現した。

 「貴様ら、気安く巫女様に話しかけるとは……」
 ウロビトの「方陣師」を束ねるものだという彼女(女性……のように思えるが、見た目ではどちらか正直よくわからない)は、少女の事を「巫女」と呼び、随分と大事にしているようである。

 だが少女は、初めてみるウロビトとはちがう、外部の人間が嬉しかったのだろう。
 「この先に自分たちのくらす里があるから、是非来て欲しい」 そう告げて、なれた様子で森の奥へと「戻って」いった。

 …………冒険者が進むのもやっとな危険な森だと思っていたが、どうやら彼女にとってはこの程度の化け物「普通」の範疇なんだろう。
 あっけにとられつつ、彼女のいう「里」を目指す事にした。

 「あの子も、あたしと同じくらいの年齢だよね! 友達になれるといいなぁ」

 アレッサ・ラングは屈託なく笑っている。
 彼女なら、大抵の人と友達になってしまうのだろうな。

 ボクは、彼女のそういう所が酷く浅はかに思うが、だからこそ羨ましいのだ。




皇帝ノ月25日


 迷宮で出会った「巫女」の少女に導かれるまま、ボクたちはウロビトたちの暮らす集落へとおもむいた。
 ウロビトたちは、人間に随分と敵対心を抱いてるらしく、巫女以外は誰もこちらを信用してないようだった。
 ウロビトの集落で巫女に勧められるがまま食事をしているボクたちをのぞき見たり、時々顔を見せては指をさしてひそひそ話なんかをしている。

 「これじゃ、メシを喰った気にもならねぇよなぁ」
 ヨハンは苦笑いしながら果物にかぶりついていたが、確かにそうだ。
 巫女はアレッサの話す「タルシスの街のはなし」に興味津々だったが、ウロビトたちは突然現れたボクら人間に興味津々に見えた。

 アレッサは、巫女の少女に自分たちはタルシスから派遣された冒険者だという事。
 風馳ノ草原と呼ばれる大地から、気球艇にのってやってきたという事。
 巫女は目を輝かせて耳を傾けている。

 ずっとウロビトとともに外部との接触を断ち、静かな生活をおくっていた彼女にはアレッサの話は刺激的だったのだろう。

 「私も外に出て旅してみたいなぁ」
 無邪気にそう願う巫女の少女を冷たく突き放したのは、かつてボクらを助けて、今は虫けらでも見るような視線をくれるウロビトの女性だった。

 名前は、ウーフェン……いや、ウーファンだったか。
 ウロビトの名前は、覚えにくい……。

 ウーファンは、巫女は世界樹の言葉を聞き、それを「お告げ」として伝える事でウロビトを導いている事。
 ウロビトは世界樹の意志により創られた種族だ、という事。
 かつてウロビトは人と共存していたが、世界樹のすそ野に現れた巨人との戦いで、人は全て逃げだしたという事。
 伝説の巨人はウロビトの手により倒されたが、それから人間との関わりは絶っているという事などを淡々と語ってきかせる。

 ……正直、伝承の域を出ない「眉唾」の言い伝えだ。
 実際、ボクが「観測」している事実とは齟齬が生じている……。

 だが、ウロビトにとって、ウーファンにとっては 「伝説の巨人からウロビトを見捨てて逃げた臆病な種族」 が事実なのだ。
 人間に対して敵愾心が強いのは性分なのだろう。

 こちらも、少なくともボクはその誤解をとく気はない。
 他人の気持ちをどうこうしようと思うなんて、烏滸がましい事だ……少なくてもボクはそう考えている。

 ウーファンは巫女とボクらが親しく話をするのが気に入らないのだろう。
 それらの伝説を聞かせると 「腰抜けの種族が不用意に巫女に近づくな」 と、さっさとボクらを集落から追い出してしまった。
 残されたボクらの耳に 「ウーファンのわからずや!」 巫女のそんな叫びが聞こえる。

 「ひどい! あのウーファンとかいうひと! 巫女ちゃんとお友達になれると思ったのに!」
 アレッサは酷く怒っていたが……。

 「とにかく、ウロビトとの接触は辺境伯にも伝えた方がいい。これは、俺たちだけで判断していい事じゃないだろうから」
 アシュレイの判断に反対するものは、誰もいなかった。

 その足でタルシスに戻り、辺境伯にウロビトとの接触を伝えると、彼はいたく感動した口振りで「とあるもの」を手渡した。
 「ウロビトと、人と友好関係を築きたい。そのための親書」 だそうだ。

 ………………外交ボウズ、ならぬ外交冒険者というやつだ。

 「巫女さまと仲良くなりたいから、任せておいてください!」
 アレッサは、感激屋の辺境伯にひどく感謝して喜んで親書を受け取ったが、この親書の内容ではボクら、首をはねられる事もあるのを彼女はわかっているんだろうか?
 敵国との外交の途中ヘマすれば殺されるという歴史、きっと彼女は知らないのだろうな……。

 しかし、幸いな事にボクの身体はもう「死んで」いる。
 もし、アシュレイたちがウロビトに殺される事になってもボクは自分のデータを「別の死体」にインストールしてやり直せばいいだけだ。
 ここまで「タルシスの世界樹」に執心しているメンバーを見付けるのは大変だろうが……それは、気長にやらせてもらうにしよう。

