TOP SECRET! 7








翌朝、アスランが目を覚ました時には既にイザークの姿はなかった。ジョギングかなと思いながらふと時計を見ると食堂の閉まる時間ぎりぎりで、慌てて飛び起きた。あれほど今夜は眠れそうもないなどとうそぶいておきながら、結局は睡魔に勝てなかったらしい。存外図太い自分の神経に苦笑を漏らしながらアスランは急いで顔を洗って身支度を整えると食堂へ向かった。
 朝食抜きでハードな訓練は非常にきついものがある。頼み込めばパンの余りくらいはもらえるだろう。そんなことを考えながら食堂へ駆け込むと、待ってましたとばかりに声を掛けられた。
「遅いよ、アスラン!」
 声のした方向へ顔を向けると、そこにはラスティが一人座っていた。
「いつまでたっても来ないからさ。イザークに聞いたら寝てるから置いてきたって言うし。朝食抜きじゃきついから遅くなっても絶対に来ると思って待ってたんだ。俺の厚〜い友情に感謝しようね」
 そう言って視線を落とした先には朝食のトレイが用意してあって、アスランは短く礼を言うと彼の隣に座った。
「ありがとう、ラスティ」
「どういたしまして。早く食べないと遅れるよ?」
「ああ」
 急いで食べ始めたアスランを黙って見つめていたラスティは、食事が終わる頃合いを見計らって口を開いた。
「なあ、アスラン。イザークと何かあった?」
「―――何って?」
 探るようなエメラルドの眼差しがアクアブルーのそれを見つめる。
「んー。誰かさんが相手してくれなくなったから、最近イザークちょっと元気なかっただろ? それが今朝はな〜んかピリピリしてて、声を掛けるのもちょっと戸惑うくらい。ディアッカが聞いても何でもないって言ってたけど、何かあったのは間違いないし。ってことは、どう考えても原因はアスランしかないでしょ?」
 彼の言葉に無言の非難が感じられて、アスランは顔を伏せた。実際、責められても仕方ない態度を取ってきたことは事実なのだ。
 でも、それももうすぐ終わる。イザークが終わらせる。自分はただ彼の下した判断を受け入れるだけだ。
「―――別に…、何もないよ」
 ぽつりと零したその声音がいかにも寂しげで、アスランは一端に傷付いている都合のいい自分に笑いたくなった。
「本当に?」
「……ああ」
 気まずげな沈黙が降りる。その沈黙を破ったのはラスティだった。
「―――アスランさあ、ここに皺よってるよ? イザークとおんなじ。まったく、こんなトコは仲良いんだから。どうせならもっとマシなトコで仲良くしなよ」
そう言って彼はアスランの眉間人差し指で小突いた。
「………?」
 意味がわからす怪訝な顔をするアスランに、ラスティはにっこり笑うと席を立った。
「もう行かないと遅刻だよ?」
「あ、ああ」
 慌てて立ち上がったアスランは、カウンターにトレイを返すと先を行くラスティの後を追いかけた。



 一日のカリキュラムが終了して三々五々散っていったミーティングルームに一人残ったアスランは、机に両肘をついて組んだ手に軽く額を預けて深く考え込んでいた。
 ―――ラスティは何を言いたかったんだろう?
