>> 風火殿の華麗なる日常





 鈍痛を堪えて引きずる足で、細い路地に入った。

 それでも後ろのざわめきが遠くなる気配はない。
 思わず舌打ちをする。
 人通りの多い地域に入ればなんとかなると、むち打ってようやくダウンタウンまで来た。

 にも関わらず未だ走り続けている。
 大規模抗争の火種になる危険を侵してまで、自分を捕まえる必要性があるとは思えない。
 考えられるのは、追うのに必死で他組織のテリトリー内であることに気づいていないのか…

 「・・・馬鹿どもがっ…」

 乱立するオフィスビルの角をもうひとつ曲がる。
 その瞬間。真横のドアが開いた。
 とっさに避けて臨戦態勢をとるも、この怪我ではどれほどの意味があるのか疑わしい。

 「くそっ! ・・・って、お前、」

 しかしそこから出てきたのは追手どころか、馴染みの顔であった。

 「風火さんっ?」

 ファミリーで舎弟と呼ばれている小柄な少年・アクセル=ガンズ。
 驚いている様子をみるに、自分に会うために出てきたわけではないらしい。
 それでも敵でなかったことに内心、胸をなでおろす。

 「退け。そして隠れてろ。」

 再び走りだすべく向きを変える。
 しかし、腕をつかまれ立ち往生。おまけにまくしたてられる。

 「え! ちょっと! そのケガでどこ行く気ですか! ていうか何があったんですか!」

 …ギャンギャン煩い。

 「関係ない。どうしても聞きたいなら後でだ。だから…」

 その手を離せと言いかけた時、後方から焦ったような怒鳴り声が聞こえた。
 二人してそちらを向く。
 大方、この路地を回り込めといった指示だしか。

 「ひょっとして、追われてるんすか…?」
 「だったらなんだ。私はもう行くぞ。」

 足を出す。だが進行予定とは別の方へ引っ張られた。

 「こっちです! 入って!」
 「お、おい!」

 先ほど彼が出てきた勝手口。
 そこから建物内へ潜り込むと、アクセルは内側についた鍵をまわした。
 錠の音が消えるかどうかの瞬間にまた喧騒が起る。
 こんどは近い。
 呼吸を低くした。
 扉に近づいて聞き耳をたてる。
 ドタドタと複数名の足音と声が大きくなり、そして遠ざかってく。

 「行ったか…」
 「みたいですね。」

 溜まっていた息を大きく吐く。
 すると、緊張とともにアドレナリンが切れたのか、右足を起点に激痛が走った。
 思わずうめき声とともに床にへたりこむ。
 流れ出る血液の路線以外がひどく冷たい。

 「風火さん?! ちょっと、大丈夫ですか?!」

 見上げるが、EXITという文字が放つ緑の逆光のせいで、アクセルの顔がぼやけた。

 「あ、あぁ…。」

 けして貧血で視界がゆがんでいるわけでは…

 「とりあえず手当できるとこに行きましょう」
 「いや、だが…」

 勝手に入ったビルだ。正面から堂々とは出るわけにいかない。
 しかしまだ近くには追手がいる。裏路地にも戻れない。
 自分はここでじっとしているしかないのだ。
 それも、このビルの人間が来ないことを祈りながら−

 「あ。ここの事心配してたりします?」

 ひょっとして、という感じで聞いてくる。
 そんな当然のこと、今思い立ったのか、コイツは。
 口を開きかけたが、痛みで言葉を忘れたので、頷いてみる。
 軽く首を曲げたつもりだったが、やけに揺れが大きい。
 「大丈夫っすよ。だってここは…」

 「アクセルー、これも捨てといて・・・ってうわぁつ?!」

 ひょっこりと階段を下りてきたのは、アクセル以上に見知った顔。

 「あ、アニキ。」

 バラクーダ東吾。うちのリーダー的存在。だが…

 「風火?! 風火だよな?!? うわ、めっちゃ血ぃでてる! 痛そう! 超痛そう!! あああ、俺もう無理!見てらんない!!」

 極度のびびりで、流血嫌い。相変わらずマフィアに向いてない。

 「うるさいぞ、ちょっと黙って…」
 「アクセル! 救急車!! 俺のケータイ、クイック登録してあるから!」
 「どんだけ病院行く気マンマンなんですかっ、アンタは!」

 ふざけたやりとりが遠くに聞こえる。
 おかしい。二人は目の前に居るというのに。
 あぁ、まぶたが重いからだろうか。
 ついでに頭も重い。重力に従って肩が床の冷たさを感じる。
 古びた蛍光灯が点滅して、暗く、黒く?…

 「はっ?」

 目に入ってきた光景は、最後の記憶と隔絶したものだった。
 あるのは足の低いテーブル、豪華な照明、深紅の絨毯マット。
 そして自分が横になっているソファ。

 「気がつきました?」

 アクセルが足の方から声をかけた。
 どうやら治療をしていてくれたようだ。

 「とりあえず、さっきの連中がいなくなるまで救急車とか目立つ事はやめようってことになりまして。」

 まだ途中のところをみると、そんなに時間は経ってないらしい。
 包帯を伸ばしながら、アクセルが続ける。

 「今、アニキが一般小市民を装って偵察に行ってますから。」
 「それより、ここは?」

 遮って、一番の疑問をぶつける。

 「ウチの応接室ですよ。」
 「ウチって…」
 「ですから、このビル。アニキのなんスよ。」
 「は?」

 まさかの発言に一瞬、思考が止まった。
 これだけある建物の中で、たまたま身内のビルにたどり着くなんて…

 「なんというか、凄い偶然だな。」
 「んー、俺がゴミ捨てに出たのは確かに偶然すけど、この辺のオフィスビルはだいたいアニキ所有ですし。」
 さらっと言ってのける。

 「…かなり数あるぞ? …流石だな。」
 「まぁ、本人を褒めないで下さいね。戦わなくなるから。」

 アクセルは頬を緩ませ、冗談まじりに言う。

 会話が途切れかけた時、別の男の声が入ってきた。

 「ただいまー」
 「あ、帰ってきた。おかえりなさ…って、ええぇ!」

 それは偵察に行っていたバラクーダ東吾だったが、アクセルが驚くのも無理はなく。
 彼の顔や手足には、出かける前にはなかった擦り傷やあざが数多ついていた。

 「!やつらにバレたか?!」

 応急処置が終わったばかりの体で銃を取る。

 「あ、いや、実は」
 「?」

 警戒する私に対してバツの悪そうなバラクーダ東吾。

 「その、まったく関係ないごろつきにカツアゲされたんだ…。」

 なんだそれ。

 「はいはい。手当しますから、こっちきてください、アニキ。」



 「ていうか、」
 「はい?」
 「ビル持ちだから狙われるんじゃないのか?」
 「はい…。」




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