 元より、ぼくは「データ」をとるために世界樹に来ているのだから。

 ……ところで、ワールウィンドの奴がやたらとボクらの進捗に興味をもっているらしい。
 ワールウィンドは、気球艇を浮かせるための「道具」として「虹翼の欠片」を発見し、タルシスの冒険その援助をしている男としてここでは評判が高いようだ。

 ……彼の「正体」について観測してない訳でもない。
 だが、今の所ボクのデータ収集に不具合を生じさせるような驚異ではないはずだ。

 アシュレイもアレッサも、さして危機感なくウロビトの事やその伝説をあの男にも教えていたが……問題はないだろう。
 むしろ「正体」が明らかになった時、彼らの反応でいいデータがとれると思えば幸いだ。




皇帝ノ月26日

 親書を手渡され、それを 「ウロビトの巫女」 に届けてほしいという任務(ミッション)を受けた。
 断れる雰囲気でもなかったし、元より安請け合いが特技ともいえるこの冒険者たちだ。
 その任務の危険性もさして感じさせず、親書の配達を快く引き受けたのだが、深霧の幽谷に出てくる敵は思った以上に熾烈な攻撃を仕掛けてくるため、今日は「ウロビトの集落」にたどり着く事が出来なかった。

 パーティ全体が力不足なのだろう。

 「慌てる事はない、もう少し戦力を整えてから慎重に進もう」
 傷付く妹の姿はあまり見たくないのだろう。あるいは、元よりアシュレイは保守的な性分なのかもしれない。
 先を急がず腰を据えて冒険する、と決めたアシュレイに従うよう他のメンバーも長期戦の準備をしはじめた。

 「そういえば、ワールウィンドが丹紅の石林に虫たちが群がる場所があるといってたな」
 ギンの提案で、ボクたちはワールウィンドの言っていた「迷宮」の探索をはじめた。

 なるほど、高台なので気付き憎かったが確かに迷宮(それ)はあった。
 だがその周囲には、その場所をナワバリにしているらしいトカゲの化け物と、そう呼ぶに相応しい巨大な体躯をもった化け物が陣取っていた。

 以前、草原にいたカンガルーのように餌でおびき寄せる事ができたら……。
 そう思ったが、あの化け物はどんな餌にも見向きもしない。

 そういえば、この石林に到達したとき、あのモンスターは生きのいい餌を狩っていたか……。
 我々が「食材」として調理した人工物ではダメなのかもしれない。

 だとすると、あの化け物のために生き餌をおびき寄せなければならない、という事だろう。
 全く、手の掛かる事だ……。

 しかし、石林に到達してからぼくが「観測」していたデータがやはり単なる「情報」でしかなかったと、そう痛感する事がしばしばある。
 同時にぼくが観測していたデータを、いかに流し読んでいたかも実感した。

 ……時間がある時に、この迷宮のデータをもう少しゆっくり観測したほうがよさそうだ。




皇帝ノ月27日

 蛾の卵をとってきてもらいたい……。

 親書を届けるのに力不足を感じたボクたちは、ひとまず街の依頼(クエスト)を受けながら力をつける事にした。
 そうして目にとまった依頼は、とある昆虫学者のものらしい。

 「あんな気持ちの悪いものをとってこいだなんて……」
 酒場の女主人は、気味悪そうに眉をひそめる。どうやら、あまり虫は好きではないようだ。

 ワールウィンドの言っていた「虫の集まる迷宮」は、そこをナワバリとする怪物のせいで部屋に入るのも困難かと思ったが、側にいた羊(大きさは牛ほどはあるのだが)がそばにいる事を知らせると、それに気付いてナワバリから離れた。(全く、迷宮に入るのも一苦労だ)

 その迷宮は……ワールウィンドの言う通り、まさに「虫たちの楽園」だろう。
 森の中、開けた場所には無数の蛾が(それも大人ほどの大きさはある蛾だ)そこここに飛び交っている。

 彼ら(あるいは彼女ら)は、他の怪物たちと違い、無闇やたらに人を追い掛ける事はなかった。
 ただ、近くで戦闘をしているとボクらを獲物だと思い、近寄ってくるらしい。
 視力より、聴力の方が発達した結果だろう……。

 戦闘中に近くの蛾が乱入してこないよう、距離をとりながらモンスターを倒して奥まで進めば、そこにはおびただしい数の蛾の卵があった。
 …………正直、今思いだしてもぞっとする光景だ。
 別に蛾が悪い事をした訳ではないし、苦労して産んだ卵を持ち帰るなんてボクらも随分非常だとは思うが、それを差し引いてもあの数の卵があそこにあるのはあまり、気味の良いものではない。

 アレッサも、普段は冒険者らしく何でも物怖じしない性格なのだが、あれを見た時には今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 ………彼女の表情はいつでも、面白いくらいくるくると変わる。

 面白いといえば、あの「虫の卵」を見た時に、ヨハンも存外に繊細な反応をしてみせた。

 「おい! 本当にこれをとるのか!?」「触っても大丈夫なやつか!」「毒とかないよな!」

 ボクらのずっと後ろから、恐ろしそうにこちらの様子をうかがう様は、あの「いかにも何も気にしない冒険者」という風体とは随分かけ離れていただろう。

 ヨハンは……ぼくの観測した記録では、名門貴族の出自だ。
 育ちがいいから、そういった意味での「汚れ仕事」はあまり好まないのだろう。

 結局、卵の採取をしたのはアシュレイとギンだった。
 (ぼくもやろうと思ったが、卵を潰してしまうのでギンに止められた……ボクは自分で思っているより不器用なのかもしれない……)