 意味ありげな彼の言葉がずっとアスランの脳裏に引っかかって離れない。
 普段は飄々とした態度を崩さないが、その実鋭い観察眼を持つ彼のこと。ひょっとして、イザークに対する自分の気持ちに気付いているのかもしれない。それとも、ただ単に仲が良いとはいえない状態の自分達を気遣ってのことなのか、アスランには判断がつかなかった。
 ただでさえイザークになんと言って切り出そうか悩んでいるというのに、考え事がまた一つ増えてしまい頭が痛い。
 お陰で今日のカリキュラムは集中できなくて散々だった。講義中に身が入っていないと教官に注意され、アスランは随分と恥ずかしい思いをしてしまった。もっともそれはイザークも同様だったらしく、いつもなら彼の失態を率先して嘲笑していただろうに気まずげに視線を逸らしたばかりか、MSシュミレーションの時など信じられない凡ミスを犯して危うく撃墜されそうになっていた。
 そんな彼の不調の原因の一つは自分にあると思うと、不謹慎だがつい嬉しくなる。好きな人に気に留めてもらっている証拠に他ならないからだが、そんな身勝手な自身の思考をアスランは嫌悪した。同時に、昨夜あれほど心に誓ったというのに、なかなか言い出せないでいる自分の不甲斐なさにもうんざりする。
 確かに好かれるならともかく、誰がこれ以上嫌われようとするだろう。アスランの心の奥で、このまま何も行動を起こさなければ少なくとも今のままでいられるという悪魔の囁きめいた声が聞こえる。それは抗いがたい誘惑だったが、ふとイザークのことを考えた時、彼のためにそして自分のために自ら決着をつけるべきだと決心したのは紛れなく自分自身だと思い至る。一度心に決めたことを今更躊躇するなど、なんて女々しいのだろう。こんな自分は潔さを是とする彼に嫌われて当然だった。
 アスランとしても、こんな中途半端な生殺しの状態はいい加減限界だったのは事実だ。どうせ得られないものならば、いっそのこと全て失った方がスッキリする。そんな自虐的な思考に捕らわれた時、軽い空気音とともに扉が開かれた音がした。
「――――アスラン…」
 ふいに掛けられた声に、アスランがはっとして顔を上げる。間違えようもないただ一人の声。
「……イザーク」
 振り向けば、入り口にイザークが立っていた。白い顔は何事か思い詰めているように厳しく固い表情で、思わずアスランの背筋に緊張が走る。
「…俺と勝負しろ」
 短く告げた言葉とアクアマリンの瞳に宿る真摯な光に、イザークの決意のほどが読み取れる。本当は勝負などできる心情ではなかったが、彼の切羽詰まった様子から躱せる状況ではないことを悟ったアスランは覚悟を決めた。
「……いいよ」
 承諾を受け取ったイザークの瞳が僅かに揺らいだ気がしたのは気のせいだろうか?
 アスランが確かめる暇もなく踵を返してしまったイザークは、「ついて来い」と一言告げると彼を待たずに歩き出した。アスランも黙って後を追う。
 イザークが向かった先は案の定闘技室だった。室内の中ほどまで歩いていったイザークは、無言で振り返る。固く強張った表情のまま自分を見つめる真摯な蒼氷の瞳を、アスランは美しいと思った。こんなふうに真っ直ぐに自分を見つめてくれることは多分もうないだろうから、できる限り記憶に留めておきたい。
「構えろ」
 そう言ってナイフを一本ほおり投げてよこしたイザークに、少し躊躇いながらもアスランは口を開いた。
「その前に、イザーク。…この勝負が終わったら、俺の話を聞いてくれるか?」
 訝しげに眉を顰めたイザークは思惑を探るような眼差しをアスランに向けたが、エメラルドの瞳に滲んだ真剣な光に何かを感じとったのかやがて小さく頷いた。
「…いいだろう」
「ありがとう」
 思わず微笑んだアスランに、イザークは虚を突かれたように身じろいだ。まさかこの場面で礼を言われるとは思わなかったのだ。いつもなら何を余裕ぶってと悪態の一つも吐くところだができなかった。
 何故ならそれは初めて見るアスランの何の気負いもないひどく透明な笑みで、彼に対するわだかまりも意地も虚勢も潜り抜けて、プライドという堅い鎧で厳重にガードされていたイザークの心にすとんと落ちてきた。
 そんなことを今まで感じたことのなかった彼女の受けた衝撃は大きく、心の中で小波のように静かに広がっていく甘やかな感情にイザークはうろたえた。
 アスランを見ていられなくなって慌てて顔を逸らして俯いたその頬が紅潮するのを感じ、イザークは信じられないように瞳を見開いた。
 ―――な…、んで……?
 どくん、と大きく脈打つ心臓の音が自棄に大きく聞えてイザークはうろたえる。
「―――イザーク…?」
 俯いて黙り込んでしまった自分を案ずるようなアスランの声音にはっとしたイザークは、何かを振り切るように強く唇を噛み締めた。
 これから勝負を挑もうという大事な時に何を考えているんだ、私は!
