いわゆる士官学校であるアカデミーは全寮制である。本来ならば女子寮に入るべきイザークだったが、男と偽っているため当然男子寮に入るしかない。
寮は二人部屋のため、見ず知らずの他人と同じ部屋になる危険性はあったが、そこは抜かりなくディアッカと同室になるよう手配済みである。というより、入校前の模擬試験の成績順で部屋割されるという情報を事前に入手して、1番と2番を取ればいいと単純に計算しただけのことだが。
イザークはもちろんトップ以外取るつもりはないし、ディアッカも次席を十分狙えるだけの実力はあるのだから、その点はまったく心配していなかった。
ところが。
物事はそううまく転がるはずがないことをイザークはすぐに思い知る羽目になる。
入寮の当日、受付で手続きを済ませた彼女が割り当てられた部屋のドアを開け中に入ると、そこには見知らぬ一人の少年が立っていた。
突然の来訪者に驚いたように軽く瞠られた翡翠色の瞳が彼女に向けられる。てっきりディアッカに出迎えられると思っていたイザークも呆然と少年を見つめた。
「……失礼」
やがて我に返ったイザークは、部屋を間違えたと思って慌てて部屋から出た。
私としたことが、なんという恥ずかしい失敗を!
顔を赤らめながら手渡された書類とルームナンバーを見比べてみると、部屋番号は間違っていなかった。とすると間違えているのは少年の方ということになる。
「ったく、なんて間抜けな奴なんだ!」
語尾も荒くもう一度入り直したイザークに、群青の髪の少年はにっこり笑って右手を差し出した。
「君がイザーク・ジュール? 初めまして。ルームメイトのアスラン・ザラです」
「―――は?」
咄嗟にイザークは状況が飲み込めなかった。
こんなひ弱そうな奴が私のルームメイト?
寮の部屋割は成績順だと聞いていたから、当然首席の自分と次席のディアッカが同室だと思っていた。それなのに、今目の前にいるのはいかにも育ちの良さそうなお坊ちゃんで、しかもルームメイトだと言ってのけた。
ということは、つまり……。
あまり考えたくない事態にイザークの形の良い眉が顰められる。
―――あんの野郎っっっ!!!!!
「――あの…」
黙ったまま眉を寄せるイザークにおそるおそる少年が声を掛ける。躊躇いがちに覗き込んでくる翡翠色の瞳をキツク睨み付けたイザークは、そのまま勢いよく踵を返すと猛然と部屋を出た。向かう先はもちろん幼馴染みのもと。
「ディアッカーっっっ!!! この、腰抜けーーーっっっ!!!!!」
後に残されたアスランは、何が起きたのかわからずに嵐のように立ち去ったルームメイトを呆然と見送るしかなかった。
「ごめんごめん。俺だってまさかこんなことになるとは思ってもいなかったんだよ」
廊下でイザークを探してうろうろしていたところを当の彼女に捕まえられ、人気のない場所に引きずり込まれたディアッカは、イザークが罵倒の言葉を口にする前に両手を併せて謝った。
「てっきりイザークが首席だと思ってたからさ。それがまさか次席なんて…」
「なにいっ!?」
思いもよらないディアッカの言葉にイザークが目を剥いた。
「あいつが首席だって!?」
イザークの剣幕に圧されながらもディアッカは頷く。
「ああ。俺、お前と同室だと思って受付で聞いたから間違いない」
同室になれなかったのはてっきりディアッカが次席を取れなかったせいだとばかり思っていたイザークはショックを受けた。
この私がトップを取れなかったなんてっ!
今まで他人に負けた事のない彼女にとって俄かに信じがたいことだった。まして100%の自信を持っていただけにその屈辱は相当なもので、イザークは忌々しげに吐き捨てた。
「あんな軟弱そうな奴がルームメイトだって!? 冗談じゃないっ!!」
八つ当たり気味に毒吐く彼女の心情がよくわかるディアッカだったが、彼もまた内心焦っていた。
まさかイザークが自分以外の人間と同室になるなどとは考えてもいなかったのだ。しかも、よりによって相手があのアスラン・ザラときた。イザークは全く気付いていないようだが、彼は強硬派筆頭の国防委員長パトリック・ザラの息子、つまり穏健派であるエザリアの政敵の息子なのだ。大事な一人娘をそんな男と同室にさせてしまったことを彼女になんと言い訳をすればいいのか、彼女の怒った顔が目に浮かぶだけに一気に気が重くなる。
それより、一番の問題はイザーク自身だ。いくら男勝りで腕にも自信があるとはいえ、れっきとした女性が初対面の男と同じ部屋で生活するのはかなりのリスクがともなう。もし女だとバレて退学処分になるくらいならまだいい。万が一アスランに襲われでもしたら、それこそ取り返しのつかない事態になる。
その時は、間違いなくエザリアさんに殺されるな、俺…。
心の中で乾いた笑いを零しつつ、ディアッカは不機嫌丸出しな彼女に向き直る。
「いいか、イザーク。今更部屋の変更を申し出ても却下されるだろうし、そこでゴリ押しすれば何かあるんじゃないかって疑われるに決まってる。つまり、これから卒業までの間アスランと同室でいるしかないってことだ。絶対に女だとバレないように気をつけて慎重に行動するんだぞ」
「ふんっ! 誰に向かって物を言っている」
即答するイザークだったが、お前だから心配なんじゃないかと、ディアッカは内心溜息を吐いた。
どう見ても団体行動に不向きなイザークがボロを出さずに生活できるのか、まして規律と協調性を必要とする軍隊生活に果たして彼女がついていけるのか、考えただけで頭が痛くなってくる。可能な限り自分がフォローするとしても、別室である限りプライベートでは自ずと限界があるだろう。
頼むからうまくやってくれよ…。
これから始まる新しい生活に拭いきれない不安を覚えつつ、何事も起こらないことを切実に願うディアッカだった。