 こうして苦労して持ち帰った卵は、酒場の女主人が厳重にカギをかけて封印した。
 よほど虫が嫌いなのだろうな……。




皇帝ノ月28日

 戦闘で、敵の思わぬ特攻を受け、ボクを残して皆倒れてしまった。
 この肉体に「痛覚」は存在しないけど、それでも壊されるのは困る。

 這々の体で戻った仲間たちは、皆泥のように眠っている。
 今日、この部屋で元気なのはボクくらいだろう……あの、爆弾カズラとかいう奴には気を付けないといけないな……。

 ……すこし、ぼくの事を書いておこうと、思う。
 ぼくは「地球」という星……タルシスと違う世界で生まれ、そして40歳の誕生日がすぎて、すぐに死んだ……。

 40歳で死んだといえば 「もういいオジサンになったから、充分生きたんじゃないのか」 そう思う輩もいるかもしれない。
 だけど、ボクはもっと、もっと生きていたかった。
 ボクにはやる事が、沢山あったのだ……。

 そう、ぼくは40歳、死ぬ直前まで研究を続けていたのだ。
 死ぬ前は……帝都大学という、名門大学で准教授を務め、「脳」と「義肢」をつなげるような研究などを実用化してきた。

 だけど、ぼくは死んだ。
 ぼくを殺した病気は他でもない、ボクの専門である「脳」からくる疾患だった。

 ぼくは、自分の研究している「脳」の分野でも「助かる見込みがない」そんな病に、かかってしまったのだ。
 治療法を血眼になって探した。だけど、あるのは「延命治療」だけ。根絶治療はなく、一度悪くなった体は二度と元の状態に戻らない。

 探して。ダメで。探して。ダメで。探して。ダメで。
 試した実験も、探した論文もはじき出すこたえは「ぼくの死」だけ。

 …………どうしても死ぬのが避けられない、という時になって、ぼくは自分の「記憶」や「知識」といったものをデータとして残す事で自我を保とうとした。
 そうしたって、人間・西園寺馨というのは死ぬんだってわかっていたんだろうけど、それでも世界の何処かで自分がいればいいと、オリジナルのボクは、そう願ったんだろう。

 こうしてボクは、最初は一つの「データ」として存在した。
 それからすこしずつ「西園寺馨」のデータを照合し、「オリジナル」の西園寺馨が生き残る方法を、探し始めた。

 つまり、ここにボクがいま居るというのは、世界樹という存在が「特殊なもの」だからだ。
 ……つづきは、忘れなかったらまた書こう。




笛鼠ノ月1日

 困った事になった。
 辺境伯から巫女に渡す親書を承ったのはよかったが、肝心の巫女が誘拐されてしまったらしい。

 ボクらが到着した時は、すでにウロビトの集落は壊滅的な打撃を受けていた。
 巫女たちを守ろうとした近衛兵たちは皆倒れ、今は治療している最中なのだという。

 ボクらより先に到着していたワールウィンドは、ウロビトたちの間で情報収集をしていたらしい。
 いわく 「巫女たちはさらなる地下にいるホロウによって攫われた」 という事らしい。

 ウロビトたちとホロウとの確執や、何故巫女を攫ったのか。
 そういった事情は詳しくはなかったが、おおむね「世界樹の言葉を聞く」という巫女の力を望んでの事だろう。

 ワールウィンドは、ボクらより先に地下へと足を向けた。
 別に巫女を助ける為、という訳ではないようだが……あれにはあれ、ボクらとは別の目的があるのだろう。
 今のところ、ボクたちの邪魔になる訳でもないので彼に関しては好きにさせておく事にしよう……。

 しかし、誘拐されてしまうとは。
 アレッサは 「絶対にたすけて、一緒に遊んであげるの!」 そうやって息巻いて張り切っている。
 彼女のやる気に水を差す訳にもいくまい。

 この勢いのまま巫女を助け出せればいいが、はてさてどうなる事やら……。




笛鼠ノ月2日

 休憩もそこそこに、俺たちは「巫女を救助する」という名目で迷宮にもぐる事となった。
 ……しかし、この迷宮は霧が深い。
 おまけに、そこここの通路が、全く別の通路とつながっているため、自分がどこにいるのか見失いがちだ。
 森の様子は、どこもかしこも同じような樹木ばかり、注意深く地図を見て、常に自分の居場所を探していないと迷う事は必死だろう。

 実際、あの迷宮に惑わされた冒険者が酒場にいた。
 地図を見ていればなるほど、迷いはしないだろうが、それでもこの森の通路は、各所があまりにも遠すぎている。

 まるで、特定のポイントを踏むと別の所にとばされる……そんなワープゾーンを見ているものだ。
 実際そのような磁場が発生しているのだろう……。

 単純に道に迷ったとか、間違えた小道に入ったではすまないほど、ボクらの通った道は飛び石みたいに散り散りになっているからだ。

 幸い、ぼくはダンジョンのどこにいても、自分が今どこにいるのかわかる。
 ギンも注意深くマップを見て、ぼくの居場所と照らし合わせ詳細な地図を書いているから迷う事はないだろうが、進むのは難儀しそうだ……。