 ぎゅっと両手を握り締めて自らを叱咤したイザークは、ゆっくり顔を上げると静かにナイフを構えた。
「…何でもない。いくぞ」
 アクアマリンの双眸がすっと細められ、それを見て取ったアスランもイザークに応じるようにゆったりとした動作でナイフを構えてみせた。息詰まるような緊迫感が二人の間を流れる。
 先に動いたのはイザークだった。僅かに右腕を引くような動作を見せたかと思うと、勢いよく床を蹴ってアスランとの間合いを詰める。喉元を抉るような角度で繰り出されたナイフの先を首を捩って躱したアスランは、懐に入り込んできたイザークの左胸目掛けてナイフを振り下ろそうとすると、それを予期していた左腕にブロックされた。互いに後方へ跳び退って一旦体制を立て直す。
 今度はアスランの方から仕掛けてきた。力強い跳躍で一気にイザークの懐に入り込むと、右斜め上方向に鋭くナイフを滑らせる。仰け反ってそれを躱したイザークは、続けざまに持ち手を変えて振り下ろされた鋭い切っ先を己がナイフで弾き返した。
 イザークはともするとがむしゃらに飛びかかっていきそうな自分を抑えるのに苦労していた。ただでさえ肉体的なハンデがあり、長引かせるのは不利な彼女の戦法はとにかく先手必勝で攻めることだった。けれど、闇雲に攻撃していってもアスランには通じないことぐらい今までの経験で嫌というほど思い知らされている。適度に攻撃を仕掛けていって、生じた僅かな隙を確実に狙っていくしかないのだ。そう頭の中ではわかっていても、感情がついていかない。焦りにも似た衝動のままアスランに向かっていきそうになる。こんなことは初めてだった。
 思いどおりにならない自分に焦れたイザークは、何かに突き動かされるようにアスランに向かっていく。流れるような動作で連続して繰り出された切っ先を押され気味ながらも躱していったアスランは、逆にイザークの腹部を狙って鋭くナイフを突き出した。それに気付いたイザークが身体を捩って躱すが、ぐらりと状態が傾いてしまう。それを見逃すアスランではない。倒れかけながらもナイフを振り上げたイザークの右手首を左手で捕らえると、そのまま床に引き倒した。
「………っ!」
 咄嗟のことで受け身が取れず、思いっきり背中と頭を打ち付けたイザークの秀麗な顔が苦痛に歪む。強く握られた右手からナイフが床に零れ落ち、カランと乾いた音を立てた。伸し掛かられたアスランに喉元にナイフの先を当てられたイザークは、荒い息の下で悔しそうに唇を噛み締めた。
「……俺の勝ちだね」
 さほど息も乱さずに冷静に告げるアスランが憎らしかった。
「貴様っ…!」
 かっとなって自由な左手で殴ろうと拳を振り上げると、ナイフを後方に投げ捨てたアスランに難なく手首を捕らえられ床に押し付けられた。
「くそっ…! 離せっ!!」
 両手の自由を奪われ、イザークは必死にもがくが押さえられた両腕はビクともしない。蹴り上げようとしてもアスランに伸し掛かかるように下肢を押さえられては動きようがなく、それでも生来の負けん気でアスランを睨みつけようと視線を向けた途端、彼女は声を失った。
「――イザーク…」
 低い声で名を呼ばれ、イザークの背中にざわりと悪寒めいたものが走った。自分を見下ろすアスランの顔が誰か知らない人間のもののように感じ、そんなことがあるはずもないのにイザークは激しくうろたえた。
「どうして君はいつもそんなふうに俺を嫌うの…?」
「―――な…、にを……」
 震えを押し殺しながら見上げたアスランのエメラルドの瞳に今まで見たこともない強暴な光を見つけ、イザークは瞬時に凍りついた。いつも穏やかな光しか宿さないそれに、こんなに強く見つめられたことなどなかったから。獲物を捕らえた猛禽のような鋭い嬲るような双眸に男の本気を感じ取り、本能的な恐怖に捕らわれたイザークは闇雲に暴れ出した。
「離せ、このっ、…アスランっ!!」