 「はい、元気がでるようにごちそう!」
 ……アレッサが、あまった食材でつくったクッキーを差し入れてくれた。
 迷宮のなかでは、こんな甘味でも気が休まるものだ……彼女の心遣いは、いつもうれしい。

 ……でも、ぼくは、彼女にきっとひどいことをしているのだろう。
 今は言えないが……アレッサ……。

 本当に、ごめん。
 だけどボクはこんな事をするような、バカで愚かな男なんだ。
 自分が死なないためにも、ね。




笛鼠ノ月3日


 攫われた巫女を追い掛けて森を進む。
 森はその景色が霧と似通った木々とのせいで、進んでいく道が酷く迷う冒険者が多くいるという。
 だがそれも、仕方のないものだろう。
 誰かがそう、しているのか。あるいは、この森全体がこのような魔法を使うのか……このダンジョンでは、しばしばワープをする地点をぼくはいくつか確認している。
 モリビトたちがホロウから身を守るためにつくった魔法なのか、はたまたその逆なのか。
 事情はわからないが、今後も彼ら、ホロウを追うのをやめないかぎりこの長く面倒なダンジョンは続くのだ。

 何とか襲撃され、巫女を取り返すと息巻いたウロビトたちの集団には間に合った。
 だがボクらがいった後はすでにウロビトたちは這々の体、という奴だ。
 先に来ていたワールウィンドは足を少し引きずっているくらいだったのだが、他のウロビトたちはしばらく家からも出られないだろう。、

 どうやら「ホロウ」とやらとの戦闘は終わった後で、ホロウたちのリーダーとおぼしきものが、ウーファンと「何かをはなして」そのまま奥に消えてしまったらしい。
 ウーファンも、訳知りだという事なのだろう。

 だからそんな事はボクにはどうだっていい。
 女の子は、秘密が一つくらいある方が絶対にカワイイからな。




笛鼠ノ月4日


 歩けども、歩けども、深い霧の先にウーファンたちの姿はない。
 「ホロウ」と呼ばれる知的生命体……そう見ていいだろう、少なくても子どもを誘拐するだけの知能と統率力があるのだから……は時々こちらに攻撃をしかけてくるが、これは彼ら(あるいは彼女ら)のナワバリにはいっているこちらの方が悪いのだ、致し方ない。

 この霧の迷宮。
 しばらく続くのだと思うとうんざりする……。

 しかし、最近の我々は体力もついてきたのか、夜間行軍も頻繁に行うようになってきている。
 この日記は宿に早めに帰ってから書いていたのだが、夜間も迷宮にいるのが必然ともなれば今までのようにのんびりと日記を書いている暇はないだろう。

 今日はわりと早く帰れた。
 いい機会だから、もう少し自分の事を話すことにしよう。

 ぼくの本当の名前は「西園寺馨」といい、「帝都大学」という大学で教鞭をとっていた。
 専門は「脳科学」と言えばその分野になるか……脳と電子部品をつなげた「電子義肢」をはじめとした脳分野の研究をしていた。
 しかし不運か、30になったばかりの頃、進行性の難病にかかり……学者として精一杯生きる方法を模索したけど、出てきたこたえはいつだってそう。

 手足が少しずつ痺れていき、やがて心臓がゆるやかに止まる。
 治療法はなく、10年以内で死ぬ。

 ……認めたくなかった俺は、何とかして生きのこれないか考えた。
 そして出した一つの結論が、「電子の世界に人格・記憶」をコピーして逃がすという方法だった。
 それだって肉体が死ねば一緒だと思うんだが、あの時の西園寺はそれでよかったらしい。

 こうして「西園寺のコピー」として現れた減少がぼくだ。
 ぼくは電子の中にいれば便宜上、不死身だ。実際、この身体……ウェストの身体は、俺の思考データをコピーして動かしているにすぎない。
 何でぼくがこんな姿をして、わざわざ不死身の状況から死の危険がある場所に乗り込んだか。

 簡単にいうと「世界樹」の力を調べたかったからだ。
 あれは…………ちょいと事情があり、まぁ特殊な力をもっている。その力で病気が治るのじゃないかと考えて、ちょっと来てみたんだ。
 ぼくもできれば電子の中だけじゃなく、ちゃんと血肉をもった人間として生きたいし死にたいものな。

 その、実験台として選んだのがアシュレイだ。
 アシュレイのかかっている病気はそう………………ぼくが、作ったものだから。




笛鼠ノ月5日


 パーティメンバーが力をつけてきた事もあるのだろう。
 また、このパーティがタルシスの迷宮に幾分かなれてきた、というのもあるのだろう。
 最近、迷宮に留まる時間が増えてきた。

 午前中は気球艇でのんびり空を廻りながらめぼしい食材を探し、午後は迷宮を探索する……それがこのギルドの日常になりつつある。
 以前は午後から迷宮にはいっても、日が沈む前には体力がつき探索を切り上げていたのだが、最近は日が沈み、明け方近くまでダンジョンの探索をしている事もしばしばある位だ。

 成長した、という事なんだろう。
 その成長を確かめながら、俺は密かにアシュレイの病を気にかけていた。

 アシュレイは、どうやら病について妹には何も言ってないらしい。
 だが、ギンやヨハンはしばしば、こっそりと「あの病」について語っているのを見かける。

 この中で知らないのは、ボクとアレッサだけという訳だから、ボクも知らないふりをしてアシュレイには接しなければいけない。
 今のところ、見た限り思ったよりは進行していないようだ。
 最もこの病気は進行したら、剣をもつ事だって出来なくなるほど身体全体の筋肉が弱るのだが……。

 さて、アシュレイがどこまで空元気で冒険者を続けるのか。
 どのようにこの病気が人の身体を蝕んでいくのか、じっくり研究させてもらうとしよう。

 ……願わくば、この世界樹の恩恵が彼の身体にも現れて病気が治ってくれればハッピーエンドなんだろうけれどもな。
 いや……この病気を「作った」張本人が何をいってるんだろうな。

 人間の身体を捨て、もう人間らしい感情なんてもつまいと思ったのだけれどもな。
 やはり人間の身体をかりて、人間として仲間と旅をすると…………。

 結局、俺はきっと「むいてない」んだろうな、誰かを犠牲にして生き残る方法なんて。
 でも……。

 すでにこの病気は、ボクの手も放れている。
 世界樹の迷宮にある命の力を、今は信じるしかないのだから…。




笛鼠ノ月6日

 深霧の幽谷が探索をはじめてから、もう一週間はたつか。
 ボクらはいよいよ、地下3階へと到達した。

 地下3階に到達して、最初に出会ったのはウロビトの、あの女性……ウーファンだった。

 彼女は、ホロウに 「おまえでは巫女を護れない」 と告げられた事……それがホロウの作り出した幻影で、心をかき乱すためのまやかしの言葉だとわかっていても、動揺してしまった事……突如現れたぼくら「人間」を見た巫女が、ぼくらになついて見せた事……それに嫉妬していた事……もう巫女は自分の元に心を寄せないと思った事……。
 そんな心情を切々と語る。

 アレッサはすぐに彼女の手をとると 「そんな事ない」「巫女ちゃんは、あたしたちの事と同じくらい、ウーファンさんも大事だと思っているよ」 そういって、屈託なく笑う。
 ウーファンは……そんな彼女に、救われたのだろうか。
 その手を握り返すと、連れ去られた巫女を救出する為に、力を貸してくれるといった。

 彼女はウロビトの「方陣」というものの使い手だという。
 方陣とは……床に魔法陣を描き、それにより敵を麻痺させたり、手足を封じたりする能力なのだという。

 実際、ホロウは大概動きが素早い。
 足を封じて動きを制限できれば、これまで当たらなかった攻撃も難なく当たる事だろう。

 心強い仲間を得て、ボクらは迷宮のさらに奥へと向かう。
 巫女を助けるという、共通の志をもって……。




笛鼠ノ月7日

 いつものように、気球艇で迷宮を目指していると、普段巨大なカマキリが徘徊している湖上に人が分け入れる程度の湿地帯がある事に気付いた。

 ……巫女を早く助けたい。
 その思いはあるが、ボクたちの力はまだまだ未熟だと言えよう。

 それに、わざわざ蛮行で巫女をつれていったホロウたちだ。
 話し合いで平和的に巫女を取り戻せるという望みは、限りなく薄いだろう。

 ボクらは、少しでも力をつけるためにその湿地帯へと足を踏み入れた。
 湿地帯は、湿原らしく歩むたびに足がとられるようなぬかるみの中にあり、無数のカエルたちが徘徊していた。
 カエル達の動きは、自分の進路から斜めに跳ぶ癖があるようで動きを予測するのは容易だ。

 だが、カエル達から逃げていては、ボクらの実力も上がらない。
 注意深く背後をとりカエルたちを追い立てて、2,3匹仕留めてやった。

 以前は、大型のモンスターから逃げてばかりいたボクたちだが……最近は初めて見る相手でも、よほど力量に差がつかない限り大概はこうして倒す事が出来る程度に実力がついてきたようだ。
 小さな積み重ねだが、強くなっているという実感があるのは嬉しい。

 ……こうして沼地を進んでいると、奥に迷い込んだ衛兵がいた。
 気球艇の操作ミスでこの沼地に墜落したらしい。

 ギンの見立てだと、衰弱が激しいが怪我の程度は軽いようだ。
 早速、ボクたちの気球艇にのせてタルシスに戻ると、衛兵はすぐに宿へと運ばれた。

 ……応急手当が良かったからか、一命は取り留めたらしい。
 酒場の女主人も 「こういう仕事をしていて、行方不明になった兵士は大概、戻ってこない」 と言う。
 「だから戻ってきた時は、やはり嬉しいのだ」 ともいう。

 死になれて、どうせまた死んでいるのだろう。
 感覚が麻痺して、そういう思いを抱くようになってしまうのだとも……。

 ……ボクもそうだ。
 記録をデータとしてしか見る事が出来ず、そこに人がいるのだという事を忘れてしまうのだ。
 そうして、ただの数字の羅列だと思い、人の運命をたやすく踏みにじってしまうのだ、たやすく…………。

 ……やはり、ぼくは人間になる事が向かないのだろう。
 こんな思いをするのなら、人の身体なんて借りずにずっとデータの観測だけをしていればよかった……。




笛鼠ノ月8日

 先日、見付けた沼地。
 まだ踏破してない場所があるからと、地図をクリアにする目的で立ち入ってみた。
 相変わらず、カエルが予期せぬ場所から飛び出してくるが、カエルそのものの攻撃は今や驚異ではない。落ち着いて対処すれば……楽勝という訳でもないが、善戦する事は出来る。