 しかしどんなに必死で暴れてもアスランに組み敷かれた身を捩ることさえ満足にできず、イザークは次第に恐慌状態に陥っていった。自分を見下ろすこの男が怖くて怖くて恥も外聞もなく逃げ出したいのに、思うように身体を動かせない非力な自分が悔しかった。と同時に、どう足掻いてもアスランに力では勝てないことを思い知らされて、イザークの瞳に涙が滲む。彼の前で涙など見せたくないのに高ぶった感情は抑えきれず、せめてもと顔を背けた矢先、堰を切った透明な雫が切れ長の目尻から零れ落ちた。
「…………………」
 急に大人しくなったイザークの顔を訝しむように覗き込んだアスランは、アクアマリンの美しい瞳に溢れる涙に衝撃を受けた。途端に身に荒れ狂っていた強暴な感情はきれいに消え失せ、代わりに泣かせてしまったことに対する深い後悔と自責の念が彼を苛んだ。
「………イザーク」
 押さえつけていた腕を離して、涙で濡れた白い滑らかな頬を愛しむように指でそっと撫でる。その優しい仕種にゆるゆると顔を上げたイザークは、先程とは打って変わって痛むような眼差しで自分を見つめるアスランに軽く瞳を瞠った。
 何故そんな泣きそうな顔で私を見るんだろう…?
 アスランの真意がわからず抵抗も忘れて切なげに細められた翡翠色の瞳を見上げていたイザークは、ゆっくりと彼の顔が近付いてきたことにも気付けなかった。視界を塞がれ、唇に触れた柔らかく暖かい感触が彼の唇だと気付いた時にはもう仄かな熱は離れていて、突然の展開に思考がついていけないイザークの頭の中が真っ白になる。
 ――――何故……?
 呆然と見上げる涙で潤んだアクアマリンの瞳は頼りなく揺れていて、その儚さに胸を突かれたアスランは、もう一度今度は少し長く唇を重ねた。
 吐息が触れた瞬間思わず瞳を閉じてしまったイザークは、こんな不埒な真似をするアスランをどうして許すのか自分で自分がわからなかった。混乱する思考の中で早く逃げ出さなくてはと囁く声がするのに、頭の芯が痺れたようになって指一本動かせない。
「………ごめん」
 やがて名残惜しげに唇を離した後、アスランは躊躇いながらそう告げた。苦しげに瞳を逸らしゆっくりと身体を起こしたアスランが今の行為を後悔しているように思え、イザークは冷や水をかけられたように急速に心が萎んでいくのを感じた。
「……………」
 差し出された手を払うことで拒絶したイザークは無言で起き上がり、突如湧き上がった怒りにも似た感情に突き動かされるままに彼の頬を思い切り叩く。避けられたはずなのに甘んじで受け入れたことが全てを肯定しているように思え、止まっていたはずの涙がまた込み上げてくるのを感じた。
「―――ごめん、イザーク…」
 繰り返される謝罪の言葉――けれど、アスランの気持ちが見えない。わからない。そして自分の気持ちも、また……。
「………っ」
 悔しげに唇を噛んだイザークの瞳から透明な雫が零れ落ちる。滑らかな白い頬を伝う涙を痛ましげに見つめたアスランがそっと伸ばした腕を身体を引いて逃れたイザークは、そのまま身を翻すとその場から走り去った。
「イザークっ!」
 すぐ後を追いかけようとしたアスランだったが、また泣かせてしまうのではないかと思うと咄嗟に動けなかった。決して泣かせたくなどないのに、結果として何度も泣かせてしまった自分の不甲斐なさが許せない。けれど、このままイザークを泣かせておくこともまたできなかった。
 どれほど詰られようと罵られようと、自分の誠意だけは伝えたい。
 逡巡するように拳を握り締めたアスランは、やがて決心したように顔を上げるとイザークの後を追いかけた。





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       アスラン最低。
       書いた瀬川はもっと最低(滝汗)
       
       イザーク、泣かせてばっかりでごめんなさい;
       次こそは笑顔になれるように頑張るから!!
       でも、前半は泣かせっぱなしなんだよな…(撲)
       
       …やっぱり、(うちの)アスランは手が早い。
       ヘタレのくせにぃっ!!(爆)