 注意深く湿地を進んでいると、沼の中に泥にかくれたザリガニを発見した。
 地球にすむ個体より、若干大きいか……。

 「お、ザリガニだな。こういうのは俺に任せておけって!」
 真っ先に先陣きって沼地に手をつっこんだのは、ヨハンだった。

 ……ボクが観測する限り、ヨハンくんはいい所のお坊ちゃんだ。
 子どもの頃、泥にまみれてザリガニ釣りをするような身分ではなかったはずだが……冒険者になってから、「お坊ちゃん」という人目を気にする事がなくなったのか、むしろ土にまみてれ遊ぶ方が性に合っているのかもしれない。

 ヨハンは腕まくりをすると、沼地をざぶざぶ。
 遠慮なく立ち入って、そして……。

 「いってぇぇぇええぇぇええええ!」

 情けない悲鳴をあげながら、指をはさまれ悶えていた。
 全く、何をしているんだか……。

 これだからお坊ちゃん育ちはいけない。
 こういうのは、やっぱりなれている奴じゃないと……ボクは小さい頃、川でスルメを餌によく、ザリガニをとっていた。
 結局、工学系の勉強をする事になっていたが、小さい頃は生物学者になりたかったのだ。

 だからこういうのは自信がある、つもりだったんだが……。
 ……久し振りに沼に入ったのもダメだったし、まだこの身体で泥遊びなんてなれてなかったのもダメだったんだろう。

 ぼくも思いっきり、ザリガニに指をはさまれてしまった……。

 意気揚々と沼に挑んだボクがザリガニに挟まれたのを見て、ヨハンは指をさして笑っている。
 あの男、人の不幸がそんなに楽しいのか……!?

 結局、ボクとヨハンが二人で沼に手をつっこんで、戦いを制したのはこのボクだった!
 やっぱり、お坊ちゃんとボクとでは場数が違うのだ……。
 
 …………でも、ザリガニをとったからって別に、食糧になる訳でもない。
 他の仲間たちは、ボクらがザリガニに夢中なのを横にのんびり花など採取していた。

 …………いかんなぁ、どうも熱くなる性格。
 ボクの悪い癖だ……。

 結局ボクらはザリガニを沼にかえしてやった。また他の冒険者に捕まらないよう、祈っておこう。




笛鼠ノ月9日

 迷宮内で、敵の熾烈な攻撃もあり思うようにすすめないでいる。
 しかし、ウーファンが助力してくれる事もあり探索はおおむね順調だろう。
 巫女が攫われてからもう10日近くたつのだろう。焦る気持ちもあるが、こういった時こそ落ち着かなければいけない……。

 ……。
 …………そうだ、少し「観測者」について記して置こうと思う。

 観測者とは、この世界に介入できないような場所で、常に我々を観測している。
 アカシックとよばれる記録媒体に、星や世界の歴史を刻み、それらの歴史がきちんと「因果律」に反しない程度に行われているのか。
 それを観測し、データをとる、それだけの一族たちだ。

 形は……ホヤに似てる。
 身体と長い首をもつその姿は深海にいる化け物のような貝にも思えたが、知性は人間以上に発達していると、いってもいいだろう。
 すぐれた天才でありながら、決して歴史に介入する事はなく、ただ観測を続けている。

 時々、歴史がこの通りに動くのか確かめるために人の身体を奪う事もあるという。
 今、ボクがつかっている身体も 「歴史がこの通りに動くのか確かめる」 というのが名目でつくった特注品だ。

 そうやって、因果律に反しないようにしている一族。
 しばしばこうやって、世界に介入しても怒る事はないのは、ボク程度の不純物が因果律を反するほどの事をしでかしたりは、しないから、だそうだ。

 長く接していたぼくからしても、人の感情があるとは思えない変わった連中だ。
 ……そう、かわった連中だ。
 しかし、そう思うのは外から見ている今だからであって、中にいる時はそれが普通だと思えるから不思議なもんだよな、全く。

 それにしても、巫女はどこまでつれさられたんだろうなぁ。
 霧の中の探索も、そろそろ飽きてきたぞ……。




笛鼠ノ月10日

 先日は「観測者」について記してみたが……こうして改めて振り返ってみると「観測者」とは何とも奇妙なやつらである。
 ただ、歴史が正しく動いているのか観測という形で傍観するだけ。
 それに介入する訳でもなければ、そもそも連中は時間の流れ方さえ、ボクらと違うのだから……。

 もし、自然を超越した力を「神」というのなら、あの観測者たちも「神」の一種なのだろうか。
 だとしたら神というのは、随分と奇妙な形をしているものだ。

 ……かくいうボクも今は「観測者」に首のあたりまで浸かっている「超自然的」な存在な訳だが。

 それでも、ボクは元々人間だった。
 少なくともこの「タルシス」に住む冒険者たちと同等……いや、あんな化け物たちと対等に渡り合える程の体力はない、という点からするとボクは、タルシスの人間たちより「弱小の」人間だったといえよう。

 だけど、ボクは観測者の一人になった。
 理由は……割愛するが、簡単に説明すると 「人間の身体をすて、データ上だけに存在する自我になった」 のだ。

 そんな、人間の「器」をもたず、ただ「データ」としてだけ存在するボクを、観測者たちは「自分たちの近親種だ」と思い、ボクを「観測者」にスカウトしたのだ。

 それから、ボクは観測者として膨大な「データ」を解析しはじめた……。

 といっても、たかだか人間一人の処理能力だ。
 人間だった頃のぼく……「西園寺馨」という人間は(自分でいうのも何だが)紛れもなく天才だったけれども、世界のデータなんて初めて見る訳だし、データの型式も人間の知覚で理解出来る範疇を越えている。
 文字を解析するのに一世紀、おぼろげながら理解できるのにさらに半世紀は費やしただろう。

 そうして、世界をデータとして観測していくうちに、ぼくは 「どうしてボクが死ななければならなかったのか」「どうしてボクは肉体を持たずこんな中途半端な存在に成り下がったのか」 その運命を変えたくなった。
 何度も、何度も、何度も何度も何度も。

 望郷の思いをもって、自己の再生に勤めたさ。
 こんな思い、観測者の連中には理解できない……そもそも、観測者の連中はあのホヤのような捻れた肉体が「自分」であり、データしかない世界が「故郷」なのだから、望郷なんて概念もないのだろう。

 そうして、観測者のなか、ぼくはただ一人、孤独に戦い続けた。
 地球で死なずにすむ運命を求め続けた。

 だけどどうしてもダメなのだ。ぼくは、絶対に40歳までには死ぬ。
 生年月日をずらしても、遺伝子を書き換えてもダメ。アカシックに定められた因果律として、ぼくの運命はそうなっていたのだ。

 でも、納得出来るか?
 どうして自分が死んだ後も誰にも理解されない世界で孤独に、データを観測する運命なんて受け入れられるっていうんだ。

 人並みに食べて、笑って、感動したり憤慨したり。そういう感情に満たされる。
 そういう肉体を持とうというのも、ぼくには贅沢なのか?

 ……そういう思いに狩られた中、ぼくは「世界樹」の未知なるエネルギーデータにふれた。

 膨大なマナをもつこのデータなら、あるいは。
 そう、思ったぼくは、タルシスのある世界に、自分の肉体を再現する事にした。

 だけど、ぼくが再現できる肉体はちっぽけな人間のデータだけで……世界樹の迷宮は、一人で踏破するには大きすぎる世界なのがわかっていた。

 ぼくには、仲間が必要だった。
 死にものぐるいで世界樹に挑む、仲間が必要だったのだ。

 だから、ぼくは作り出す事にした。
 死にものぐるいで世界樹に挑みたくなるような、病を……。

 それが、ヤルツール病の正体になる。




笛鼠ノ月11日

 ヤルツール病は、ぼくの身体を蝕んだ病気をベースにつくった遺伝子疾患の一つだ。
 主に脳がやられ、この病気に罹患すると手足がしびれ、段々歩けなくなり、やがてゆっくり筋肉の麻痺は呼吸器に及ぶ。
 そうして、心臓がとまるまではっきりと自我をもちながら受け入れていかなければいけない。

 そんな病気を、ぼくはそれまでそんな病気のなかった世界に振りまいた。
 振りまいたのが許されたのは 「その病気、もっと文化レベルがあがれば自然に生まれるだろうから」 という観測者の無責任かつズボラな観測のおかげだったが、それでもボクがこの病の元凶であるのに違いない。

 自分を取り戻すタメになら、どんな事をしても耐えられる。
 そう、思っていたのだが……。

 アシュレイは、若く、口数はすくないが充分なカリスマを持つ。
 その声には得も言えぬ魅力があり、彼の声をきくだけで勇気や力が沸いてくる程だ。

 いいやつだと、思う。
 少なくてもこのボクよりずっとずっといい奴だと。

 そんなアシュレイと並んで御飯を食べる事があった。
 もし、エトリアの冒険が終わったら何をしたいって話しをしていたら、あいつは微笑んで言うんだ。

 「故郷に帰りたい」 ってさ。

 あいつの故郷は、観測が確かならすでに滅んでいる。
 その滅びた故郷を再興して、故郷を失った人たちを呼び戻して、狩人になってゆっくり過ごしていたいんだと、笑った。
 願わくば、妹の花嫁姿を見れたら文句はない、とも。

 もし、ぼくがヤルツール病を作らなければ、あるいは平穏に叶えられた願いを、壊してしまったのだ。この、ボクが。

 ……本当に、ぼくは。
 観測者としてデータで見ていた時は、何とも思わなかったのに。実際に触れるとすぐに、自分のやった事の大きさに怖くなる。

 どうしたらいいんだ。
 どうしたらよかった? ぼくは孤独をかかえたまま探索者でいれば、何も狂わなかったのか。

 ……明日も早いのだ。
 今日は、もう寝ないと……。




笛鼠ノ月12日


 後悔するのなら最初からやらなければいいとのに。
 誰も見ない「日記」という媒体で泣き言を漏らして懺悔した気分になる。

 ぼくは何て浅ましい男なんだろうな。


 ……巫女を救うための計画も、いよいよ本格的な段階へと進む。
 ぼくは……観測者として、敵である 「ホロウ」 の情報を読み解いて……それを、仲間たちに伝えた。

 ホロウは……おそらく「女王」と呼ぶに相応しいカリスマをもった頭領が部下たちを率いているだろう。
 女王の側近である近衛兵とも言えるガードが、女王を庇う事も考えられる。

 そして、ホロウは例外なく異様にこちらの攻撃が当たりづらいはずだ。

 ホロウの動きを封じこめ、なおかつ麻痺などで攻撃が当たるような補助をしていければいいのだろうが……。
 生憎、ボクらのパーティに「動きを封じる」事を専門にしたメンバーはいない。

 ヨハンは「封じ」系の技よりも、より多くの敵を屠る一撃必中の技や、相手の弱点を見定めるような観察眼にすぐれる男……足止めの類はあまり得意としていないのだ。

 そうなると、必然的に頼りはウーファンの「方陣」になるだろう。
 方陣は、足止めとしての効果がかなり高い上、成功率もスナイパーたちの妨害よりずっと上だ……。
 しかし、あまり彼女に負担をかける訳にもいかないだろう……こちらも、香などで適時サポート出来ればと思う。

 そのような作戦を提案すれば、ウーファンはかなり驚いた様子でボクを見ていた。

 「人間なのに、よくホロウの事を知っているな」
 彼女は困惑しながら、ボクにそう問いかけたから……ボクは愛想笑いを浮かべて 「これが冒険者の経験則ってやつだ」 と誤魔化した。

 だけどそう……本当は、ウーファンよりぼくのほうがずっとずっと化け物なんだ。
 見た目だけは取り繕っているが、中身は本物の化け物なんだ。

 そういう意味では、牙をもち爪をむき出して人を襲う化け物のほうが見た目から素直に「化け物」と思えるぶん、優しいのかもしれないね。




笛鼠ノ月13日

 迷宮の奥深く、ホロウの女王は巫女を横たえ、歌詞のない唄をうたう。
 まるで子守歌をうたうように。

 ……まとわりつくような霧の彼方にいたのは、ホロウの女王……ホロウクイーンだった。
 半ば実体を失った、影のような姿で舞い出て巫女を渡すまいと奮戦する。

 ベルゼルケルも巨躯の化け物だったが、ホロウクイーンはただ大きいだけではない威圧感をもち、ボクたちの前に立ちはだかった。
 彼女は影だけだというのに、ある種の気高さをもっている。

 ボクは……元来、学者だ。
 机にかじりつき数式をこねているほうがよっぽど性分にあってるタイプだ。
 こういった化け物を前に、やはり怖じ気というのが沸き上がる。

 しかし……。

 「怯むな! 背を向ければそれだけ牙が近くなる! ……歯を食いしばり、一歩踏み出せ! ……栄光は、その一歩踏み出した足で到達し、伸ばした手でつかみ取るものだ!」

 アシュレイの、声が響く。
 ……あいつの声は不思議と、戦う力を与えてくれるのだ。

 こういう、兵士たちを鼓舞するような特殊な声を 「鬨の声」 と呼び、この世界では重宝してきたという。
 ……鬨の声をもつ将は、その声を張り上げて兵士たちを死地に送る。
 アシュレイは自分の声で鼓舞され、死んでいった兵を幾人か見てきたからだろう、自分の声に自信がないようだったが、それでもボクのような臆病者には素晴らしいカンフル剤だ。

 顔を上げ、敵を見据える。

 「勝てる! 勝てる! 勝てる! ……まやかしの女神が元に勝利はない! 勝利の女神は、我々の方にあり!」

 アシュレイの言葉を聞いてると、自然と勝てるような気になるのだ。

 ……ホロウクイーンは、配下を呼び自分に攻撃が来るまいと鉄壁のガードを張る。
 だがそのガードも 「討て! 討て! 討て!」 アシュレイの声に押されたヨハンが、アレッサが、次から次へと倒していった。

 ウーファンが方陣で、敵の足止めをしてくれたのも、効果が大きかっただろう。

 護衛たちを倒し、一人になった女王も「氷のアリア」や「次元断」といった多彩な技で反撃するが、それでも所詮は一人きり。
 孤軍奮闘しても統率された冒険者たちに勝てるはずもなく、ヨハンのはなった銀の矢で心臓を貫かれると、ゆっくり、膝をつき倒れた……。

 ……幸い、巫女は怪我がなかったようだ。
 彼女は 「夢のなかで、助けにきてくれる冒険者や、自分のために戦ってくれたウーファンの夢を見ていた」 と言い、巫女の世話役として尽力してくれたウーファンに 「これからもずっといてほしい」 という思いを告げた。

 今回の仲違いは、お互いに言葉が足りなかった事によるすれ違いだったようだ……。
 巫女はウーファンに 「これからはもっと言葉を交わす」 のを約束すると、無事に仲直りを果たしたようだ。

 さて、次はこちらの目的……親書を届けるという事を達成しなければならない。
 巫女は 「親書の返事はともかくとして、自分がタルシスにおもむき、きちんと辺境伯と対話したい」 と望んだ。

 かくして、巫女をタルシスの辺境伯が住まいまで送る事になったのだが……。
 タルシスの街は、巫女にとって刺激的だったんだろう。

 あちこち見てまわっているうちに、日が暮れてしまった。
 辺境伯との対談は明日になりそうだが、さて、どうなる事だろうな……。




TOPに戻るよ / 以前のはなしはこちら / つづきはこちら